第95話 夏は涼しい風、冬は暖かい風が
武蔵・大会議室。
今日は——お市親子が到着する日であった。
主だったメンバーが、武蔵の大会議室に集い、その日を待っていた。
扉が開いた。
桐山に付き添われ、お市と三人の娘が入ってきた。
その後ろから——ひょっこりと、徳姫までもが顔を出した。
桐山が北沢の方を見た。
その表情は、まるで「呼んではおりません」とでも訴えているかのようだった。
早川が北沢をちらりと見た。
「司令——おめでとうございます」
北沢は天井を見上げた。
(政略結婚だからな)
(年寄りが、若い嫁を——という目で見ないでほしい)
「あ、ありがとう」
絞り出すような声で返事をした。
お市は深く頭を下げた。
「北沢殿——この子たちは、茶々《ちゃちゃ》、初、江でございます。この子たちを連れ——末永くお世話になる所存にございます」
茶々が丁寧に頭を下げた。
「茶々でございます」
初が続いた。
「初でございます」
江は北沢をじっと見上げたまま——黙っていた。
お市が苦笑した。
「江——ご挨拶なさい」
「……江でございます」
北沢は思わず笑った。
「よろしく頼むぞ」
お市は続けた。
「我ら親子三人と侍女一人——この船においていただけませぬか」
「かまいません。部屋は広くありませんが、快適に過ごせると思います。由良湊にも屋敷を作っておりますので、お好きな方でお過ごしください」
「屋敷を用意いただきありがとうございます。ですが、この面白き船で暮らしてみとうございます」
徳姫が、言いたくてしかたがないという表情で口を開いた。
「お市様、この船には——不思議なものがたくさんございますよ」
茶々が、興味津々に身を乗り出した。
「不思議なもの、とは」
「壁の小さな出っ張りに触れるだけで——明かりが灯るのです。火も使わずに」
江が、目を丸くした。
「火も使わずに——?」
「それだけではありません。夏は涼しい風、冬は暖かい風が——どこからともなく出てくるのです」
初が首をかしげた。
「風が、出てくる……。この寒い時期にも、暖かい風が」
「はい。まことに——不思議な船なのです」
お市は、娘たちの様子に微笑みながらも、半信半疑の顔をしていた。
「本当に、そのようなことが」
北沢が、穏やかに笑った。
「後ほど——船室にてお確かめください」
***
「ところで——我らのことは織田殿からお聞きになっておられますか」
「はい。先の世からいらしたと——。正直、最初は信じられませんでした。ですが、お徳からいろいろと話を聞いているうちに——この不思議な縁に強く惹かれるのを感じました」
「どうです。この子たちには——先の世の学問を学んでもらいませんか」
お市の目が輝いた。
「それは——願ってもないことです。娘たちは、先の世と今の世を繋ぐ存在になってもらいたいと思います」
しばしの間を置いて、お市は口を開いた。
「妾も、一緒に学んでよいであろうか」
「もちろんです。竹中殿や黒田殿は、世界の歴史を楽しそうに学んでおられます。お市殿は興味がおありですか」
「あるに決まっています」
(気質は織田殿にそっくりだな)
「浅井長政殿が亡くなられて——尾張でただ老いていくだけかと思っていました。生きていましたが、すでに死んでいるようなものでした」
「お市殿、ここにいれば——学べることが山程あります」
「茶々、初、江、母と一緒に学ぼうぞ」
お市がうれしそうにほほえんだ。
茶々、初、江が元気に答えた。
「はい」
「お市殿——この船の料理長に、子どもたち向けの甘いお菓子など作ってもらいましょうか」
茶々と初の目が——一瞬で輝いた。
江が北沢の袖を引いた。
「本当でございますね」
「本当ですよ」
「やったー——!」
三人が——一斉に声を上げた。
お市が苦笑した。
「はしたないですよ」
「ところで、妾も食べてよいかの……」
「もちろんです」
お市が笑顔になった。
なかなか魅力的な笑顔だった。
***
徳姫が、おもむろに口を開いた。
「妾もここに住みたいのじゃが——どうじゃ桐山殿、妾をもろうてくれまいか」
桐山が、驚いた顔で徳姫の方を見た。
「い、いきなり言われましても——織田殿はご存知なのですか」
「好きにせよと言われておる。織田家にいても、妾の居場所はないのじゃ」
桐山はしばらく黙っていた。
「この時代の女性は——ずいぶん思い切りがよいのですね」
北沢は苦笑した。
(これで——羨ましい光線が、半分以上、桐山に向くな。頼むぞ——桐山)
黒田殿も妻を呼び寄せた。お市と徳姫も、こうしてやってきた。
北沢はふと思った。
(そういえば——竹中殿は、松寿丸を助けた一件で、竹中の家とは縁を切ったと言っていたな)
それより——気がかりなのは、田村だ。
(黒田殿も、お市様も、徳姫様も来たとなれば——田村に嫁を世話せねば、絶対にへそを曲げるな)
北沢はそっと田村の方を見た。
田村は——藤林から、なにやら耳打ちされていた。
(田村の嫁は、伊賀からになりそうだな)
***
お市親子の船室。
桐山に案内され、お市と三姉妹が部屋に入った。
「まずは——これを」
桐山が、壁の突起に指を触れた。
天井の明かりが、ぱっと灯った。
お市が、思わず声を上げた。
「な——!」
茶々が、真っ先に駆け寄った。
「触ってみてもよろしいですか」
「どうぞ」
茶々が触れると——明かりが、ふっと消えた。
もう一度触れると——また灯る。
茶々は、興奮気味に妹たちを振り返った。
「初、江——見て見て!」
初と江も、我先にと突起に手を伸ばした。
三人で、代わる代わる明かりを点けたり消したりして、きゃっきゃと笑い声を上げた。
お市は、その様子を見つめながら、思わず頬を緩めた。
「まあ……そんなに、はしゃいで」
桐山は、もう一つの装置を示した。
「こちらは——風が出ます」
ふわりと、暖かな風が流れ出した。
江が、真っ先に手をかざした。
「あたたかい……」
お市も、恐る恐る手を伸ばした。
冬の冷えた空気の中、その温もりに——思わず目を細めた。
「これは……まことに、暖かい」
三姉妹は、次々と風に手をかざしては、驚きの声を上げていた。
お市は、娘たちのはしゃぐ姿を眺めながら、静かに呟いた。
「この船で暮らしたいと言った、徳姫様のお気持ちが——よくわかりました」




