第4話 リゼット
寮で簡単な手続きを済ませ、自室に荷物を置いたレイは、すぐに制服のボタンをまた一つ外した。
「……やっぱりこっちの方が楽だな」
そう呟きながら、皇都の街へ繰り出す。
皇都の市場は、珍しい魔導具や地方の特産品で溢れていた。
辺境では見たことのない品物ばかりで、レイは目を輝かせながら店を覗いていく。
「これ、何に使うんだろう?」
『知らない!』
「シルフも知らないの?」
『あたし、風の精霊だからね!』
「それは関係あるのかな……」
そんな会話をしながら歩いていると――
ふと、大通りから一本入った場所から、異様な怒号が響いてきた。
「おいおい、そりゃあねえだろ! こっちが先に目を付けてたんだ!」
「はぁ? 何言っちゃってんの。早い者勝ちに決まってるじゃない。あんたたちみたいなノロマに譲る義理はないわよ!」
「……揉めてるなぁ」
レイは足を止めた。
のんびり派のレイとしては、できれば関わりたくない。
しかし、目的地へ向かうには、その広場を突っ切るのが一番早かった。
「……仕方ないか」
レイは小さくため息をつき、広場へ入っていく。
そこには数人の体格の良い荒くれ者風の冒険者たちと、小柄な少女が対峙していた。
少女は十六歳前後だろうか。
動きやすそうな軽装の鎧を身に纏い、腰には短剣を帯びている。
気の強そうな瞳が、大男たちを真っ向から睨みつけていた。
(……ん?)
レイは少女の顔を見て、わずかに眉を寄せた。
どこかで見たことがある。
名前も、聞いた覚えがあるような――
(リゼット……?)
記憶の片隅に浮かんだ名前に、レイは首を傾げた。
その間にも、大男たちが一歩踏み出す。
今にも掴みかからんばかりの険悪な空気が漂っていた。
周囲の野次馬たちも遠巻きに見守るだけで、誰も止めようとはしない。
「……はぁ」
レイは再びため息をついた。
「すみません」
着崩した制服のポケットに手を突っ込んだまま、のんびりとした足取りで一触即発の空間へ割って入る。
「あの、ちょっと通してほしいんですけど」
場違いなほど緩い少年の声に、大男たちと少女――リゼットの視線が一斉にレイへ集まった。
「あんだぁ? ガキはすっこんでろ!」
「そうよ! 今ちょっとすごく揉めてるんだから、邪魔しないで!」
リゼットまでもがレイを睨みつけてくる。
「す、すみません……」
思わず少し気圧されるレイ。
しかし、ふと彼らの手元へ目を向けた。
そこには二枚の依頼書があった。
一枚は『東の森の薬草採取』。
もう一枚は『西の洞窟のコウモリ駆除』。
「……あの」
レイは首を傾げた。
「もしかして、どっちの依頼を受けるかで揉めてるんですか?」
「……おう、そうだよ!」
大男たちのリーダーが、ばつが悪そうに顔を赤くする。
「俺たちはなぁ、安全で実入りのいい『薬草採取』に行きたいんだよ!」
「なのに、このアマが!」
「誰がアマよ!」
「俺たちには『コウモリ駆除』がお似合いだって、薬草の依頼書を離さねえんだ!」
「当然でしょ!」
リゼットが即座に言い返す。
「あんたたちの装備、土属性の防具じゃない。東の森には今、火属性の毒虫が出るのよ? 相性が悪すぎて怪我人を出すに決まってるわ!」
「だからって、なんで俺たちがコウモリなんだよ!」
「西の洞窟なら、あんたたちの装備でも戦いやすいからよ!」
「なんだとぅ!?」
「まあまあ」
レイは両手を軽く上げた。
「なるほど。そういうことだったんですね」
今にも殺し合いが始まりそうな怒鳴り声だったが、蓋を開けてみれば、ただの依頼選びだった。
しかも、よく話を聞けば少女の方は、大男たちの安全を考えて忠告しているらしい。
「それなら……」
レイは大男たちの防具を眺めた。
「東の森の毒虫って、火属性なんですよね?」
「そうよ」
「だったら、火への耐性を少し上げれば大丈夫だと思います」
「……は?」
レイは大男の盾へ手を伸ばした。
「ちょっと触ってもいいですか?」
「お、おう?」
指先を軽く触れる。
シルフとアグニからわずかな力を借り、魔力を流す。
淡い赤色の光が一瞬だけ盾を包んだ。
「これで少しだけ火への耐性が上がりました」
「……」
大男が盾を眺める。
「ほんとだ……?」
「劇的に強くなったわけじゃありません。あくまで補助です」
レイは少し申し訳なさそうに笑った。
「これなら、東の森でも多少は安全になると思います。ただ、無理はしないでくださいね。危ないと思ったら、すぐ撤退してください」
「……」
大男たちは顔を見合わせる。
リゼットも、目を丸くしていた。
魔導具でもない。
魔法陣もない。
ただ触れただけで、装備に属性耐性を付与した。
高度な術式ではある。
しかし、それ以上に驚くべきなのは――
「……あんた」
リゼットがレイをじっと見つめた。
「今の、どうやったの?」
「え?」
「魔法陣も詠唱もなかったじゃない」
「ああ」
レイは少し考える。
「精霊の力を借りただけですよ」
「精霊……?」
「うん」
レイの肩の辺りに、緑色の小さな光が浮かぶ。
『あたしの力も使ったんだからね!』
「……」
リゼットは絶句した。
彼女は冒険者として、それなりに多くの魔術師を見てきた。
だから分かる。
今の術は、誰でも簡単に使えるものではない。
だが――
目の前の少年は、それを特別なことだとは思っていないらしい。
「それで……あんた、一体何者よ?」
リゼットの問いに、レイは少し困ったように笑った。
「えっと……」
自分が何者なのか。
改めて聞かれると、意外と答えに困る。
「皇立学園に入学する予定の、ただの学生です」
「……ただの学生?」
「はい」
あまりにも平然と言うものだから、リゼットは思わず眉間を押さえた。
「……絶対、普通の学生じゃないでしょ」
「そうかな?」
レイは首を傾げる。
その様子を見て、リゼットは深いため息をついた。
「……まあいいわ」
彼女は依頼書を掴み直した。
「少なくとも、あんたが変な奴だってことだけは分かった」
「褒められてる?」
「褒めてない!」
「そっか」
レイは苦笑した。
こうして――
皇都に到着してわずか数時間。
レイ・ノヴァクは、本人の意図とは裏腹に、新たな知り合いを一人増やすことになった。
そして彼自身は、まだ知らない。
この少女との出会いが、これから始まる学園生活において、思いのほか大きな意味を持つことを。




