君の隣で
マテリアス家の復権が正式に認められてから数日が過ぎた。
帝都は久しぶりの穏やかな空気に包まれ、人々の表情にも少しずつ笑顔が戻り始めていた。
私は窓辺に立ち、夕暮れに染まるアマドールの街並みを静かに眺めていた。
ここへ来たばかりの頃は、何も持っていなかった。
家族も。
居場所も。
未来さえも見えなかった。
それでも、振り返れば不思議なくらい多くの人が私を支えてくれていた。
ビリーとナーラ。
ルカ。
アドリアン。
ミラ。
アン。
そして……。
コンコン。
静かなノックが響いた。
「どうぞ。」
扉を開けて姿を見せたのはレオだった。
いつもの軍服姿ではなく、濃紺の上着をまとった穏やかな装いだった。
「ラルム。」
「レオ。」
二人きりになると、皇帝陛下ではなく、いつものレオに戻る。
その時間が私は好きだった。
レオは私の隣へ歩み寄り、窓の外へ目を向けた。
「街が落ち着いたな。」
「はい。」
「ようやく帝国にも平和が戻りましたね。」
しばらく二人で夕焼けを眺める。
沈黙なのに、不思議と心地よかった。
「ラルム。」
「はい。」
「一つ、頼みたいことがある。」
その言葉を聞いた瞬間、胸が小さく震えた。
以前、レオが言っていた言葉を思い出す。
――すべてが終わったら、君に一つ頼みがある。
あの約束だ。
私は静かにレオを見つめた。
「……はい。」
レオはゆっくりと私の正面へ立つ。
その碧い瞳は、初めて出会った雨の日と何も変わっていなかった。
「私の皇后になってほしい。」
静かな部屋に、その言葉だけが響いた。
私は思わず息をのむ。
「……皇后、ですか。」
「そうだ。」
レオは穏やかに微笑む。
「ラルム・マテリアス。」
一度そう呼ぶと、照れくさそうに笑った。
「いや……ラルム。」
「君でなければならない。」
胸が熱くなる。
嬉しい。
だけど、それ以上に不安だった。
私は皇后になれる人間なのだろうか。
何の後ろ盾もなく育った私が、この帝国を支える存在になれるのだろうか。
「……私に務まるでしょうか。」
レオは少し驚いたように目を瞬かせた。
「皇后という立場ではなく……。」
私は小さく首を振る。
「私は、レオの隣に立って恥ずかしくない人になれるでしょうか。」
その言葉に、レオは静かに笑った。
「また心を読んだでしょう?」
私は少しだけ頬を膨らませる。
「全部読まれるのは、やっぱり少し嫌です。」
レオは困ったように肩をすくめた。
「すまない。」
「見ようとして見ているわけではない。」
「君の心が強く揺れると、雫を通して自然と伝わってしまう。」
私は胸元のアマドーラの雫へ触れた。
碧く澄んだ石の奥では、小さなドラゴンが静かに姿を現している。
「でも安心してくれ。」
レオは優しく微笑む。
「私は、読めるからこそ読まないようにしている。」
「君には、君だけの心がある。」
その一言が嬉しかった。
私は自然と笑みがこぼれる。
「ありがとう。」
レオは私の前へ一歩近づく。
そして、両手をそっと包み込んだ。
「ラルム。」
「君はアマドーラの雫を継ぐ者。」
「千年に一度、火の皇帝とともに帝国を支える存在だ。」
私は静かに頷く。
「だが……。」
レオはゆっくり首を振った。
「私は、その伝説があるから頼んでいるのではない。」
少し照れくさそうに笑う。
「皇帝だからでもない。」
「義務だからでもない。」
真っ直ぐ私だけを見つめる。
「レオナルシス・カーラ・アルカサンドラという、一人の男として頼んでいる。」
私は思わず涙ぐんだ。
「私は、ただ君を愛している。」
「だから私の隣を歩いてほしい。」
涙が頬を伝う。
その一言だけで十分だった。
「……レオ。」
「なんだ。」
「私も。」
何度も胸の中で繰り返した言葉。
ようやく口にできる。
「私も、レオのことが好きです。」
レオは静かに目を閉じた。
安堵したように、小さく息をつく。
「ずっと言えなくて……ごめんなさい。」
レオは何も言わなかった。
ただ優しく笑う。
その笑顔は、今まで見たことがないほど穏やかだった。
「……やっと聞けた。」
私は思わず笑ってしまう。
涙が止まらないのに、笑顔になっていた。
レオは私をそっと抱き寄せ、額へ優しく口づけた。
「返事を聞かせてくれ。」
私は迷うことなく頷く。
「……はい。」
胸元のアマドーラの雫をそっと握る。
碧く輝く石の奥で、眠っていたドラゴンがゆっくりと翼を広げた。
これまでで一番鮮やかに。
まるで、私たち二人の未来を祝福するように。
「喜んで。」
レオは何も言わず、私を静かに抱きしめた。
その温もりの中で私は思った。
もう私は、一人ではない。
これからは、二人でこの帝国の未来を歩いていくのだと。




