第18話 人見知りの天才と、静かな警告
――島への遠征が決まってから、数日が経った。
学園内では、少しずつ遠征に向けた準備が始まっていた。
掲示板には必要な装備や提出書類が張り出され、生徒会の上級生たちは参加者の名簿や役割分担の確認に追われている。
レイもまた、放課後になると図書室へ向かうことが増えていた。
「……魔物の生態、地形、航路……」
机の上に積み上げた本を一冊ずつ眺める。
合同演習の時とは違う。
今回は、何が起こるか分からない実地調査だ。
学園の演習場なら、教官がいる。
魔物の強さも分かっている。
危険な場所には必ず安全装置がある。
しかし、今回の島にはそれがない。
「知らない場所って、やっぱり怖いな」
レイは小さく呟いた。
だからこそ、少しでも知識を増やしておきたかった。
ページをめくる。
魔物の習性。
島で確認された地形。
過去の航海記録。
そして、魔力濃度の変化について記された古い資料。
「……これ、面白いな」
レイが一人で読み進めていた、その時だった。
「……あ」
少し離れた席から、小さな声が聞こえた。
レイが顔を上げる。
そこにいたのは、一人の少女だった。
淡い金髪。
小柄な体。
膝の上には数冊の魔法書。
そして――
フィオナ・レムリア。
入学初日の魔法実技で、レイの近くに座っていた少女だった。
「フィオナ?」
「……っ」
名前を呼ばれた瞬間。
フィオナの肩がびくっと跳ねた。
そのまま本の陰に半分ほど顔を隠してしまう。
「あ……ご、ごめん」
レイが慌てて声を小さくする。
「驚かせた?」
「……だ、大丈夫」
か細い声が返ってきた。
レイは少し迷った。
フィオナは、入学してから何度か見かけた。
けれど、誰かと話しているところはほとんど見たことがない。
ただ――
「また魔法の勉強?」
「……うん」
「すごいね」
「え……?」
「この前の授業でも思ったけど、魔法陣がすごく綺麗だった」
「…………」
フィオナの顔が少し赤くなる。
「そ、そんな……」
「本当に」
レイは素直に言った。
「僕なんか、魔法陣を覚えるより感覚でやっちゃうから。ああいう綺麗な構築を見ると、ちゃんと勉強してる人ってすごいなって思う」
「……レイ君も、すごかった」
「僕?」
「うん……」
フィオナが少しだけ顔を上げた。
「あんなに早く魔法陣を……」
「あれはたまたまだよ」
「……」
フィオナは首を横に振った。
「違う」
「え?」
「魔法陣は……形だけなら覚えられる。でも、あんなに早く構築して、魔力を乱さずに維持するのは……普通じゃない」
意外なほどはっきりした声だった。
レイは少し驚いた。
「フィオナって、そういうの詳しいんだね」
「……魔法が好きだから」
そう言って、フィオナは再び俯いた。
「私は……それしか、できないから」
「それだけ?」
「……」
フィオナは答えなかった。
レイは少し考える。
そして。
「それって、すごく大事なことだと思うけど」
「……え?」
「好きなことがあって、それをずっと続けられるって、普通にすごいよ」
フィオナが目を瞬く。
「僕なんて、最近ようやく勉強し始めたところだし」
「……レイ君は、何でもできるから……」
「そんなことないよ」
レイは苦笑した。
「統治の授業なんて、エルリアとミリィの話を聞いて、僕が知らないことばっかりだったし」
「でも……」
「剣も魔法も、僕より上手い人はいるよ」
フィオナはじっとレイを見る。
彼が本気でそう思っているのが分かった。
「……変なの」
「よく言われる」
「ふふ……」
フィオナの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
レイも笑う。
しばらく二人で静かに本を読んでいた。
やがてレイが何気なく尋ねる。
「そういえば、フィオナも島に行くんだよね?」
「……うん」
「アルトリウス殿下のチーム?」
「……そう」
その瞬間。
フィオナの表情が少し曇った。
「どうしたの?」
「……私」
フィオナは膝の上で指を握る。
「足手まといに、なるかもしれない」
「どうして?」
「みんな……すごいから」
彼女は小さな声で続けた。
「殿下も、生徒会の人たちも……みんな戦い方が上手で、判断も早くて……」
「うん」
「私は魔法しかできないし……人と話すのも苦手で……」
「でも、魔法はすごいんでしょう?」
「……」
「だったら、それでいいんじゃない?」
「え?」
レイは本を閉じた。
「全員が同じことをできる必要なんてないよ」
「……」
「合同演習でも、僕はミリィの判断についていった。エルリアには全体を見てもらった」
「……うん」
「フィオナは魔法が得意なら、魔法が必要な時に頑張ればいい」
レイは、当たり前のことを言うように笑った。
「それだけでも、十分役に立つと思う」
フィオナはしばらく黙っていた。
そして。
「……ありがとう」
小さく、それでもはっきりと呟いた。
「どういたしまして」
レイは再び本を開いた。
「じゃあ、遠征頑張ろうね」
「……うん」
フィオナも本を開く。
先ほどまで震えていた指は、もう止まっていた。
◇
――その日の帰り道。
図書室を出たレイは、一人で廊下を歩いていた。
「……あれ?」
曲がり角の先に、人影がある。
「レイ・ノヴァク」
「……?」
立っていたのは、女子生徒だった。
生徒会の制服。
長い髪を後ろでまとめ、どこか人を食ったような笑みを浮かべている。
「リゼット先輩?」
「覚えてたのね」
「もちろん」
レイは以前、彼女に冒険に連れいて行かれた。
そして何度か生徒会の活動をしている彼女を見かけたことがあった。
彼女は生徒会書記。
そして――
人の感情の機微を読むことに、異常なほど長けている人物でもある。
「ちょっと、あんたに言っておきたいことがあるの」
「何ですか?」
「アルのこと」
「アル?」
「アルトリウス」
リゼットは肩を竦めた。
「あの人、あんたに興味持ってるでしょ」
「そうみたいですね」
「……普通、もう少し警戒しない?」
「何か悪い人なの?」
「そういう意味じゃない」
リゼットはため息をついた。
「むしろ逆よ」
そして、レイの目を見る。
「アルは、自分が正しいと思ったもののためなら、命すら平気で差し出す男なの」
「……」
「あの人は強い。頭もいい。人を惹きつける力もある」
リゼットの声が少しだけ真剣になる。
「でも、その理想の強さが尋常じゃない」
「理想……」
「そう」
リゼットは壁に寄りかかった。
「あんたには、あの人とは違う種類の危うさがある」
「僕が?」
「自覚がないところ」
「……」
「自分がどれだけ強いのか、どれだけ周りから注目されているのか、全然分かってない」
「そうかな」
「そうよ」
即答だった。
「しかも、あんたは自分より強い人間を見つけると、素直にそっちを信用する」
「うん」
「それが良いところでもある」
リゼットは少しだけ笑った。
「でも、相手が悪意を持っていたら危ない」
「……気をつけます」
「それと」
リゼットは一歩近づく。
「あんた、アルの理想に巻き込まれすぎない方がいい」
「?」
「アルは、理想のためなら自分を燃やせる人間よ」
その目に、一瞬だけ心配する色が浮かんだ。
「だから――」
リゼットは、静かに言った。
「あんたみたいな緩い奴が、あの人の強烈な光に焼き潰されないといいけどね」
レイは少し考えた。
「……難しいこと言いますね」
「分かってないでしょ」
「半分くらい」
「でしょうね」
リゼットは呆れたように笑った。
「まあいいわ」
彼女は踵を返す。
「ただ覚えておいて。アルは、あんたを面白がってるだけじゃない」
「……?」
「自分の理想を、一緒に見られる人間かもしれないと思ってる」
そう言い残し、リゼットは廊下の向こうへ消えていった。
一人残されたレイは、しばらくその場に立っていた。
「……アルトリウス殿下か」
そして、小さく息を吐く。
「やっぱり、すごい人なんだな」
だが。
「僕は僕でいいか」
レイはいつものように肩の力を抜いた。
「領地を守れる領主になれれば、それでいい」
そのまま寮へ向かって歩き出す。
――一方。
同じ頃、生徒会室では。
「アル」
リゼットが戻ってきた。
窓際に立っていたアルトリウスが振り返る。
「どうだった?」
「相変わらずよ」
「そうか」
「全然警戒してない」
リゼットは呆れたように言った。
「でも……」
「でも?」
「悪い子じゃない」
アルトリウスは微笑んだ。
「知っている」
「だからこそ厄介なのよ」
リゼットは窓の外を見る。
夕暮れの学園。
その向こうには、まだ見ぬ島がある。
「……あの子、本当に無事に帰ってこられるのかしら」
誰も答えなかった。
やがてアルトリウスが、静かに目を細める。
「だからこそ――」
その声には、第一皇子としての強い意志が宿っていた。
「私が、見ている必要がある」
島への遠征まで、残された時間は少ない。
それぞれの思惑を抱えながら。
レイたちの準備は、静かに進んでいった。




