第6話 白亜の門
皇立学園の正門は、アルカディアス皇国の威信を象徴するかのように、目も眩むような白大理石で築かれていた。
青空に向かってそびえ立つその壮麗な門の周囲には、今日という日を迎えた新入生たちと、その家族や従者たちがひしめき合い、独特の熱気と緊張感が漂っている。
レイ・ノヴァクは、肩にかけた軽い鞄の紐を直しながら、その人混みをいつものリラックスした雰囲気で、のんびりとした足取りで歩いていた。
周囲の貴族の生徒たちが、これ以上ないほど隙なく丁寧に着こなした制服に身を包んでいる中、レイの佇まいは相変わらずだった。
教師に見つかれば小言を言われそうなほど緩やかな姿勢だが、本人はいたって気楽なものだ。
全員が同じデザインの学園指定制服を着用しているからこそ、そののんびりとした雰囲気だけが妙に際立っている。
「――あら、レイ卿。お久しぶりです」
背後からかけられた気品ある声に振り返ると、そこには見事な銀髪をなびかせた少女が立っていた。
第二皇女、エルリア・フォン・アルカディアス。
彼女は数日前の道中とは異なり、皇族としての威厳をまとい、制服を美しく着こなしていた。
だが、レイのあまりにリラックスした佇まいを見るなり、その碧眼にどこか親しみのある苦笑を浮かべる。
「殿下、お久しぶりです。相変わらずお綺麗な格好ですね」
「ふふ、これでも皇族ですもの。それよりもレイ卿、学園でもそののんびりした雰囲気を貫くつもりですの? 入学式の間くらいは、せめてもう少し緊張感を持たれた方がよろしいかと思いますわ」
「いやあ、これが一番落ち着くんです。怒られたら考えますよ」
のんびりと笑うレイに、エルリアは「相変わらずですわね」と肩をすくめた。
エルリアがレイに積極的に話しかけているのは、単なる親愛だけではない。
彼女の持つ知識――この世界がゲームであるという記憶に基づき、将来的に物語の中心人物となるレイと、ここで確実に絆を深めておきたいという思惑もあった。
「レイ、そんなところで何をして……え?」
そこへ、もう一つの華やかな声が割り込んできた。
艶やかな茶髪を揺らしながら近づいてきたのは、フローレンス公爵令嬢ミリィだった。
十三歳とは思えない完成された美貌に、周囲の男子生徒たちの視線が一斉に集まる。
しかし、ミリィの瞳はエルリアと親しげに言葉を交わすレイの姿を捉えた瞬間、わずかに強張った。
(――わかってはいたけど、親しげね)
ミリィの頭の中に、複雑な感情が駆け巡る。
彼女のゲーム知識では、エルリアとレイの本格的な接触はもっと後のはずだった。
それなのに、すでに道中で共に行動し、こうして入学式の日にも自然に言葉を交わしている。
(やっぱり、私が知っているシナリオからかなりズレてる……)
ミリィは内心でため息をついた。
「ミリィ、ごきげんようですわ。貴方も今到着して? 丁度いま、レイ卿と学園での選択科目の話をしていたところですの」
「ええ、ごきげんよう、エルリア殿下」
ミリィは優雅に礼をする。
そして、ちらりとレイを見る。
「……レイ、貴方、殿下相手にそんなリラックスした格好で失礼ではありませんの? 昔から少し緩いところがあったけれど、学園でもそれを直すつもりはないのね」
「ミリィも久しぶり。殿下は許してくれたから大丈夫だよ。それより、二人ともなんだかピリピリしてない?」
レイは二人の間に漂う、説明のつかない微妙な空気感を察して、困ったように頬を掻いた。
「朝一番の空気のせいかな」
「気のせいですわ」
「気のせいですわよ、レイ」
綺麗にハモった二人の言葉に、レイは「それならいいんだけど」と、それ以上の追及を諦めた。
女の子同士の会話は、剣の模擬戦よりも難しい。
そんな結論を、レイは心の中でひっそりと出していた。
◇
やがて開式の鐘が響き渡り、新入生たちは広大な講堂へと集められた。
天井が高く、ステンドグラスから差し込む光が石畳の床を彩る厳かな空間。
レイは男子生徒の列の後方に並び、退屈そうに式典の進行を待っていた。
やがて、壇上のマイクの前に一人の青年が立った。
その姿が現れた瞬間、講堂内の空気が一変する。
銀髪碧眼。
完璧に整った容姿。
立っているだけで周囲の視線を集めてしまうほどの圧倒的な存在感。
彼こそが、アルカディアス皇国第一皇子であり、この学園の生徒会長を務めるアルトリウス・フォン・アルカディアスだった。
アルトリウスは、講堂を埋め尽くす新入生たちを静かに見渡すと、朗々とした声で語り始めた。
「新入生諸君。我が皇立学園へようこそ」
その声には、不思議なほど人を惹きつける力があった。
「諸君らは皆、血筋や才能、あるいは過酷な試験を勝ち抜いた知性を持つ、選ばれた者たちだ。だが、私は諸君らに単なる平穏な学びの場を提供するつもりはない」
アルトリウスの切れ長の瞳が鋭い光を放つ。
「世界は今、魔物たちが活発化している。誰もその原因を突き止められず、ただ右往左往するばかりだ。だが、私は違う。我が能力は、魔物を討伐し、この世界に真の平穏をもたらすためにある。そして、この学園に集った諸君らもまた、その大いなる営みの一端を担うべき存在だ」
演説は自信に満ちあふれていた。
そして、彼の言葉にはそれを納得させるだけの圧倒的な説得力とカリスマ性があった。
「私が最も尊重せねばならぬことは、ただ生きることにはあらず。よく生きることなり。美しく、誇り高く、己の信念を全うして生きることだ。諸君らがこの学園で、自らの信念を見出し、共に世界を導く光となることを期待する」
アルトリウスが演説を終える。
一瞬の静寂。
そして――。
講堂内は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
多くの生徒たちが、その強烈な理想に魅了され、興奮に目を輝かせている。
(――うーん、すごい人だな)
レイも周囲に合わせて拍手をする。
(王族って、ああいう演説もできないといけないんだな)
アルトリウスの言葉には、確かな力があった。
レイ自身、話を聞いているだけで少し背筋が伸びるような感覚を覚えていた。
ただ――。
(僕にはちょっと堅苦しいかな……)
レイにとって大切なのは、世界を導くことではない。
自領の平穏。
家族との時間。
そして、できれば静かな学園生活。
(早く終わって、寮で昼寝したいな……)
そんなことを考えながら、レイは最後まで拍手を続けていた。
◇
入学式が終わり、新入生たちがそれぞれの教室へと移動を始める中。
講堂の裏手にある厳かな造りの生徒会室には、すでに四人の姿があった。
中央の豪華な椅子に深く腰掛けているのは、先ほど完璧な演説を終えたばかりのアルトリウス。
その傍らに、実直な面持ちで控えているのは、オルディニア伯爵家の長男であり、生徒会副会長を務めるギルバート・オルディニアだった。
「アル、今日の演説も見事だった。新入生は皆、お前の演説に心を奪われているようだったぞ」
ギルバートは、心から尊敬する主へ向けて誇らしげに言った。
幼い頃から武芸を競い合い、アルトリウスの近衛騎士になるために努力を重ねてきた彼は、アルトリウスの理想を最も理解し、深く賛同している男だった。
「当然だ、ギルバート。美しき言葉は、美しき魂に宿る。彼らもまた、よく生きるための第一歩を踏み出したんだ」
アルトリウスはふっと優雅に微笑んだ。
その横で、書類の束を整理していた会計のレオンハルト・フローレンスが、眼鏡の奥の瞳を少しだけ動かしてため息をつく。
「会長、理想を語るのも結構ですが、皇族としての責務とのバランスも考慮していただかないと。魔獣を狩れる者は騎士団におりますが、皇帝になれるのは一人だけなんですから……」
「相変わらず手厳しいな、レオン。だが、実質的な政務を補える者はいるからな。目の前にも」
「……まったく、半分も伝わっていませんね」
レオンハルトは小さく呟いた。
ミリィの兄であり、将来の宰相候補と目される彼は、アルトリウスの知能面を支える参謀役だった。
アルトリウスの極端な理想主義を現実の枠に収めるためのブレーキ役を自認しているが、その言葉がアルトリウスに届くことは滅多にない。
そこへ、室内のソファに大雑把な動作で座っていた書記のリゼットが、思い出したように手を挙げた。
「あ、そういえばさ、アル。昨日ちょっと面白い新入生を見かけたのよね」
「面白い、だと?」
アルトリウスが振り返る。
「リゼット、私の前でその言葉を使うからには、相応の『美』がそこになければならんぞ」
「いや、美っていうか……才能が面白いのよ」
リゼットは昨日の西の洞窟での出来事を話し始めた。
「ノヴァク家のレイって子なんだけどね。私がジャイアントバットの群れと戦ってた時、後ろでぼんやり見てるだけかと思ったら、近づいてきた魔物を風魔法で倒したのよ」
「風魔法か」
レオンハルトが顔を上げる。
「うん。魔法陣も使わずに、指先だけでね。ただ――」
リゼットは少し考えるように首を傾げた。
「昨日見た感じだと、まだ何でも完璧にできるって感じじゃなかったわ」
「ほう?」
アルトリウスが興味深そうに眉を上げる。
「最初の一撃はかなり綺麗だったけど、何発か撃った後は明らかに精度が落ちてた。魔力の流れも少し乱れてたし。たぶん、あれは本人の感覚で無理やり風を操ってるんじゃないかな」
リゼットは冒険者として培った観察眼を思い返す。
「少なくとも、私が見た限りじゃ『完成された魔法使い』って感じじゃない。むしろ、これから伸びるタイプだと思う」
レオンハルトは興味深そうに眼鏡を押し上げた。
「なるほど……」
「それでも、新入生としてはかなりの実力だったけどね」
リゼットは付け加える。
「ジャイアントバット程度なら、私一人でも時間をかければ倒せる。でも、あの子が後ろから援護してくれたおかげで、かなり早く片付いた」
ギルバートが腕を組む。
「つまり、魔力量か魔法適性は高いが、技術面にはまだ粗さがあるということか」
「たぶんね」
「ならば、今の段階ではそれほど警戒する必要もないだろう」
ギルバートはそう結論づけた。
彼自身、学園でも上位に位置する武の実力者だ。
アルトリウスの訓練相手を務めるほどの彼からすれば、十三歳の新入生など、才能があったとしてもまだ未完成な存在に過ぎない。
「だが――」
レオンハルトが静かに口を挟む。
「十三歳で、魔法陣なしの魔法を実戦で使えるのなら、十分に注目すべきでしょう」
「そうだな」
アルトリウスが頷いた。
「ノヴァク家は、代々精霊との繋がりが深いと聞く。ならば、その少年もまた、その血を受け継いでいるのだろう」
アルトリウスは窓の外へ視線を向けた。
新入生たちが、これから始まる学園生活への期待に胸を膨らませながら歩いている。
「しかし、十三歳ならば、まだこれからだ」
アルトリウスは楽しげに微笑んだ。
「才能がある者ほど、己の未熟さを知ることになる。学園とは、そういう場所でもあるからな」
「アルにしては珍しく、まともなことを言ったわね」
リゼットが笑う。
「私はいつだって美しく正しいことしか言っていないぞ?」
「はいはい」
リゼットは適当に流した。
その一方で、レオンハルトは静かに考えていた。
(ノヴァク家の嫡男……)
辺境伯領という特殊な環境で育ち、精霊魔法に優れ、十三歳にして実戦経験もある。
しかも、本人には権力欲や名声欲がほとんどないという。
(これは、少し興味深いな)
だが、それ以上に気になったのは――。
「そういえば、ミリィが以前からレイのことを気にしていた理由も聞いていないな」
その言葉に、リゼットが「ああ」と頷いた。
「幼馴染なんでしょ? 昨日も一緒にいたわよ」
「……そうか」
レオンハルトは妹の顔を思い浮かべる。
何かを知っているような、知らないような。
あのミリィが、あの少年について妙に意識している。
「まあ、しばらく様子を見るとしよう」
アルトリウスが立ち上がった。
「一年生のうちから完成されている必要などない。むしろ、これからどこまで成長するかを見る方が面白い」
「はっ」
ギルバートが頷く。
「ただの有望な一年生として、覚えておこう」
「そうね」
リゼットも笑った。
生徒会室の窓の外では、新入生たちがこれからの学園生活に胸を膨らませて行き交っている。
その中には、レイ・ノヴァクの姿もあった。
彼はまだ知らない。
自分がすでに生徒会の一部から注目され始めていることを。
そして――。
この学園で多くを学び、時に敗れ、時に仲間に助けられながら、自分でも知らなかった才能を少しずつ開花させていくことを。
今のレイは、まだ完成された英雄ではない。
ただ、同年代の中では突出した才能を持つ、一人の少年に過ぎない。
だからこそ――。
この先の成長には、まだ大きな余地が残されていた。




