第19話 島遠征――特級冒険者の警告
合同実戦演習から数日後。
皇立学園の大講堂には、今回の遠征に参加する生徒たちが集められていた。
壇上には、学園長や数名の教官。
そして、その中央に立つ一人の男へ、生徒たちの視線が集まっている。
年齢は四十代半ばほど。
鍛え上げられた身体に、使い込まれた装備。
特に目を引くのは、その男が一切の威圧を意識していないにもかかわらず、近くにいるだけで空気が重く感じられることだった。
「今回の遠征で、お前たちの救助・監視を担当する」
学園長が紹介する。
「皇国冒険者協会所属――特級冒険者、グレン・ハルヴァードだ」
ざわっ、と講堂が揺れた。
特級冒険者。
それは、単に冒険者として優秀というだけではない。
皇国が正式に認定する、最上位の冒険者資格。
国家から直接依頼を受けることすらある、いわば一人で戦況を変え得る存在だった。
そんな男が、学生たちの前に立っている。
グレンは生徒たちを一瞥すると、面倒そうに口を開いた。
「最初に言っておく」
低い声が講堂に響く。
「今回の遠征を、学園行事だと思っている奴は今すぐ帰れ」
空気が凍った。
「今回向かう島では、ここ数か月で魔物の活動が異常なほど活発化している。原因は不明。現地調査に入った冒険者もいるが、十分な情報を持ち帰れていない」
壇上の魔導投影装置に、島の地図が映し出される。
森林。
山岳。
海岸線。
そして島の中央付近には、巨大な魔力反応を示す赤い印がいくつも浮かんでいる。
「魔物の数が増えた。それだけならまだいい」
グレンが地図を指差した。
「問題は、魔力の流れそのものがおかしくなっていることだ」
「……」
生徒たちの表情が変わる。
「通常、魔力は大気中を循環している。地域によって多少の偏りはあるが、長期的には安定する。ところが、この島では魔力が一方向に偏り続けている」
「それは……」
誰かが小さく呟いた。
グレンは答える。
「俺にも原因は分からん」
その言葉に、逆に緊張が走った。
特級冒険者でさえ分からない。
それが今回の遠征だった。
「お前たちが調査するのは、その原因だ。ただし、勘違いするな」
グレンの視線が鋭くなる。
「原因を突き止めることより、自分が生きて帰ることを優先しろ」
その瞬間。
レイの胸ポケットに入っていた小さな魔導具が、
――カタッ。
と震えた。
「……ん?」
レイがポケットを押さえる。
以前、皇都の古い魔導具店で手に入れたマナ・チェッカーだった。
普段なら魔力の濃度に反応して針がゆっくり動く程度。
だが今は違う。
小さな針が、不規則に揺れている。
カタカタカタ――。
「……なんだこれ」
レイが眉を寄せた。
そして。
彼の肩の辺りで、緑色の小さな光が揺らめいた。
風の精霊――シルフ。
普段なら楽しそうに周囲を飛び回っている彼女が、今日は妙に静かだった。
『……レイ』
心の中に、いつもより小さな声が響く。
「どうしたの?」
『あそこ』
シルフが、投影された島を指差す。
『……嫌い』
レイの表情が僅かに変わった。
「嫌い?」
『うん。嫌な風がする』
続いて、赤い光がレイの足元に現れる。
火の精霊、アグニ。
『あの島……嫌だ』
「アグニまで?」
『あそこにある火は、変だ』
レイはしばらく黙った。
精霊が何かを嫌がる。
それは、レイにとって無視できることではなかった。
精霊たちは、十代前のノヴァク家当主ラルフの頃から、ずっと自分たちと共にいる。
彼らが何かを感じ取っているのなら、それには理由がある。
「……分かった」
レイは小さく呟いた。
「気をつけるよ」
『絶対だよ』
「うん」
そのやり取りを、少し離れた場所から見ていた人物がいた。
アルトリウス・フォン・アルカディアス。
アルカディアス皇国第一皇子にして、この学園の生徒会長。
銀髪碧眼の美しい少年は、レイから視線を外さなかった。
先日の合同実戦演習。
あの時から、アルトリウスはレイという少年を意識するようになっていた。
圧倒的な力を持っている。
それなのに、自分の強さを誇示しない。
危険を恐れないわけでもない。
むしろ危険を理解した上で、必要以上に踏み込まない。
その在り方が、アルトリウスには不思議だった。
そして今も。
特級冒険者の言葉に周囲が緊張する中、レイはただ静かに島を見ている。
恐怖しているようには見えない。
しかし、油断もしていない。
「……」
アルトリウスは目を細めた。
――やはり。
彼には何かがある。
単純な剣の強さでも、魔法の才能でもない。
もっと別のもの。
言葉にできない「凄み」。
それが、レイという少年にはあった。
「では、最後に一つ」
グレンが生徒たちを見渡す。
「島で異常を感じた場合、どうする?」
何人かが答えようとする。
だが、その前にグレンが一人を指差した。
「そこの金髪」
「え?」
レイだった。
「お前だ」
「僕ですか?」
「そうだ。どうする?」
レイは少し考えた。
「逃げられるなら逃げます」
「……ほう?」
「逃げられないなら戦います」
「それだけか?」
「無理そうなら助けを呼びます」
グレンの眉が僅かに動いた。
「理由は?」
「死んだら何もできないから」
「……」
「それに、一人でどうにもならないなら、誰かに頼った方が早いでしょう?」
講堂に微妙な沈黙が落ちた。
グレンは数秒レイを見つめる。
そして。
「その通りだ」
短く答えた。
「強い奴ほど、自分一人で何とかしようとする。だが、死んだらそこで終わりだ。生き残ることも実力のうちだ」
「なるほど」
レイは素直に頷いた。
「父上にも似たようなことを言われました」
「……そうか」
グレンは少しだけ笑った。
「なら、お前は大丈夫そうだな」
その横で、アルトリウスも静かに笑っていた。
レイはそれに気づかない。
ただ、もう一度ポケットのマナ・チェッカーを確認する。
針はまだ、不規則に揺れていた。
そしてシルフが、もう一度呟く。
『……嫌な風』
レイは少しだけ遠くを見る。
――なんだか嫌な予感がする。
しかし。
「まあ……」
レイは小さく息を吐いた。
「行ってみないと分からないか」
いつもの、のんびりした表情に戻った。




