第5話 皇都での冒険
「――ちょっと、あんた。突っ立ってないで、ついてきなさいよ」
リゼットの有無を言わせぬ強い声音が、広場に響いた。
大男たちの冒険者パーティーが、先ほどレイの提示した解決策に納得し、まだ防具の表面に残るかすかな温もりに首を傾げながら『東の森』へと去っていった直後のことだった。
「え? 僕ですか?」
レイは自分の胸に人差し指を向け、形の良い眉を少し下げた。
「そうよ、あんた以外に誰がいるの。さっきの防具の細工、魔法の付与でしょ?」
リゼットはレイをじろじろと観察する。
「あれだけ自然に魔力を流せるなら、そこそこ腕は立つんでしょう? 西の洞窟のコウモリ駆除、手伝ってもらうわよ。報酬は山分けにしてあげるから」
「いや、僕はただ通りすがりの……それに、入学前だからあまり目立つようなことは」
「いいから来なさいって! ほら、行くわよ!」
リゼットはレイの着崩した制服の袖をぐいと引っ張ると、大雑把な手つきで彼を歩かせ始めた。
レイは断るための言葉をいくつか頭に浮かべた。
しかし、ここで無理に抵抗する方が目立つ気がする。
「……まあ、少しくらいなら」
観念したレイは、彼女の数歩後ろをついていくことにした。
のんびりとした歩調。
それにもかかわらず、リゼットが速度を上げても、レイは苦もなくその距離を維持していた。
それを見たリゼットは、ちらりと後ろを振り返る。
(……こいつ、歩いてるだけなのに妙に速いわね)
◇
皇都の西門を出て、なだらかな丘陵をしばらく歩いた先に、目的の『西の洞窟』は口を開けていた。
太陽の光が届かない内部は、ひんやりとした湿った空気に満ちている。
奥からは、キィキィという不快な高周波の鳴き声が無数に反響していた。
「いい、レイ?」
リゼットは腰の短剣を抜きながら振り返った。
「今回の標的はジャイアントバットが三十匹ほど。数は多いけど、一匹一匹はそこまで強くないわ」
そして洞窟の奥を指差す。
「私が前に出て数を減らす。あんたは後ろから魔法で援護して。無理に倒そうとしなくていいから、私が取りこぼした奴を処理してくれれば十分」
「分かりました」
「それと、危なくなったらすぐ下がりなさいよ。魔物退治は初めてなんでしょ?」
「まあ、何度かやったことはありますけど……」
「何度か?」
リゼットは怪訝そうに眉をひそめた。
「まあいいわ。とにかく無茶はしないこと」
「分かりました。じゃあ、後ろの方でぼんやりと見ていますね」
「ぼんやりしてたら死ぬわよ!」
リゼットは呆れたように言い捨てると、躊躇なく暗闇へ飛び込んでいった。
レイも少し遅れて、その後を追う。
シルフとアグニは大気と炎の中に姿を溶かしたまま、静かに戦況を見守っていた。
洞窟の奥で、すぐに戦闘が始まった。
キィィィッ!
翼を広げたジャイアントバットが、一斉にリゼットへ襲いかかる。
「――そこ!」
リゼットは一歩踏み込んだ。
短剣が閃く。
一匹。
続けて二匹。
さらに、背後から飛来した個体を身体を捻って避け、そのまま地面へ手をついた。
「――土よ!」
ゴッ!
地面ら鋭い岩の棘が突き出した。
飛行経路を塞がれた魔物が慌てて方向を変える。
そこへリゼットが飛び込んだ。
短剣が一閃。
また一匹。
(――なるほど)
レイは少し離れたところから、その動きを観察していた。
(かなり上手いな)
魔法の威力そのものは、突出しているわけではない。
しかし、使うタイミングが正確だった。
土魔法で相手の動きを制限し、光魔法で視界を奪い、その隙を短剣で突く。
一つ一つの技術を単独で見れば、レイが驚くほどのものではない。
だが、それらを組み合わせる判断力と身体能力は、かなり高い。
(この人、学生だったら相当強いんじゃないかな)
そう思ったところで、レイは首を傾げた。
(……まあ、学園にはもっと強い人もいるかもしれないけど)
レイには、自分がどの程度の位置にいるのか正確には分からなかった。
比較対象が父親なのだから、仕方がない。
「レイ! そっち!」
リゼットの声で、レイは顔を上げた。
三匹のジャイアントバットが、リゼットの横をすり抜けてこちらへ向かってきている。
鋭い牙には、かすかに毒の粘液が光っていた。
「あ、危ない! 避け――」
リゼットが叫ぶ。
レイは反射的に右手を上げた。
(シルフ、お願い)
『はーい!』
風が集まる。
しかし、以前のような巨大な風刃ではない。
レイは自分の魔力を抑えながら、必要最低限の力だけを風へと流し込んだ。
ヒュッ――!
三筋の風が走る。
一匹目の翼を切り裂き、二匹目の進路を逸らし、三匹目の身体を浅く切り裂いた。
「ギィッ!」
魔物たちは地面へ落下する。
完全に倒し切ったわけではない。
レイはすぐに距離を詰め、剣を抜いた。
「よっと」
一匹ずつ確実に仕留める。
「……え?」
リゼットの動きが止まった。
「今の……」
「すみません。少し取りこぼしました」
「いや、そうじゃなくて」
リゼットは目を細める。
(風魔法……?)
さっきの一撃は確かに速かった。
しかし、以前広場で見せた魔法付与ほど異常ではない。
魔法陣も詠唱もなかったが、魔力の流れはわずかに感じ取れた。
つまり――
(無詠唱で魔法を使えるってこと?)
それだけでも十分に珍しい。
だが、リゼットはすぐに意識を戦闘へ戻した。
「まだ残ってるわよ!」
「はい」
レイは頷いた。
今度は自分から前に出ることはしない。
リゼットが戦いやすいように、死角から飛んでくる魔物だけを風で弾く。
必要以上の魔力は使わない。
一撃で全部倒すこともできるかもしれない。
だが、それではリゼットの仕事を奪ってしまう。
何より――
(せっかくなら、この人の戦い方をもう少し見ていたいし)
レイはそんなことを考えながら、淡々と援護を続けた。
やがて、最後の一匹がリゼットの短剣によって地面へ落ちる。
「……ふぅ」
リゼットが息を吐いた。
「終わったわね」
「お疲れ様でした」
レイも剣を鞘へ戻す。
結局、三十匹以上いたジャイアントバットのうち、レイが直接倒したのは数匹だけだった。
それでも、彼の的確な援護によって、リゼットはほとんど傷を負うことなく戦闘を終えることができた。
◇
「……皇都の近くって、そんなに強い魔物は出ないんですね」
洞窟からの帰り道。
夕日に染まる街道を歩きながら、レイはのんびりと呟いた。
「何言っちゃってんのよ」
リゼットは呆れた顔をする。
「あれでも一般のCランク冒険者が何人かで受ける依頼よ。普通はもっと時間がかかるんだから」
「そうなんですか?」
「そうなの」
リゼットは深々とため息をついた。
「ただ……」
彼女はちらりとレイを見る。
「あんたの魔法、かなり変わってるわね」
「そうですか?」
「普通、無詠唱であんな細かい風魔法を連発できないわよ」
「父上に比べたら、まだまだです」
「またそれ?」
リゼットは頭を抱えた。
「その『父上』って人、どんだけ化け物なのよ……」
「ノヴァク領の辺境伯です」
「……」
リゼットが足を止めた。
「え?」
「あ、父上のこと知ってます?」
「知ってるも何も……」
リゼットは額に手を当てた。
ノヴァク辺境伯。
皇国でも屈指の実力を持つ戦士。
魔物の侵攻が激しい国境を長年守り続けている、いわば生ける伝説だ。
「……あんた、あの人の息子なの?」
「はい」
「なるほど……」
リゼットは妙に納得したような顔をした。
(そりゃ基準がおかしくなるわ)
◇
西門付近まで戻ると、先ほどの大男たちの冒険者パーティーが、ギルドから出てくるところだった。
「おう、リゼット!」
大男が手を上げる。
「……あんたたち、無事だったのね」
「ああ! おかげさまでな!」
男はレイを見ると、ニカッと笑った。
「そこの坊主にも礼を言わねえとな。防具の細工、助かったぜ」
「いえ、ちょっと魔法を付けただけなので」
「それができる時点で普通じゃねえんだよ!」
男は豪快に笑った。
「今度ギルドで会ったら、一杯奢らせてくれ!」
「お酒はまだ飲めませんけど……」
「ああ、そうだったな!」
男たちはハハハと笑いながら街の奥へ消えていった。
「……変な人たち」
リゼットは苦笑した。
そして、懐から銀貨を取り出す。
「ほら」
「?」
「今回の報酬。半分」
レイの手に銀貨を握らせる。
「でも、僕はほとんど何もしてませんよ?」
「援護してくれたでしょ。あんたがいなかったら、もっと時間がかかってた」
リゼットは少しだけ真剣な顔になる。
「それに……」
「あんた、まだ伸びるわよ」
「え?」
「魔法の威力そのものは、今の段階なら私と大差ない……いや、あんたの方が上かもしれない。でも、魔力操作の細かさと反応速度はかなり高い」
リゼットは腕を組んだ。
「ただ、実戦経験が少ないでしょ?」
「……そうですね」
レイは素直に頷いた。
「父上との模擬戦は多いですけど、冒険者みたいな戦い方はあまり経験がありません」
「なら、学園に入ったら色んな奴と戦ってみなさいよ」
リゼットはニヤリと笑う。
「皇立学園には、あんたみたいな才能のある奴がゴロゴロいるから」
「そうなんですか?」
「ええ。貴族の坊ちゃん嬢ちゃんだけじゃなくて、平民出身の天才とか、地方の名門とか、帝都の魔術師一族とか……化け物みたいな奴もいるわよ」
「へえ……」
レイの目が少しだけ輝いた。
「それは楽しみですね」
「お、珍しくやる気じゃない」
「いや、僕より父上に近い人がいるかもしれないので」
「……基準がそこなのね」
リゼットは呆れたように笑った。
「まあいいわ。学園で見かけたら、また声をかけるから」
「はい。その時はよろしくお願いします」
「じゃあね、レイ!」
リゼットは手を振りながら、ギルドの方へ歩き去っていった。
レイはその背中をしばらく眺めていた。
(学園には、僕より強い人もいるのかな)
それは少しだけ楽しみだった。
父親には、まだ遠く及ばない。
けれど、自分と同年代の人間と戦ったことは、ほとんどない。
もしかしたら――
自分がどの程度の強さなのか、初めて知ることができるかもしれない。
「……まあ、できれば目立たずに済ませたいけど」
そう呟いて、レイは再び皇都の街へ歩き出した。
◇
一人になったレイは、夕暮れ時の皇都をのんびりと歩いていた。
ガス灯のような魔導灯が街路に次々と点火され、夜の帳が下りるにつれて、皇都は昼間とは異なる幻想的な輝きを帯び始めている。
大通りの商店街を歩いていると、一軒の古びた、しかし独特の佇まいを持つ魔導具専門店が目に留まった。
ショーウィンドウには、地方では見かけることのない精緻な細工の施された魔導具が並んでいる。
「へえ……これは面白いな」
レイは引き寄せられるように店内へ足を踏み入れた。
店内の棚には、様々な属性のマナを宿した結晶や、魔法陣の構築を補助するための杖などが所狭しと並んでいる。
その中で、レイの視線は一つの小さな魔導具に釘付けになった。
手のひらに収まるほどの大きさ。
美しい銀細工で飾られた、方位磁針のような形をした魔導具だった。
「おや、お若いお客さん、お目が高い」
奥から出てきた老店主が、揉み手をしながら話しかけてくる。
「それは『マナ・チェッカー』の年代物でしてね」
「マナ・チェッカー?」
「周囲の大気中にあるマナの密度の偏りや、特定属性のマナの濃度を針の動きで示す代物です」
店主は嬉しそうに説明を続けた。
「現代の魔法陣で量産されたものとは違い、古い職人が一つ一つ術式を刻み込んだ珍品でしてな。実用性はともかく、コレクションとしては最高ですよ」
「なるほど……」
レイが魔導具を手に取る。
その瞬間。
内部の銀の針が、くるりと回った。
「……あれ?」
さらにもう一度。
くるくると回転する。
大気の中からそれを見ていたシルフが、楽しそうにはしゃいだ。
『ねえレイ! これ面白い!』
「そうだね」
『買って買って!』
「……これ、いくらですか?」
「学生さんなら、少し負けて銀貨五枚でどうです?」
レイは財布を確認する。
「ちょうどありますね」
先ほどリゼットからもらった報酬が、そのまま店主の手へ渡っていった。
「毎度あり!」
「……まあ、たまにはいいか」
レイは苦笑しながら魔導具をポケットへしまった。
マナ・チェッカー。
それは単なる古い魔導具に見えた。
だが――
レイの手の中でだけ、針は止まることなく回り続けていた。
「……変なの」
レイは首を傾げる。
しかし、それ以上深く考えることはなかった。
店を出る。
夜の皇都を吹き抜ける風が、金色の髪を優しく揺らした。
いよいよ明日。
皇立学園の入学式が始まる。
同年代の天才たち。
未知の魔法。
新しい友人。
そして――自分が今まで知らなかった「世界の広さ」。
レイはまだ知らない。
学園には、自分と肩を並べるほどの才能を持つ者が何人もいることを。
そして、その中には――
今のレイでは到底勝てないほどの実力者さえ存在することを。
「……明日は早いし、今日はもう寝ようかな」
そんなことを考えながら、レイは寮へ向かって歩いていった。
彼の目標は変わらない。
目立たず、のんびりと学園生活を送ること。
ただし――
それを許してくれるほど、皇立学園は平穏な場所ではなかった。




