マテリアスの名
帝都へ戻って一週間が過ぎた頃――。
レオは上院貴族会議において、マテリアス家の復権を正式に宣言した。
十四年前、反逆の汚名を着せられ、その名を歴史から消された名門マテリアス家。
長い歳月を経て、その名がようやく帝国の歴史に刻まれ直す日が訪れたのだった。
私は、その場にはいなかった。
レオの意向で、正式な決定が下されるまでは宮殿で静かに待つよう言われていたからだ。
結果を待つ時間は、これまで経験したどんな出来事よりも長く感じられた。
もし、また何か起きたら……。
そんな不安が心の奥に残っていた。
窓辺に立ち、中庭へ咲く白い花をぼんやり眺めていると、静かな足音が近づいてくる。
「ラルム様。」
振り返ると、アンが深々と頭を下げていた。
マテリアス家が不当な処分を受けたあの日、まだ若かったアンは、先代皇后陛下に引き取られ、それ以来ずっと皇宮で仕えてきた。
そして今、レオの計らいによって再び私の侍女として傍らにいてくれている。
その瞳は、今にも涙がこぼれそうなくらい潤んでいた。
「上院貴族会議が終わりました。」
アンは静かに息を整えた。
何かを伝えようとするたびに、その肩が小さく震えている。
「本日より……。」
言葉が詰まる。
私は胸の前でそっと両手を重ねた。
「本日より、ラルム・マテリアス様として、帝国貴族名簿に正式に記載されます。」
その一言が、胸の奥へ静かに染み渡った。
――ラルム・マテリアス。
もう二度と呼ばれることはないと思っていた名前。
幼い頃、母が優しく呼んでくれた声が耳の奥によみがえる。
父が誇らしそうに微笑みながら私の頭を撫でてくれた温かな手。
屋敷の庭いっぱいに咲いていた季節の花々。
忘れたと思っていた記憶が、一つ、また一つと胸の奥からあふれ出してくる。
私は返事をすることができなかった。
ただ涙だけが、静かに頬を伝っていく。
「……アン。」
ようやく名前を呼ぶと、アンも涙をぬぐいながら微笑んだ。
「私は……信じておりました。」
「必ず、この日が来ると。」
私はゆっくりとアンの手を握る。
その手は少し冷たく、そして震えていた。
「先代皇后陛下も……。」
アンは懐かしむように目を細めた。
「最後までマテリアス家を信じておられました。」
私は静かに顔を上げる。
「『いつか必ず真実は明らかになります。その日まで、この子たちを見守りなさい。』」
「そう仰って、私を皇宮へ迎えてくださったのです。」
私は思わず息をのんだ。
先代皇后陛下……。
お会いしたこともないその方が、十四年前から私たちを守ろうとしてくださっていた。
アンは涙を浮かべながら続ける。
「そして、もう一人……。」
私は首をかしげた。
「ラルム様を陰ながら支えてくださっていた方がおられます。」
「……スベリア様です。」
その名前に、私は目を見開いた。
レオの祖母であり、先帝第一后妃マリオン様のお母様。
離宮で、初めてお会いしたあの気品あふれる婦人。
なぜ私のことをご存じなのか、不思議でならなかった。
女学院へ入学できるよう匿名で後見人となってくださった方がいる――。
そう聞かされていた幼い日の記憶が、ゆっくりとつながっていく。
「やはり……。」
私は小さくつぶやいた。
「スベリア様だったのですね。」
アンは静かに頷いた。
「はい、マリオン皇后陛下がお亡くなりになられた後も、そのご意思を受け継ぎ、ずっとラルム様のことを気にかけておられました。」
胸が熱くなる。
私は一人ではなかった。
知らないところで、こんなにも多くの人が私を守り、未来を信じてくれていた。
「ラルム様。」
アンが微笑む。
「マテリアス家が復権したことを、スベリア様もきっと心から喜ばれております。」
私は静かに頷いた。
言葉にはできなかった。
ただ、胸いっぱいに込み上げる感謝だけがあった。




