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還れ・幸せの笑顔・サンドウィッチとコーヒー

 僕はバックの中身を覗き、ナイフがあるかどうか確認した。ナイフは確かにあった。僕はそのバックを背負い、獣の出現を待った。夜の東街の光景は、どこか祭りを連想させるような景色だった。屋台が放つ明りが道を照らし、黄昏の空の足元を華やかにしていた。

 街の外にはまだ僅かに人気があった。僕もその屋台をいろいろと見回りたかったのだけれど、そんな暇もなかった。地長は僕の隣で「そろそろ来るはずです」と言い、一口水を含んだ。確かに獣の気配――何回かこの仕事をしていると、獣独特の気配というものも読み取れるようになるのだ――は徐々に深みを増してきていた。僕は一度瞼を閉じ、夜空よりも濃い暗闇に浸かった。そろそろ「獣を還す準備」が必要なのだ。

 獣の出現を皆に知らせる警告音が、街中に響いた。地長は「みなさん、素早く帰ってください! 建物の中へ」と皆に警告した。街にいた人達は、素早く自身の家にへと歩みを始めた。僕はただただ暗闇に沈んでいた。街中を駆ける警告チャイムは、僕の耳元にまとわりつき、強く這いついた。

「そろそろ地長さんも隠れてください」と僕は地長に呼びかけた。「獣というのはなかなか繊細なんです。僕だけにしてくれませんか?」

「わかりました」と地長は肯き、陰に身を潜らせた。できれば室内に入って隠れて欲しいのだけれど、そこはもう黙っておくことにした。

 僕はゆっくりと瞼を開き、視界を徐々に甦らせていった。首を下に向けていたので、まず目に入ったのは僕の足元と、石の一本道だった。その石道は屋台の明りに左右から照らされており、まるで夕焼けの空のような色合いをしていた。その道に一定の間隔を空けて刻まれているへりを僕は漠然としたまま見据えながら、重い石を持ち上げるようにゆっくりとした動きで視界の先を虚空な空にへと上げていった。そして僕の目の前に現れた「それ」に視線を合わせた。

 獣はそこにいた。真夜中の月光のような色をした瞳で、獣は僕を見下ろしていた。僕もその瞳を見つめ、一度唾を飲み込んだ。獣は僕の他人とは奇異な違和感のようなものを、察したようだった。

 獣は栗色――黄金のように上品さに溢れている――な毛皮をしており、昼間の日光を吸収したような輝きに包まれていた。丸太のように太い腕は、鋭利なナイフのように鋭く尖った爪を空気に晒しており、蒼白い光を走らせていた。そして雨降りを憂鬱そうに眺める少年のような顔は、とてつもなく陰鬱そうな表情を滲ませていた。口元から牙を覗かせ、死んだみたいに奥行きを濁らせた青い瞳に僕の姿を映していた。

 冬の昆虫のように大人しい獣を注意深く僕は神経を緊張させながら、その奥行きのない瞳をまじまじと見据えたていた。獣とコミュニケーションを伝えるにはまず、相手を強張らせなければいけないのだ。動いてしまうと、言葉を伝えるのは難しい。その準備が僕には億劫だった。

 獣は壁にできた凹みに体を窮屈そうに押し込まれたように、じっと動きを見せなかった。けれどその視線は警戒の色を浮かべていた。地長――他人でもだが――にはこの光景がどう映るのだろう? と僕はいささかな興味を覚えた。時間は刻々と歩んでいた。緊迫とした沈黙が空気に重みを与え、僕と獣の間を混沌とした空間に仕上げていた。耳が痛くなるような鎮静の中にいると、僕はただのぬいぐるみか何かと対峙しているのではないか? とも思えた。

 静かな空間には時が流れていく軌跡すらも見えそうだった。あるいは今、時間は停まっているのかもしれないとすら思えた。そして獣が瞼を一度閉じる――これが獣がコミュニケーションの許可を与えた合図だ。僕は安堵し、すぐに乾いた声を開いた。

 ――還れ

 風に長時間当っていたような乾いた声は、獣の耳元にへと確かに流れた。獣は耳を小刻みに揺らし、そして怪訝そうな顔をした。不吉で大きな雲を齧ったみたいに表情が青褪め、そして戦々恐々を訴える震えをその上品な印象を与える毛皮に走らせた。尻尾が電流が流れたみたいに太くなっていき、僕に巨大な恐怖を覚えたようだった。しかし油断はしてはいけない。僕は獣が去るまで、威嚇をしていなければならないのだ。

 獣は視線を逸らすように僕に背を向け、元来た道に沿って歩みを始めた。〈獣森〉に逃げることにしたのだ。やれやれ、と僕は思った。見つめ合うだけなのに、体力を大分消費するこの仕事は何度やっても堪えるものだ。

 「終わりましたか?」と地長が顔を覗かせて僕に言った。僕は「ええ」と肯いた。地長は一度息を吐き、胸を撫で下ろして安堵を得た。僕も微笑み、一度伸びをした。

「これで三年は大丈夫かと思います」と僕は言った。

「そうですか。いやあ、これで安心です」

「それじゃあ依頼も完了しましたし、明日東街の案内をお願いしますね」と僕は確認をした。

「了解です」と地長は胸を張って言った。「任せてくださいよ」

「それは楽しみです」

 石ころでも埋め込んだような肩を僕はもう片方の手で揉みながら、いささか睡眠を求めた。今日はもう就寝したかったのだ。

 



「おはようございます」と地長は寝ぼけて朦朧としている僕の前にコーヒーを置いて言った。僕もぷかぷかと浮遊している眠気が混じった声でおはようございます、と言った。「よく眠れましたか?」

「はい。眠れました。ありがとうございます」と僕は寝ぼけ眼を擦りながら、コーヒーを一口飲んだ

 地長はリビングの部屋を抜け、台所のほうへと向かった。僕は今座っているリビングの部屋を眺めた。食器を並べてある窓――ケースのようなもの――があり、その窓からは僅かに廊下にある台所が見えた。地長が朝食を作る姿も見えた。四人ほどが集まって飯を取る家庭的なダイニングテーブルが部屋の殆どの面積を占めており、それ以外の目立った家具はこれといってなかった。窓が二つあり、――台所に繋がる窓を合わせば三つだが、あれは窓というよりも食器棚だ――どこにも繋がっていない方の壁には田の形をした窓枠の窓があり、朝の日差しと青空を映していた。もう一つの窓は細長く大きな形をしていて、ベランダに繋がっているらしかった。木製のウッドデッキのようなベランダが窓からは見えた。そして青空と日差しも当然のように広がっていた。

 隣に部屋がある方――何の部屋かはわからないが――の壁には、なかなか大きいサイズのコルクボードが掛かっており、そこには白く面白みのないカレンダーや幾つかの写真、それとラジオのようなものが掛かっていた。僕はダイニングテーブルの椅子から体を起こし、その写真を眺めてみた。写真には若い頃の地長と思われる男性と、その妻らしき女性、そして白いワンピースを着た娘さんらしき人物が写っていた。その写真に写る三人は、本当に平凡な家族にしか見えなかった。いや、実際そうなのだが、僕にはこれ以上に幸せそうな家族を見たことがなかったのだ。皆幸せに溢れているような軽く優しい笑顔で、そして何よりも若かった。

「若いでしょう」と地長の声が聞こえた。顔を向けると、地長が朝食を持っていた。「それは多分――私が四十後半かそれくらいの時ですね。まだ超巨大マンションにも行っていない時です」

「そうなんですか」と僕は言った。「とても幸せそうです。これぞ家族、と思います」

「そうですか? ありがとうございます」と地長はテーブルに朝食を置き、僕と真正面の椅子に腰を下ろした。「さ、朝食でも食べましょう。コーヒーもおかわりはいっぱいありますよ」

 僕も椅子に腰をかけ、尻を置いた。玉子やベーコンをパンで挟んだサンドウィッチだった。元は四角だったパンは斜めに切られ、二つになっていた。ほどよく焦げ目があり、実に朝から食欲をそそる朝食だった。そのサンドウィッチをより目立たせるように彩り豊かな野菜が盛り付けられており、どれも水を弾くようなシャキシャキとした新鮮なものばかりだった。

「いただきます」と僕は言った。

「いただきます」と地長も言った。

 僕は一口コーヒーを飲み、サンドウィッチを一口齧った。美味しいですか? と地長が訊ねてきたので、美味しいですと僕は正直な感想をいった。お世辞でもなんでもなく、このサンドウィッチは美味しかった。歯ごたえも丁度良く、玉子はとても柔らかかった。僕はすぐに二口目を齧った。やはり美味しい。これを不味いと感想を覚えるものは、味覚症かサンドウィッチになにかしらトラウマがある者だけだろうと僕は思った。

 僕は地長の後ろにある窓――田の形をした窓枠の方だ――に目をやった。新しい朝を迎えた空は無垢な少女の瞳のように澄んだ空をしており、雲は存在しなかった。鳥が三匹ほど宙を舞っており、まるで新たな朝を歓迎しているようだった。そしてはしゃぐ子供の声も外からした。その声はまるで余韻のように遠いところから聴こえてくるものに思えた。そして実に平和で、懐かしく思えた。

「平和でしょう?」と地長は自慢するかのように言い、先程見た写真のように幸せそうな笑みを浮かべた。「この街は私の家族のようなもんですよ。いや、この西地方ノスタルジアは私の家族です」


  

 

  

 

はい。四話目でした。なんかサンドウィッチしか書いていないような気がしますが、ちゃんと話進んでいますよ。なにせプロットが短くても長くなっちゃうのが僕の欠点なので…

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