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辺境の普通は世界最強でした 〜無自覚な辺境伯嫡男、2人の転生者に勝手に導かれていつの間にか邪神を滅ぼす〜  作者: 七海あつし


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第10話 領主の資質

初日の午後。

剣術、そして魔法の授業を終えたレイ・ノヴァクが向かったのは、学園本館の西棟にある半円形の講堂だった。

入口には、簡素な木製の札が掲げられている。


『統治学――領地経営論』


学年を問わず受講できる完全選択制の授業ということもあり、講堂には十代半ばから十七、十八歳ほどの生徒まで、様々な年齢の貴族たちが集まっていた。

その大半は、レイと同じく将来的に領地を継ぐ立場にある者たちだ。

最前列には、第二皇女エルリア。

少し離れた席には、公爵令嬢ミリィ。

そして最後方の窓際には、レイ。

いつものように椅子に深く腰掛け、配られた資料をぱらぱらとめくっている。


「……思ったより分厚いなぁ」


資料だけで数十ページ。

しかも、その表紙には、


『辺境領における交易路維持と租税構造――帝国間決済制度の比較研究』

という、見るだけで眠くなりそうな題名が書かれていた。

レイは少しだけ眉を下げた。


「これは……のんびりできなさそうだな」


とはいえ、授業を選んだのは自分だ。

将来、ノヴァク領を継ぐ以上、剣と魔法だけではどうにもならない。

それくらいの自覚はある。

実際、レイは領地経営そのものを何も知らないわけではなかった。

ノヴァク領は皇国の北東部に位置する辺境領。


農地の管理。

河川の治水。

冬季の食糧備蓄。

魔物被害による農村の復旧。

街道の補修。

領兵への給与。

商隊の護衛。

税収の管理。


そういった現場の仕事については、幼い頃から父ルイや家臣たちの話を聞いて育ってきた。


「今年は南部の麦が少し不作だから、来月から備蓄米を出す」

「今年は川の水位が高いから、上流の堤防を補修する」

「魔物の出現が増えているから、街道沿いの警備兵を増やす」


そんな話なら、レイにもある程度理解できる。

だが――。


「……国家間の決済制度?」


資料を眺めながら、レイは首を傾げた。

そこへ。


「静かに」


低く落ち着いた声が響いた。

教壇に立ったのは、五十代ほどの男性だった。

白髪交じりの髪を整え、黒い教官服を着ている。

名は――カイル。

かつて皇国中央の財務部門に長く勤め、現在は皇立学園で統治学を教えている人物だった。


「諸君らは、将来、自らの領地を統治する立場になる」


カイルは教室を見渡した。


「だが、領地を治めるとは、税を集め、兵を養い、民に命令することではない」


そこで一度、言葉を切る。


「限られた資源を、どこへ、どれだけ配分するかを決めることだ」


講堂の空気が変わった。


「例えば、今年、ある領地が一億ルクの余剰財源を得たとする」


黒板に数字が書かれる。


「これを街道整備に使うか。治水に使うか。軍備に回すか。あるいは減税するか」


生徒たちは静かに板書を写し始めた。


「どれが正解だ?」


数人が手を挙げる。

カイルはその中から一人を指した。


「防衛費です。辺境領であれば魔物や他国の脅威に備える必要があります」

「正論だ」


カイルは頷く。


「では、防衛費を増やした結果、治水事業が遅れ、大規模な洪水が発生したら?」


生徒が黙る。


「農地が失われれば翌年の税収が減る。食糧価格が上がり、領民の生活が苦しくなる。商人はその領地を避け、物流も縮小する」


黒板に次々と矢印が書かれていく。


治水不足

農業生産低下

食糧価格上昇

人口流出

税収減少

防衛費不足


「つまり、目先の防衛費を増やした結果、長期的には防衛力そのものを失う可能性がある」


レイは少しだけ姿勢を正した。


(……これは分かる)


ノヴァク領でも似たような話はある。

父のルイは、魔物討伐のために兵を増やす一方で、街道や水路の整備を決して後回しにはしなかった。

一見すると関係がなさそうな事業でも、長い目で見ればすべて繋がっている。

レイはそこまでは理解できた。

しかし――。

カイルが次の問題を提示する。


「では、ここからが本題だ」


黒板に三つの国名が並んだ。


アルカディアス皇国

ディルムード魔導国

南方海洋諸国


「三国間で交易が行われているとする。魔導国は魔導具を輸出し、皇国は食糧と鉱物資源を輸出する。一方、南方諸国は海産物と香辛料を供給している」


さらに数字が書かれる。


「ところが、魔導国との交易では皇国側の輸入超過が続いている。結果として、決済に必要な金銀が国外へ流出している」


ここから話が一段難しくなった。


「このとき、単純に魔導国への輸入関税を引き上げれば問題は解決するか?」

「……」


生徒たちは考え込む。

レイも腕を組んだ。


(関税を上げれば、輸入品は減る。でも魔導国側も対抗して皇国産品への関税を上げる可能性がある)


そこまでは分かる。

だが、その先が難しい。

カイルは黒板に続ける。


「では、魔導国が報復関税をかけた場合、皇国の輸出産業が打撃を受ける。特に国境沿いのノヴァク領などは、交易量の減少によって通行税収を失う可能性がある」


レイの眉が動いた。


「……ノヴァク領」


自分の領地の名前が出た。


「さらに、魔導国から流入していた魔導具や工業製品の価格が上昇すれば、国内産業の生産コストも上がる」


カイルは生徒たちを見渡した。


「では、関税を上げずに、金銀の国外流出を抑える方法は?」


ここで、前方から手が上がった。

ミリィだった。


「輸入そのものを抑えるのではなく、決済手段を多様化する方法があります」


講堂の視線が彼女へ集まる。


「例えば、魔導国との二国間だけで収支を均衡させるのではなく、南方諸国との交易を含めた三角貿易を構築する。魔導国から購入した魔導具の代金を、南方諸国への皇国製品輸出によって得た外貨で間接的に決済できる仕組みを整えるなどです」


カイルが頷く。


「その通りだ」


レイは思わずミリィを見る。


(なるほど……)


自分なら、


「魔導具を買いすぎないようにする」


という発想になってしまう。

だがミリィは、交易そのものを止めるのではなく、全体の流れを組み替えることで解決しようとしている。


「では、アルカディアス皇国としては?」


今度はエルリアが静かに手を挙げた。


「二国間の収支だけを見るのではなく、皇国全体の通貨流動性を維持する必要があります」


凛とした声が講堂に響く。


「ただし、三角貿易を成立させるためには、それぞれの国に交易を続ける動機が必要です。皇国だけが得をする構造では長続きしません」


カイルは満足そうに頷いた。


「そうだ。外交とは、相手に損をさせて自国だけが得をするゲームではない」


エルリアはそこで微笑んだ。


「相手にも利益があると思わせながら、自国にとって必要な結果へ誘導する。それが政治ですわ」


レイはその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。


(……なるほど)


剣術なら、相手を倒せば終わる。

魔法なら、目的の術式を成立させればいい。

しかし政治や経済では、相手が存在する。

自分だけが正しい答えを出しても意味がない。


「……難しいなぁ」


思わず小さく呟く。

だが、そこでレイは気づいた。

この授業は、何も自分がまったく理解できないものではない。


治水と農業。

物流と税収。

防衛と財政。


それぞれの繋がりなら、自分にも分かる。

ただ――。

領地という一つの箱の中ではなく、その箱同士が繋がった世界全体を見る視点。

そこが自分には足りない。


「……僕、まだまだだな」


レイは苦笑した。

だが、以前のように落ち込んだわけではない。

むしろ興味が湧いてきていた。


(知らないなら、知ればいい)


そう考えると、少しだけ楽しくなってくる。

授業の終盤。

カイルは最後にこう告げた。


「領主とは、何でも知っている人間ではない」


生徒たちが顔を上げる。


「自分より詳しい人間を見つけ、その者の知識を正しく使い、最終的な責任を自分で引き受ける者だ」


その言葉に、レイは静かに頷いた。


(……なるほど)


これは覚えておこう。

授業が終わる。

生徒たちが席を立つ中、レイはノートを閉じた。

今日の授業は、自分にとってかなり有意義だった。

同時に――。


「もう少し勉強しないとなぁ」


そんな感想も残った。

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