第8話 ギルバート・オルディニア
新入生のホームルームが終わると、皇立学園ではさっそく各自が選択した授業の初回オリエンテーションが始まった。
この学園では、学年に関係なく好きな授業を選択できる。
そのため、広大な敷地内にある各訓練場や講義室には、新入生から上級生まで様々な年齢の生徒たちが集まっていた。
レイ・ノヴァクが最初に向かったのは、敷地東側にある第一訓練場。
彼が選んだのは、基本的な剣の扱いを学ぶ『剣術初級』だった。
「……ここかな」
レイは手元の時間割を確認しながら、訓練場へ入っていく。
そこには新入生を中心に、二年生ほどまでの生徒が二十人ほど集まっていた。
訓練場の正面には、一人の厳つい男が立っている。
黒い教官服。
顔にはいくつもの古傷。
そして、右目を覆う黒い眼帯。
残された左目だけでも、生徒たちを震え上がらせるには十分な迫力があった。
彼の名はバルフレア。
かつて皇国騎士団に所属し、『鬼鉄』の異名で恐れられた歴戦の戦士である。
「これより、実力測定を兼ねた模擬戦を行う」
低い声が訓練場に響く。
「貴族の子弟だからといって、剣が振れるとは限らん。逆に、平民だからといって弱いとも限らん。まずは自分がどの程度の実力なのか、己自身で知れ」
生徒たちが緊張した面持ちになる。
しかし、その中でレイだけはいつもの調子だった。
(模擬戦か……)
レイはぼんやりと訓練場を見回した。
実家でも父親のルイや領地の騎士たちと剣を交えることはあった。
ただ、レイ自身は剣の道を極めたいと思っているわけではない。
領地を守るために必要だから習っている。
その程度の認識だった。
「そこの新入生」
「はい?」
バルフレアの声に、レイが顔を上げる。
「前へ出ろ」
「僕ですか?」
「お前以外に誰がいる」
「そうですね」
レイはのんびりと前へ歩いていった。
バルフレアが手元の名簿を見る。
「ノヴァク辺境伯家の嫡男、レイ・ノヴァクか」
「はい」
「ならば、お前の実力を見せてもらおう。相手は――」
バルフレアが訓練場の端を見る。
「ギルバート」
「承知しました」
一人の青年が歩み出た。
十七歳。
五年生。
生徒会副会長を務めるギルバート・オルディニアだった。
学園でも屈指の剣士として知られる彼は、訓練用の木剣を手に取るとレイの前に立った。
「よろしく、後輩」
「よろしくお願いします」
レイも木剣を受け取る。
ギルバートはレイの構えを見て、少しだけ眉を上げた。
剣先が少し下がっている。
重心も特に定まっていない。
お世辞にも綺麗な構えとは言えなかった。
(……随分と自然体だな)
ただ、油断しているようにも見える。
ギルバートは軽く息を吐いた。
「まずはお前から来るといい」
「分かりました」
レイは一歩踏み込んだ。
「やっ」
スッ。
木剣が真っ直ぐ振り下ろされる。
ギルバートはそれを簡単に受け止めた。
カンッ。
「うん。素直な一撃だな」
「ありがとうございます」
「褒めてはいないぞ」
「そうなんですか」
レイは少しだけ苦笑した。
そして再び構える。
今度は少しだけ横から。
カンッ。
また受け止められる。
「……」
レイは首を傾げた。
(やっぱり、先輩は強いな)
実家で相手をしてくれた新兵たちとは明らかに違う。
木剣を合わせた瞬間に、相手の技量が分かる。
力もある。
動きも速い。
何より、無駄が少ない。
(僕ももう少し頑張らないと)
レイは少しだけ真面目になった。
それでも、力を込めすぎるつもりはない。
あくまで授業の模擬戦だ。
「もう一度、お願いします」
レイが踏み込む。
今度は先ほどより少し速い。
ギルバートも、それに合わせて木剣を動かす。
カン。
カンッ。
二人の木剣が何度か交差した。
周囲の生徒たちは、少しずつ興味を持ち始めていた。
「一年生にしては、結構動けるな」
「でもギルバート先輩が完全に上だろ」
「そりゃそうだろ。五年生だぞ」
実際、その通りだった。
レイは善戦している。
しかし、ギルバートにはまだ余裕がある。
レイが一度踏み込めば、ギルバートは半歩下がって受ける。
レイが横から振れば、木剣を合わせて軌道を逸らす。
レイが少し速度を上げても、ギルバートは落ち着いて対応していた。
(……やっぱり敵わないな)
レイ自身もそう感じていた。
ただ、ここで簡単に終わるのも少し申し訳ない。
「もう少しだけ、続けてもいいですか?」
「もちろんだ」
ギルバートが笑う。
「遠慮なく来い」
レイは小さく頷いた。
そして、再び木剣を振る。
今度はこれまでより少しだけ速く。
ギルバートも応じる。
カンッ!
木剣がぶつかる。
レイが一歩下がる。
ギルバートが踏み込む。
横薙ぎ。
レイは身体を傾けて避ける。
続く二撃目を木剣で受ける。
カァンッ!
「……!」
レイの腕に軽い痺れが走った。
(結構重いな)
やはり、年齢と鍛錬量の差は大きい。
レイは少しだけ力を込めて木剣を押し返した。
ギルバートの剣がわずかに逸れる。
「おっと」
ギルバートが体勢を立て直す。
レイはその隙に距離を取った。
「ふう……」
小さく息を吐く。
思っていたよりも疲れる。
その様子を見て、ギルバートは微笑んだ。
(なるほど)
確かに、この少年は普通の一年生より強い。
剣の基礎もできている。
反応も悪くない。
ただし――。
(まだまだ粗い)
動きには無駄が多い。
足運びも不安定。
攻撃の組み立ても単純だ。
何より、ギルバートと自分との間には明確な実力差がある。
ギルバートはそう判断した。
「ここまで!」
バルフレアの声が響いた。
二人が木剣を下ろす。
「ありがとうございました」
レイは素直に頭を下げた。
「こちらこそ。いい動きだったぞ」
ギルバートも頷く。
「ただ、剣を扱うなら足元をもう少し意識した方がいい。上半身だけで振っている部分がある」
「なるほど……」
レイは素直に頷いた。
「ありがとうございます。勉強になりました」
「どういたしまして」
ギルバートは木剣を肩に担いだ。
その表情には、先ほどまでの警戒感はない。
むしろ、一人の後輩に対する純粋な評価が浮かんでいた。
一方、バルフレアもレイを見る。
「ノヴァク」
「はい」
「お前は剣術を習ったことがあるな」
「はい。父上や領地の騎士たちに教えてもらいました」
「なるほど」
バルフレアは頷いた。
「基礎は悪くない。だが、まだ実戦経験が足りんな」
「そうですか」
「それに、力任せに振っているところがある。もっと身体全体を使え」
「分かりました」
レイは真面目に頷いた。
(やっぱり、僕はまだまだなんだな)
父親のルイと剣を交えると、いつも一瞬で木剣を弾き飛ばされる。
領地の騎士たちと戦っても、勝ったり負けたりだ。
だからレイは、自分が特別強いとは思っていなかった。
むしろ――。
(もっと鍛えないとな)
そんなことを考えていた。
「それでは次の者」
バルフレアが別の生徒を呼ぶ。
レイは訓練場の端へ戻った。
その途中、ギルバートが声をかけてくる。
「ノヴァク」
「はい?」
「また機会があれば手合わせしよう」
「いいんですか?」
「ああ」
ギルバートは笑った。
「お前はまだ伸びる。今度会うときに、どれだけ変わっているか楽しみにしている」
「ありがとうございます」
レイも笑顔を返す。
「僕も頑張ります」
こうして、レイにとっての最初の剣術の授業は終わった。
学園最強の上級生を相手に圧倒したわけではない。
むしろ、実力差ははっきりしていた。
だが――。
一年生としては十分に優秀。
基礎がしっかりしており、身体能力にも恵まれている。
そして何より、本人に鍛錬を続ける意思がある。
バルフレアは、そんな評価をレイに下した。
一方のレイはというと。
「……次は基礎魔法構築か」
時間割を確認して、小さく欠伸をする。
「その前に、どこかで水でも飲もうかな」
そんなことを考えていた。
まだ入学初日。
レイにとっては、これから始まる学園生活のほんの一ページに過ぎない。
――だが。
本人が気づいていないところで、彼の名前は少しずつ学園内に知られ始めていた。
「ノヴァクって一年生、結構剣ができるらしいぞ」
「ギルバート先輩と模擬戦したんだって?」
「さすがノヴァク辺境伯家の嫡男ってことか」
そんな小さな噂が、静かに広がっていく。
そしてレイ自身は――。
「今日は早く帰って寝たいなぁ」
相変わらず、のんびりとした歩調で次の教室へ向かっていた。




