東北の森・孤独な建物・絶対漆黒の洞窟
地長は〈森の図書館〉に向かうことに否定を覚えているらしかった。「あそこは危険なんです」と何度も僕に説得を試みてきたのだが、僕は頑なに首を横に振った。「いや、これもこの街の平和のためです」
「しかし、〈森の図書館〉は危険なんです。あそこは東北にあるんです。わかりますか? つまり〈獣森〉と繋がっているんですよ?」と地長は大袈裟に腕を横に伸ばして語勢を強くし、僕に説明してきた。
「〈森の図書館〉の森とは、東北の〈獣森〉の森と同じなんですね?」と僕は理解ができているか確かめるため、訊ねた。
「そういうことです。ですから獣と出くわすかもしれないんですよ? 実はいうと私も行ったことはないんですよ。あそこの図書館には管理人の青年が住んでいるという噂も耳にしたことはありますが、会った事もないんです。その前にそんな青年の噂が本当かなんてわからないし、あくまで噂なんです。危険が大きすぎます」
「しかし、今の事態は前代未聞なんです。地長もそれはわかりますよね? 〈獣還師〉に忠告された獣は三年間は確実に大人しいと決定されてた事なんです」
「それはわかりますが、あそこは危険すぎる。ましてやあそこに隠されたヒントがあるかどうかも解らないんですよ?」と地長は必死だった。何をそこまで、と僕は眉間を寄せた。「やめましょう。ね?」
「その〈森の図書館〉には隠されたヒントがあるかもしれないんですよ?」と僕は地長の言葉をそっくりにして返した。
地長は僕の頑固さに諦めたらしく、大きく息を吐いた。それはとても長く、止め処ない溜息だった。わがままな息子にやれやれと苦悩する親のような顔つきだった。地長は何度かまばたきをしてから、「わかりました」と承諾した。
「ありがとうございます」と僕は許可を頂いたことにお礼をしてから、バックを背負った。「べつに地長までお供しなくていいですよ。危険らしいので」
その発言が可笑しかったのか、地長は笑みを噴き出した。「いえ、案内しなきゃならないんで私も行きますよ」
案内も何も、地図どおり歩けば到着するんじゃないだろうか? と僕は思ったが、わざわざ訊ねるのは億劫なので「そうですか」とだけ吐いて僕はブーツを履いた。地長はタンスらしき物の引き出しを開け、何かが入った袋を取り出して小さなバックにそれを詰め込んだ。「何ですかそれ?」と僕は訊ねた――それは何となく訊ねておいた方がいい、と無意識に思ったのだ――地長は「これですか?」と言った。「〈森の図書館〉に行くには、途中の道のりで〈絶対漆黒の洞窟〉という場所があるんです」
「はあ」と僕は肯いた。また新たな名前を耳にし、いささか脳が混乱しそうだった。
「そこはとてつもなく暗いそうなんです――私は行ったことがないんですよ――それは一つの病のように、人体に影響を及ぼす闇らしく、洞窟を抜けたあともその洞窟の暗闇が瞼に焼きつくらしいのです。それは視界が朝なのに夜に見えたり、全体的にまるで影がかかったように暗く見えたりするらしいのです」
そんな障害を防ぐための薬のようなものです、と地長は説明した。僕はなるほど、と肯いた。なるほど、わからない。しかし詳しく言及しても意味はなさそうなので僕はそれ以上訊ねることはやめた。「それじゃあ行きましょうか」そう言って僕と地長は〈森の図書館〉にへと向かう仕度をした。仕度をするほどの物などあまり持ってはいなけれど。
およそ二時間ほど僕と地長は歩いていると、様々な種類の草や花が茂っている地面に足元が変わった。その地を踏みながら進んでいると、石を積んで作られた壁が――壁というよりは柵ほどの高さだが――遠くに見えた。僕は歩みを早め、その煉瓦のような石が積まれた場所へと向かった。そこには平たい石が敷かれた地面が真っ直ぐ伸びており――途中どころ不安定ではあるが――その石と石の隙間には伸び放題の雑草が浸食していた。その茂る草に紛れて、途中で積んでいくのを挫折したような中途半端な長さの煉瓦柵があり、その隙間からも花や草を生やしていた。乾いた土のような色をしている。
その光景はまるで死んでから有名になった英雄のような、貫禄を備えていた。とても複雑な石の道はゆるい段差となっており、まるで中心街の建物のように複雑に異なった形の草や木たちがその地の傾きを誤魔化していた。
その石の板を――ゆるい段差を――登っていくと、とても古い建物があった。この石の板と同じ石で作られているらしい薄汚い茶色の建物は、時計台のような細長い形だった。幾つかの細かい皹を刻んだ建物は一部ハンマーか何かで壊されたかのように荒く破損しており、瀕死状態の老兵のような佇まいだった。いや、とっくに死んでいるのかもしれない。
「なんですかね、ここ」と僕は宙にぼそっと呟き、その建物の中へ入った。
建物の中はとても空虚で淋しく、そして孤独な空気だけが漂っていた。扉のない入り口からはすでに出口から覗ける外景色も見れた。まるで空気と風を通すだけのトンネルだ。
僕はこの建物の過去を――もちろん、僕の架空だけれど――脳裏に描いてみた。決して広くはないこの面積に、幾つものランプが置いてあり、とても明るくて、暖を作るストーブがあり、春になれば桜の花弁が入り込んでくる。そんな光景が目に浮んだ。僕は白い少女の言っていた「平和」のことを思い出した。もしかすると、彼女の言っていたことはこういう事かもしれない。
この建物以外にも建物は存在していたのだろうな、と僕は思った。もう一度外に出て、先程の煉瓦などの柵などを見てみると、それは他の建物の一部だった、という事に気づいたのだ。そう考えると僕はとても淋しい気持ちになった。孤独なまま、この建物は延々とこの死んだ後の土地のような草原に立ち竦んでいるのだ。感情輸入が得意というわけではないのだけれど、涙が浮びそうになった。涙の淀みが邪魔する視界に映るその建物は相変わらず淋しそうで、そしてこの地の遺産のようで、実に美しかった。
地長は初めてここを見たらしく、「こんな美しい場所があったとは、私も地長失格ですね」と微笑を浮かべていた。それから軽い沈黙があり、「私もいずれはこうなるのでしょうか」と静かな声でそう言った。
空気が通り抜けていくのがわかった。孤独に彷徨っている空気はその場に淀みながら、その駆けて行く空気を見守っているのだ。
「さて、ここが〈絶対漆黒の洞窟〉です」と地長はその洞窟をまるで何度も見ているかのような、初見とは思えない口ぶりで言った。「といっても私も初めてですが」と補足を言って、ふぉふぉと笑った。
洞窟からは、溢れんばかりの忌々しさが漂っていた。石を積んで作った洞窟らしく、冷えた空気を伴侶するその洞窟の中はまるで真夜中に覗いてみた深い井戸の奥のように、完全で完結した暗闇だった。僅かばかりの光も窺えないのだ。
さらに――忌々しさの原因はこれだろう――その漆黒の奥からは何者かがこちらを覗いているような、不吉な感覚が身にまとわりついた。今にも黒々とした手がその闇から伸びてき、僕を引きずり込むような恐怖がその場には漂っていた。
「何か、怖いですね」と地長も同じ事を考えていたらしく、身にまとわりつく寒気に翻弄されていた。
「仕方ないです。行きましょう」と僕は逡巡する余地も作らずに決意をして恐怖と対峙し、足を前に踏み出そうとしたところで先程地長が言っていた「薬のようなもの」の存在を思い出した。
地長はその場に生えていた木に近寄り、その木の幹に間抜けに伸びてた枝を折って手に持った。「見ててください」と地長は言いながら、持った木の枝の先を洞窟の虚ろな中に差した。そして何度か枝先を回して暗闇に円を描き、再び太陽の下にそれを晒した。
「なんですかこれ」と僕は素直に驚いた。
「わお」と地長も自分でやっといて驚いていた。
暗闇を差していた木の枝の先は、黒い水切りのような――黒ずんだ霧のようなもの――がまとわりついていた。それは薄い膜のように透けており、しかし不吉な黒色だった。その闇の霧は太陽の光に浄化され、空気にひらひらと消えていった。
「これが影響をもたらす原因ですね、絶対」と地長は興味深そうに言った。
「影響の原因はそれでしょうが、この霧自身の原因はわかりませんね」と僕は言った。多分、この先もわからないままだろう。仮に解明されたとしても、それはまだ遠い未来の話だと僕は思った。宇宙の概念と同じだ。
地長は腰に巻くタイプの鞄から袋を取り出し、その中から縫い針のような形をした物を僕に渡した。「何ですかこれ」と僕はまるで埃を指先でさっと拭うような声で訊ねた。
「〈闇避け(コンタクト)〉という代物です」と地長も絞った雑巾をぽいと投げるような口調で返した。
今回はファンタジー色が強かったと思います。 それと、もうすこしで完結です!




