第13話 合同実戦演習 開始
――合同実戦演習当日。
皇立学園の東側に設けられた演習区画には、朝から大勢の生徒たちが集まっていた。
普段の訓練場とは違い、そこには巨大な石造りの門がそびえ立っている。
門の向こうに広がっているのは、学園が実戦訓練用に管理している特殊演習領域。
内部には森林、岩場、洞窟、廃墟など、複数の地形を再現した区画が存在し、魔術によって構築された擬似魔物や罠まで配置されている。
今回の課題は単純だった。
三人一組で演習領域へ入り、最奥に設置された到達結晶へたどり着くこと。
ただし、評価されるのは到達時間だけではない。
戦闘による消耗。
魔力の管理。
負傷の有無。
そして――三人がどれだけ適切に役割を分担できたか。
それらを総合して順位が決定される。
「つまり、力任せに進めばいいって話じゃないんだね」
開始地点に立ったレイ・ノヴァクは、配布された資料を眺めながら呟いた。
「ええ。むしろ、そこを見られるのでしょうね」
隣に立つエルリアが答える。
「この演習は、単純な討伐競争ではありませんもの」
「うん」
反対側に立つミリィも頷いた。
「魔物を全部倒す必要もない。避けられるなら避けた方がいいし、罠も解除するより迂回した方が早い場合がある」
「なるほど」
レイは素直に頷いた。
「それなら、僕たちはなるべく戦わない方がいいね」
「……」
ミリィがレイを見る。
「そこまで極端に考えなくてもいいわよ」
「そう?」
「ええ。戦闘を避けることそのものが目的じゃないから」
ミリィは少しだけ考えてから続けた。
「時間、消耗、危険性。その三つを比較して、一番効率のいい方法を選ぶ。それが今回の演習だと思う」
「じゃあ、ミリィに任せよう」
「え?」
「そういう判断は僕より得意そうだから」
あっさりと言われ、ミリィは一瞬だけ目を丸くした。
そして、小さく笑う。
「……分かったわ。じゃあ、遠慮なく指示するから」
「うん」
「レイはちゃんと聞いてね?」
「もちろん」
そのやり取りを見ていたエルリアも、微笑ましそうに二人を眺めていた。
「では、私は全体の状況を見ますわ。レイは必要なところで前に出てください」
「了解」
非常に簡単な役割分担だった。
だが、レイは以前とは少し違っていた。
自分が何でもできるからといって、自分一人で全部やろうとはしない。
統治の授業。
そして放課後のカフェでエルリアやミリィと話した時間。
そこで知ったのだ。
――人の上に立つということは、自分一人ですべてをこなすことではない。
自分より得意な人間に仕事を任せ、その力を組み合わせることもまた、領主として必要な能力なのだと。
「それでは、全班、準備!」
前方から教官の声が響いた。
ざわめきが止まる。
生徒たちが一斉に演習領域の入口へ視線を向けた。
「開始まで、あと十秒!」
レイは軽く首を回す。
「なんだか運動会みたいだね」
「緊張感がありませんわね……」
エルリアが苦笑する。
「レイらしいけど」
ミリィも呆れたように笑った。
「五!」
「四!」
「三!」
「二!」
「一!」
「――開始!」
直後。
各班が一斉に走り出した。
勢いよく正面へ突っ込んでいく班。
開始地点から左右へ散っていく班。
魔法による索敵を行ってから慎重に進む班。
それぞれが自分たちの作戦に従って動き始める。
その中でも、ひときわ速かったのが五年生を中心とした生徒会チームだった。
「前方、魔物三体!」
「私が右を抑える!」
「任せろ!」
ギルバート・オルディニアが先頭を走る。
迷いのない動きだった。
彼らはこれまで何度もこうした実戦形式の訓練を経験している。
魔物の出現位置を確認すると、最短の動線を選び、三人がほとんど言葉を交わすことなく連携していく。
ギルバートの木剣が一体目の魔物を吹き飛ばす。
直後、仲間の魔法が二体目の動きを止める。
残った一体をもう一人が仕留めた。
「そのまま進むぞ!」
開始からわずか数分。
生徒会チームはすでにかなり奥まで進んでいた。
監督役の教官たちからも声が上がる。
「やはり速いな」
「経験の差が出ている」
「今年も上級生が有利か」
しかし。
その頃。
レイたちは、正反対の動きをしていた。
「……止まって」
ミリィが小さく手を上げる。
三人が足を止めた。
「どうしたの?」
「前方に魔物が二体。……でも、戦わない」
「分かるの?」
「足跡があるもの」
ミリィが地面を指差した。
「この先に三体目がいる可能性が高い。たぶん、ここは挟撃する配置」
「なるほど」
エルリアが周囲を見る。
「では、右側へ迂回しますか?」
「そうね。……あっちなら高低差を利用できる」
ミリィが進行方向を変える。
レイは素直についていく。
「なんか、僕は戦うより歩いてる時間の方が長いね」
「それでいいのですわ」
「そう?」
「ええ。戦わずに済むなら、その方が体力も魔力も温存できますもの」
「なるほど」
レイは納得した。
そして、少し歩いたところで。
「……あ」
レイが足を止めた。
「どうしたの?」
「こっち」
レイが右手を岩壁へ向ける。
「何かある」
「何かって……?」
「分からないけど」
ミリィが怪訝そうな顔をしながら近づく。
岩壁には何の変哲もない。
「……私には何も見えないけど」
「うん。でも、向こう側が空洞っぽい」
レイが軽く岩を叩く。
コン、コン。
返ってくる音が僅かに違う。
「本当だ」
エルリアも気づいた。
「中が空洞ですわ」
「隠し通路かもしれないわね」
ミリィが周囲を調べる。
「でも、無理に開けるのは危険よ」
「じゃあ、ちょっとだけ」
レイが岩壁に手を当てた。
魔力を流す。
すると、岩壁の一部だけが静かに崩れ落ちた。
ドサッ。
その奥には、人一人が通れる程度の細い通路が現れた。
「……」
「……」
「……開いたね」
レイが満足そうに言う。
ミリィはしばらく通路を見つめていた。
「レイ」
「うん?」
「今の、かなり便利ね」
「そう?」
「ええ」
ミリィは苦笑した。
「普通は岩壁を壊す方が大変なのよ」
「そうなんだ」
やはり本人には、その辺りの感覚がない。
しかし、今はそれを指摘するより先へ進む方が重要だった。
「入ってみましょう」
エルリアが先頭に立つ。
三人は隠し通路へ入った。
その先は、驚くほど静かだった。
魔物もいない。
罠もない。
どうやら、本来は探索能力の高い生徒が発見することを想定したショートカットらしい。
「これは当たりね」
ミリィが地図を確認する。
「このまま行けば、かなり距離を短縮できる」
「じゃあ、急ごう」
レイが歩き出す。
「ただし、走らないで」
「え?」
「狭いから転んだら危ないでしょ」
「……分かった」
レイは大人しく速度を落とした。
そんな三人の進行は、派手さとは無縁だった。
魔物がいれば、エルリアが弱点を確認する。
ミリィが最も安全な進路を選ぶ。
どうしても戦闘が必要なら、レイが最小限の力で処理する。
魔法を使う時も同じだった。
「レイ、あの魔物をお願い」
「分かった」
前方から狼型の魔物が飛び出してくる。
レイは木剣を構えた。
魔物が跳ぶ。
レイは半歩だけ横へ避ける。
そして、すれ違いざまに木剣を軽く振った。
コツン。
魔物の術式核に木剣が触れる。
それだけで魔物は光となって消えた。
「終わり」
「……相変わらず、無駄がないわね」
ミリィが呟く。
「そう?」
「ええ」
エルリアも頷いた。
「力を使いすぎないというのは、今回のような長期戦では大きな強みですわ」
「なるほど」
レイは少し嬉しそうにした。
「じゃあ、ちゃんと役に立ってる?」
「もちろんですわ」
「ええ」
ミリィも頷く。
「むしろ、今のところかなり順調よ」
その言葉にレイは安心した。
「よかった」
――そして。
演習開始から約二十分。
三人は、すでに演習領域の中盤を越えていた。
その速度は、彼ら自身が思っていた以上に速かった。
一方。
生徒会チームも順調に攻略を続けている。
「……おかしい」
ギルバートが足を止めた。
「どうした?」
「前方の反応が少ない」
彼は周囲を見渡す。
本来なら、この辺りにはもう少し魔物が配置されているはずだった。
「誰かが先に倒したのか?」
「可能性はある」
仲間が探知具を見る。
「でも、この進行速度でここまで来られる班があるとは思えない」
ギルバートの脳裏に、一人の少年の姿が浮かんだ。
金髪。
緑色の瞳。
いつも眠そうな、緊張感のない表情。
「……まさかな」
ギルバートは首を振った。
レイたちが自分たちより先行している。
そんな可能性を、この時の彼はまだ考えていなかった。
しかし。
その数分後。
監督室にいた教官の一人が、魔力探知盤を見ながら声を上げた。
「……ん?」
「どうした?」
「先行している班がある」
「何?」
「三人組だ。位置がかなり深い」
「誰の班だ?」
「……ノヴァク班」
教官たちの間に、短い沈黙が落ちた。
「一年生の?」
「ああ」
「まさか」
誰もが同じ顔をした。
だが、探知盤の表示は間違っていない。
レイたちは、戦闘を最小限に抑えながら。
隠し通路を見つけ。
危険な場所を避け。
必要な場所だけで力を使い。
着実に最奥へ近づいていた。
そして。
迷宮のさらに奥。
三人の前に、巨大な石造りの扉が姿を現した。
「ここから先は、資料にないわね」
ミリィが呟く。
エルリアが扉を見上げる。
「ということは……」
「最終区画だと思う」
レイが扉に手を置いた。
「じゃあ、開けようか」
「待って」
ミリィが止める。
「中に何があるか分からない」
「そうだね」
レイは素直に手を離した。
「じゃあ、どうする?」
「まず――」
ミリィが周囲を確認する。
エルリアも魔力を探る。
そして二人が同時に顔を上げた。
「……何もない?」
「ええ」
奇妙なほど静かだった。
レイが首を傾げる。
「じゃあ、普通に開けていいんじゃない?」
「……そうね」
三人は顔を見合わせた。
そして。
レイが扉を押した。
ギィィィ……。
重い音を響かせながら、扉が開いていく。
その先に広がっていたのは、巨大な円形の広間。
中央には、淡い青白い光を放つ結晶が浮かんでいる。
――到達結晶。
「……着いた」
レイが呟いた。
エルリアとミリィも、思わず息を吐く。
「まだ開始から三十分も経っていませんわ」
「かなり早いわね……」
「じゃあ、これに触れば終わり?」
「そうだけど――」
ミリィが言葉を止めた。
その時。
遠くから、複数の足音が響いてきた。
――タッ。
――タッ。
――タッ。
レイたちが振り返る。
やがて、広間の入口から三人の生徒が姿を現した。
先頭に立っていたのは――
「……ノヴァク?」
ギルバート・オルディニアだった。
ギルバートは荒い息を整えながら、目の前の光景を見た。
そして。
到達結晶。
そのすぐ前に立っている、一年生三人。
ギルバートの表情が固まった。
「……」
レイはいつもの調子で笑った。
「先輩、お疲れ様です」
「……お前たち」
ギルバートの視線が、レイたち三人へ移る。
制服はほとんど汚れていない。
大きく息を切らしてもいない。
対する自分たちは、ここまで来るために何度も魔物と戦い、かなりの体力を消耗している。
――なのに。
この一年生たちは、もう最奥にいる。
「どうして……」
ギルバートの口から、思わず言葉が漏れた。
「どうして、お前たちがここにいる?」
「え?」
レイは少し考えた。
「……普通に歩いてきましたけど?」
「……」
ギルバートは絶句した。
そしてレイの横で、エルリアとミリィが小さく顔を見合わせる。
二人とも気づいていた。
この瞬間から。
今回の合同実戦演習は、単なる授業ではなくなったのだと。
レイ自身は、そんなことなど何も知らず。
「先輩たちも結晶を取りに来たんですよね?」
と、いつものように尋ねていた。
「だったら、一緒に確認します?」
その無邪気な一言に。
ギルバートは、しばらく答えることができなかった。




