第97話 三年——あっという間だったな
天正十年(1582年)一月中旬。由良湊。
信忠が中心となって——天下統一が完了した後、信長は公家・寺社勢力を整理するとともに、信忠を新たな権力の中枢とする体制を作り上げようとし始めた。
さすが信長だ、と北沢は思った。
家康の江戸幕府とは違う方向に進んでいるようだ。
北沢は腕を組んだ。
(三年——あっという間だったな)
この三年の間も——ヨーロッパ勢による侵略は、記録どおり着実に進んでいるはずだ。
その手口は、実に巧妙だ。
まず、貿易の利益に目がくらんだ現地の有力者を取り込む。時には宗教も使う。
次に、武器を提供して権力争いを煽る。
争いに介入しながら、有力者と切っても切れない関係を作り上げる。
——気がつけば、その国の領地を手に入れる。
そこまでくれば、領地を増やしていくだけだ。
あの手この手を駆使して——植民地を増やしてきた。
ポルトガルが澳門に。スペインがマニラに。
日本も——例外ではない。
記録どおりなら、三十三年前——ザビエルが鹿児島に来ているはずだ。
信長に確認したら、十三年前にフロイスと京都で会っていた。
また、四年前には安土城下に教会を建てていた。
(一つひとつは、小さな出来事に見える——しかし繋げてみると)
(この国も——じわじわと、狙われているのだ)
三年前から、信長には世界の歴史を学んでもらっている。
ヨーロッパ勢による植民地戦略。その後の世界の推移。
少なくとも信長は——しっかり頭に入れてくれたと思う。
(日本はのんびりできないと——感じてくれているはずだ)
信長の行動は早かった。
北沢たちの話を聞き終えると、すぐに動き始めた。
キリスト教の宣教師に国外退去を命じた。
ポルトガルとの貿易は織田家のみが行うものとし——奴隷取引の禁止、金銀の交換比率の基準作成、貿易港を限定した。
知識の足りない部分は、北沢たちと相談しながら進めていった。
また、南蛮船が運ぶ疫病に対しては、村上先生に協力してもらい検疫の体制も構築した。
ポルトガル商人は——露骨に嫌がった。
「貿易を止めるぞ」
「この国にはもう来てやらないぞ」
「お前ら、儲からなくなるぞ」
脅しのつもりだったのだろう。
信長は冷静に対応した。
「止めてもらって構わぬ」
理由は明快だった。
鉄砲の製造は、すでに国産化が進んでいた。
硝石は主に明から輸入していた。
北沢たちがいることで——ポルトガルから学ぶべき技術は、なにもなかった。
極東の小国など、自分たちの技術の足元にも及ばないと見下していたポルトガル商人は、さぞかし驚いたはずだ。
信忠を通じて——明智光秀、柴田勝家や配下の武将たちに、ヨーロッパ勢による世界侵略の話が伝わった。
話を聞いた武将たちは、少しずつ危機感を抱くようになった——はずだった。
だが、実際に彼らの頭を占めていたのは、まったく別の心配事だった。
国内から戦がなくなれば——己の働く場もなくなる。その不安である。
そんな不安を抱えていた矢先に、ヨーロッパ勢による世界侵略の話が飛び込んできた。
武将たちが真っ先に思ったのは——「これからは、南蛮と戦うのか」ということだった。
そう思い至った途端、彼らは口々に言い合った。
「手柄を立てられる場が、これからも、あるということだな」
武将たちは——それを聞いて、大喜びしたというのだ。
その話を聞いた時、北沢は思わず苦笑した。
(国内の戦がなくなったら、失業することの方が心配だったようだ)
考えてみれば当然だった。
戦うことが仕事の武将たち——平和は失業を意味する。
南蛮と戦うという仕事を与えられて——むしろ喜んだのだ。
(武士が失業して反乱を起こされたら困るからな)
槌の音が——由良湊から聞こえてきた。
***
北沢は思い出した。
そういえば、大砲の開発も苦労していたな。
この時代の海戦は——球形の砲弾を前装式の大砲で撃ち合うのが一般的だ。
砲身の仰角は楔を打ち込んで変えるようなレベルだ。
実用距離は百〜二百メートル。
精度は悪い。
数を撃たなければ当たらない。
劣勢になれば、深手を負う前に逃げ出す——それがこの時代の海戦だ。
大海原で動けなくなれば死を意味するからだ。
橘が言っていた。
「我らが開発する大砲の実用距離を——倍にすれば、敵の大砲の弾が当たらないところから攻撃を加えることができる。つまり我が艦隊は、無敵艦隊になれる」
そこで——蒸気機関で稼働する中ぐり加工機を開発した。
次にその加工機を使って、砲身のライフリング加工を行った。
砲身の内側に螺旋状の溝を刻むことで——砲弾が回転しながらまっすぐ遠くへ飛ぶ。
砲弾も球型から紡錘型に変更した。
ネジ式の閉鎖機構で後ろから装填できるようにもした。
青銅砲の鋳造技術も、橘たちの指導により格段に進歩した。
結果——実用射程距離は、従来の百〜二百メートルから四百メートル以上に伸びた。命中精度も大幅に上げることができた。
***
火縄銃についても——同じ技術を応用した。
信長に頼んで、各地の鉄砲鍛冶が作った火縄銃を大量に集めてもらった。
火縄銃の銃身を、武蔵の中ぐり加工機でライフリング加工した。
弾も——丸玉から、紡錘形のミニエー弾に近い形状に変えた。
火縄に頼っていた点火方式も改良した。
火打ち石を使った撃発機構に置き換え——雨の日でも撃てるようにした。
仕上げに——銃身後部にネジ式の閉鎖機構を取り付けた。
これで、火薬と弾を後ろから素早く込められる。
これまでのように、火薬を計量し、弾を槊杖で押し込み、火縄に点火する——という手間のかかる工程が要らなくなった。
橘が満足そうに言っていた。
「これで——一分間に撃てる弾数が、五倍以上になります。狙いも格段によくなり、有効射程も現状の倍以上となります。火薬も、この時代で手に入る黒色火薬を使えます」
***
操船の方も——苦労の連続だったな。
武器の性能が向上しても、操船技術が劣れば武器の優位性を覆されるからだ。
操船指導は——風上帆走の理論からだった。
村上水軍の船乗りたちは、瀬戸内海で代々培った操船術を持っていた。
潮流を読む技術、風を読む勘——どれも一流だった。
しかし大海原を渡るガレオン船の帆走理論は——まったく別物だった。
瀬戸内海には——いつも陸が見えていた。
しかし大海原には、どこまで行っても水平線しかない。
目印になるものが何もない中で——風と星だけを頼りに進む。
大海原での航海術は、なかなか難しい。
向かい風でも進める縦帆と横帆の組み合わせを、体で覚えるまでに相当な時間がかかったと聞いた。
帆の改良も一筋縄ではいかなかった。
帆布の素材から見直し、縫い方を変え、帆の形を変えた。
何度も試して——何度も作り直した。
海戦における艦隊運動の訓練も必要だった。
数隻が連携して動くには——指揮系統が要る。
言葉が届かない距離での命令伝達をどうするか——。
答えは手旗信号だった。
体系を一から作り上げ、全員に叩き込んだ。
それだけではなかった。
滑車の開発。ロープの撚り方と強度。
帆布の素材と織り方。
錨の形状と重さ。船底の形。舵の角度——。
一つ解決すれば、次の問題が出てきた。
本当に枚挙の暇がなかった。
田村が苦笑しながら言っていたな。
「毎日が問題だらけでした。しかし——村上の男たちは、一度覚えたことは絶対に忘れない。そこだけは助かりました」
(しかし——やり遂げてくれた)
北沢は静かに浜辺を見た。
村上の船乗りたちが——ガレオン船の帆を操っていた。
三年前には見たこともなかった帆が——今は当たり前のように風をはらんでいた。
波の音と、帆が風を受ける音が、由良湊に静かに響いていた。




