鈍感な騎士①
帝都アマドールには、ようやく穏やかな日常が戻り始めていた。
市場には色とりどりの花が並び、子どもたちの笑い声が街角から聞こえてくる。
宮殿にも張りつめていた空気は消え、庭園では侍女たちが楽しそうに花の手入れをしていた。
そんな春の午後。
私はアンとともに宮殿の庭園をゆっくり歩いていた。
色鮮やかな薔薇が咲き誇り、中央の噴水からは心地よい水音が響いている。
「ようやく春らしくなりましたね。」
私が空を見上げると、アンも優しく微笑んだ。
「今年は、きっと良い一年になりますよ。」
その言葉に私も小さく頷いた。
本当に、そうなればいい。
そんなことを思っていると——。
「ラルム様!」
聞き慣れた明るい声が庭園に響いた。
振り返ると、大きく手を振りながら歩いてくる一人の騎士の姿が見える。
「ルカ様。」
「やっと見つけました。」
相変わらず爽やかな笑顔だった。
帝国騎士団の中でもひときわ人気が高く、女性からの憧れを一身に集めるルカ・アルカサス。
けれど今日は、どこか落ち着かない様子にも見えた。
「今日はどうされたんですか?」
私が尋ねると、ルカは辺りを見回して少し困ったように笑った。
「実は……少し相談がありまして。」
私は思わず目を丸くする。
「ルカ様が相談なんて、珍しいですね。」
「でしょう?」
ルカは苦笑した。
「だから自分でも困っているんです。」
その様子を見たアンは、小さく会釈をすると気を利かせて少し離れてくれた。
私は噴水の縁へ腰掛ける。
ルカは少し照れくさそうに頭をかいた。
「女性に贈る花って、何がいいと思います?」
「え?」
一瞬、意味が分からず聞き返してしまう。
「いや……花くらい今までにも贈ったことはあるんですよ。」
「でも今回は、何というか……。」
言葉を探しているルカを見て、私は思わず笑ってしまった。
「ルカ様でも、そんなふうに悩まれることがあるんですね。」
「ありますよ。」
「本気で悩むのは初めてかもしれません。」
その表情は、いつもの余裕のある笑顔ではなかった。
私は少しだけ首をかしげる。
「もしかして……。」
ルカが私を見る。
「クララさんですか?」
ルカは驚いたように目を見開いた。
「どうして分かったんです?」
私は小さく笑う。
「女の人って、案外そういうことには気づくものなんです。」
ルカは苦笑した。
「そんなに分かりやすかったですか。」
「少しだけ。」
そう答えると、ルカは恥ずかしそうに視線を逸らした。
「でも、不思議なんです。」
「クララとは昔から知っていますし、気を遣わない相手なんですよ。」
「それなのに、最近は顔を見るだけで妙に落ち着かなくて。」
私はその言葉を聞きながら微笑んだ。
「クララさん。」
「ルカ様とお話しされる時、とても楽しそうですよ。」
「そうですか?」
「ええ。」
「私の気のせいかもしれませんけど。」
私はそう付け加えた。
「でも、お二人を見ていると、とても自然なんです。」
ルカは少し考え込むように噴水の水面を見つめた。
「僕は……。」
「何も気づいていなかったのかもしれません。」
「女性のことは分かっているつもりだったんですが。」
私は思わず笑う。
「ルカ様は。」
「女性の気持ちには敏感なのに。」
「一番近くにいる人の気持ちには、案外気づかれないんですね。」
ルカは苦笑しながら肩をすくめた。
「耳が痛いですね。」
二人で笑っていると——。
「なるほど。」
低く落ち着いた声が聞こえた。
振り返ると、レオが腕を組みながらこちらを見ていた。
「陛下!」
ルカが慌てて姿勢を正す。
レオは珍しく笑みを浮かべている。
「帝国一の騎士も、恋だけは勝手が違うようだな。」
私は思わず吹き出してしまった。
ルカは照れ隠しのように頭をかいた。
「返す言葉もありません。」
レオはルカの肩を軽く叩く。
「気づいたなら、それで十分だ。」
ルカは静かに頷いた。
その横顔は、これまでとは少し違って見えた。
誰かを守る騎士ではなく、一人の女性を大切に想い始めた、一人の男の顔だった。
私はそんなルカを見つめながら、穏やかに微笑んだ。
春風が庭園を吹き抜け、色とりどりの花びらが舞い上がる。
帝国にも、人々の心にも、ようやく本当の春が訪れようとしていた。




