第20話 出発前夜――それぞれの覚悟
遠征出発の前日。
皇都は、いつも以上に賑わっていた。
明朝に出港する学園の魔導調査船には、多くの教官や生徒、冒険者たちが乗り込むことになっている。
そのため、必要な物資を買い揃える者も多い。
「これで最後ですわね」
皇都の大通りを歩きながら、エルリアが買い物袋を確認する。
「食料、回復薬、魔力回復薬、保存食……」
「あと、地図」
ミリィが付け加える。
「それと予備の魔導具」
「……結構買ったね」
二人の荷物を眺めながら、レイが呟く。
「必要ですもの」
「備えあれば憂いなしよ」
「そっか」
レイは素直に納得した。
三人が向かったのは、以前レイが訪れた古びた魔導具店だった。
「いらっしゃい」
店の奥から、以前と同じ老人が顔を出す。
「おや。坊主か」
「こんにちは」
レイは軽く手を上げる。
「また来たのかい」
「うん。明日から遠征に行くから、何か使えそうなものがないかなって」
「島へ行くんじゃろ?」
老人の言葉に、三人が足を止める。
「知ってるの?」
ミリィが尋ねる。
「皇都中、その話で持ちきりじゃよ」
老人は棚からいくつかの魔導具を取り出した。
「魔力灯。簡易結界器。それから……」
レイが店内を見回す。
そして。
胸ポケットのマナ・チェッカーが、突然激しく震えた。
カタカタカタカタ――!
「え?」
レイが取り出す。
針が狂ったように回っている。
「なんじゃ、それは」
老人の顔から笑みが消えた。
「……その魔導具、どこで手に入れた?」
「ここで買ったよ」
「わしの店で?」
「うん」
老人はマナ・チェッカーを覗き込み、眉をひそめる。
「……妙じゃな」
「何が?」
「この辺りの魔力が、妙に偏っておる」
エルリアが周囲を見渡す。
「皇都の魔力が?」
「正確には、皇都だけではない」
老人が島の方向へ目を向ける。
「遠くから何かに引っ張られているような……」
その言葉に、レイの表情が僅かに曇った。
その瞬間。
風が吹いた。
レイの周囲だけ。
ふわり、と。
シルフが現れる。
『……嫌な風』
「……シルフ」
レイが小さく呟く。
エルリアとミリィには、精霊の姿は見えない。
ただ、風が妙な動きをしたことだけは分かった。
「どうしましたの?」
「……いや」
レイは少し迷ってから答えた。
「精霊が、島を嫌がってる」
「精霊が?」
エルリアが驚く。
ミリィも目を細めた。
「それって……かなり珍しいこと?」
「うん」
レイは頷いた。
「シルフもアグニも、あそこは嫌だって」
ミリィの表情が変わる。
ゲームの知識を持つ彼女にとっても、これは軽視できない。
――精霊が嫌がる。
そんな情報は、少なくとも彼女の記憶にはない。
だが。
「……確証はない」
ミリィは慎重に言葉を選んだ。
「だから、今は警戒しておきましょう」
「そうだね」
レイも頷いた。
エルリアは二人を見てから、少しだけ不安そうに微笑む。
「何事もなく終われば、一番ですわね」
「うん」
レイは笑った。
「まあ、なんとかなるよ」
「レイは本当に楽観的ですわね……」
「だって、まだ何も起きてないし」
その答えに、エルリアとミリィは顔を見合わせた。
そして、二人とも小さく笑った。
「……それもそうね」
「ええ」
その帰り道。
三人は皇都の大通りを歩いていた。
夕暮れの光が、建物の隙間から差し込んでいる。
その先に。
「レイ」
声をかけたのは、アルトリウスだった。
「アル先輩?」
「少し話さないか」
「いいですよ」
エルリアとミリィが少し離れる。
アルトリウスはレイと並んで歩き始めた。
「君は、恐ろしくないのか?」
「怖いですよ」
レイは素直に答えた。
「僕だって、危ないところに行くのは嫌ですから」
「ならば、なぜ行く?」
「……魔物が増えている原因を調べるためですよね?」
「ああ」
アルトリウスは頷く。
「皇国全体に魔物の被害が広がっている。このまま放置するわけにはいかない」
「そうですね」
レイは海の向こうを眺めた。
「それに、魔物が増え続けたら、ノヴァク領にも影響が出ますから」
「君は、やはり領地のことを第一に考えるのだな」
「はい」
レイは少し照れくさそうに笑った。
「僕は将来、ノヴァク領を継ぐので。領民が安心して暮らせるなら、それが一番です」
「それだけか?」
「それだけ……というわけでもないですけど」
レイは少し考える。
「皇都の人たちだって、困っていたら助けたいですよ。エルリアやミリィが危険なら、もちろん助けます」
「……なるほど」
アルトリウスは目を細めた。
「君は、世界を救いたいとは思わないのか?」
「世界、ですか?」
レイは困ったように笑う。
「そんな大きなこと、僕にはまだよく分かりません」
「……」
「目の前にいる人を助けて、その結果として皇国全体が少し平和になるなら、それで十分だと思います」
アルトリウスは黙ってレイを見る。
そして、ふっと笑った。
「……やはり君は面白い」
「そうですか?」
「ああ。私とは、ずいぶん考え方が違う」
「アル先輩は難しいことを考えすぎなんですよ」
「ほう?」
「僕はもっと簡単でいいと思います」
レイはいつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「大切な人を守れて、領民が平和に暮らせるなら、それでいいじゃないですか」
アルトリウスはしばらく黙っていた。
やがて、楽しそうに笑う。
「……それも、一つの美しい生き方なのかもしれんな」
「僕は別に、美しくなくてもいいですけどね」
「ははは!」
それ以上、アルトリウスは何も言わなかった。
ただ、隣を歩くレイを見る。
自分とは違う。
なのに。
なぜか、不思議なほど心地よい。
「では、レイ」
「はい?」
「島から生きて帰ろう」
「もちろんです」
レイは笑う。
その様子を少し離れた場所から見ていたミリィは、複雑そうな表情を浮かべる。
エルリアもまた、二人を眺めながら微笑んでいた。
やがて。
皇都の鐘が鳴る。
出発前夜を告げる鐘だった。
翌朝。
彼らは島へ向かう。
まだ誰も知らない。
その島で待っているものが何なのか。
ただ一つ確かなのは。
レイの肩に浮かぶシルフが、島の方角を見つめたまま、いつまでも笑わなかったことだった。




