第94話 造船が始まる
天正七年一月中旬。由良湊。
信長から——山のように銭が届いた。
信長の命により、村上水軍は北沢の配下となった。
最初、村上の男たちは、あからさまに不満げであった。
見も知らぬ相手の下につけと言われて、素直に頷ける者などいない。
だが——「由良湊で南蛮船を作って——世界の海に乗り出さないか」
その一言は——村上の男たちの心に刺さった。
やがて——村上水軍が、続々とやってきた。
「世界の海——絶対行きたい。途中で死んでも悔いはない」
「南蛮船を俺たちが操船できるなんて。胸が躍る」
「外の国がどうなっているのか見てみたい」
楽しそうな笑い声が——由良湊に響いた。
***
造船が始まる前に——一つ片付けなければならない問題があった。
それは、単位だ。
橘は村上水軍の男たちを集めて言った。
「まず、確かめたいことがある。おぬしら——一尺は、どうやって測っておる」
一人が答えた。
「そりゃあ、うちの棟梁の物差しで」
別の男も言った。
「うちは、親方から受け継いだ、竹の物差しですぜ」
「その二つ、並べてみたことはあるか」
男たちは顔を見合わせた。
「いや——そんなこと、考えたこともありやせん」
二人が物差しを持ち寄り、並べてみた。
「あれ——こっちの方が、いくらか長いような」
橘は頷いた。
「同じ一尺と言っても、職人によって長さがまちまちなのだ。それでは、大きな船も、積む武器も——作れぬ。だからこそ、単位を統一し、皆に同じ定規を使ってもらう。これが——すべての基本になる」
武蔵の工作室で——金属製の定規が大量に作られた。
メートル、ミリ単位。分度器も。
角度は度・分・秒、重さはキログラム——すべて統一した。
船大工の棟梁が定規を手に取った。
「なんですか、これは」
「これからはこれで測る。覚えてもらう」
棟梁は、定規を光にかざすようにして眺めた。
目盛りの細かさ、切れ目の精緻さに、思わず唸った。
「こいつは——たいした代物だ」
棟梁は定規を握り直し、にやりと笑った。
「理屈なんぞ、後からついてくりゃあいい。手が覚えちまえば、こっちのもんよ」
単位の統一は、長さや重さだけにとどまらなかった。
時間についても——時、分、秒という単位に定められた。
正確な航海には、正確な時計が欠かせない。
経度を割り出すにも——時刻がずれれば、すべてが狂う。
幸い、武蔵にも大和にも、乗組員の支給品として、腕時計が備蓄されていた。
新造艦の艦長となる者たちには、その中から選ばれたデジタル式の腕時計が、支給されることになった。
***
由良湊・造船所。
橘が図面を広げ、松永と早川が周囲を取り囲んだ。
「まずは骨格から作る。竜骨をここに——」
橘が指で図面を辿った。
「ガレオン船の全長は——約三十五メートルを目標にする。帆は三本マスト。記録にあった南蛮の設計図を参考にしながら——日本の造船技術と組み合わせる」
松永が言った。
「木材は紀州材を使う。緻密な年輪で——強度も申し分ない」
早川が続けた。
「釘の代わりに——鉄の留め具を使います。波に揺れても——外れにくいのです」
村上の船大工たちが——図面を覗き込んだ。
「こんな大きな船——見たことがない」
「俺たちに作れるだろうか」
棟梁格の男たちが腕を組んだ。
「やってみせます。村上の船大工——やるときゃ、やります。見ててください」
「こんな面白い仕事——死んでもやり遂げますよ」
橘はうれしそうに笑った。
「その意気です」
(やっぱり技術屋は、こういう仕事をしているときが一番楽しい)
槌の音が——由良湊に響き始めた。
***
由良湊・船員訓練場。
浜辺では——田村が村上の船乗りたちの前に立っていた。
「まず——帆の張り方から教えるぞ」
村上の男たちが身を乗り出した。
「帆船も任せておけと言いたいところだが——南蛮船の帆は、まったく勝手が違うようだな」
田村は続けた。
「ガレオン船は——縦帆と横帆を組み合わせて使う。風向きによって帆を切り替えれば——向かい風でも進める」
「向かい風でも進めるのですか——!」
男たちがどよめいた。
「信じられぬ」
「どういう理屈だ」
「自分で操縦すればわかる。まず理屈を覚えてくれ」
田村がうれしそうに言った。
「最初は理屈からだ——文句を言うなよ。その後は、体で覚えてくれ」
笑い声が上がった。
(いいなこういうの、こういうやつらに囲まれていると楽しくてしかたがない)
田村は続けた。
「次に——航海術だ。星を見て位置を確認する方法を教える。六分儀の使い方も覚えてもらうぞ」
「星か——我らも星を見て航海しておるのだが」
「今よりずっと正確に位置を出せないとだめだ。大海原を渡るには——それなしでは無理なんだよ。ちゃんと覚えないと死んでしまうぞ」
男たちが静かになった。
(大海原を渡る——)
その言葉が——男たちの胸に刺さった。
***
由良湊・帳簿小屋。
由良湊の外れに建てられた小屋では——鶴田が帳簿を広げていた。
「木材の発注——今週中に。人夫の賃金——週払いで。食料の手配——」
隣に座った若い助手たちが目を丸くした。
鶴田が、読み書き計算を教え込んだ若者たちだ。
「鶴田様——すごい金が動いてますね」
(自分が教育した若者たちだ、我が子のように可愛い奴らだ)
鶴田はうれしそうに笑った。
「これは始まりに過ぎぬ。船が何隻も出来上がれば——もっと数字が動く。覚悟しておけ。金の管理がいい加減では——どんな事業も失敗する。それだけは覚えておきなさい」
槌の音が——外から聞こえてきた。
鶴田は帳簿に目を戻した。
(さて——今日も仕事だ)
***
武蔵・資料室。
竹中半兵衛と黒田官兵衛が、机に向かっていた。
二人とも、顔色がずいぶんよくなっていた。
机の上には——iPadが二台、並んでいた。
桐山が使い方を説明すると——二人はすぐに覚えた。
文章の自動読み上げ機能、検索機能——気がつけば、桐山より上手く使いこなしていた。
(さすがだ——)
桐山は思わず苦笑した。
「世界の歴史——まずここから読んでください」
二人は読み始めた。
半兵衛は——次々とページをめくった。
(国ごとに生い立ちが違う。宗教が違う。言葉が違う——面白すぎる)
官兵衛は——一ページずつ、じっくりと読んだ。
(それにしても——我が国のなんと小さいことか)
二人の目が——きらきらと輝いていた。
しばらくして——官兵衛が顔を上げた。
「桐山殿——この丁字戦法というのはなんでしょうか」
「帆船同士の海戦の戦術です。敵艦隊の前をT字に横切ることで——側面の大砲を一斉に浴びせられます。この時代の敵であれば、大砲は側面にしかついていない。つまりものすごく有利に戦えるわけです」
官兵衛はしばらく図を見つめた。
(なるほど——理にかなっておる)
「大砲の弾の軌道はどうなっておるのですか」
「放物線を描きます。初速が速いほど遠くへ飛ぶ——しかし風や重力に影響される。正確に当てるには——角度と火薬の量を計算しなければなりません」
半兵衛が口を開いた。
「大砲の弾というのは——闇雲に撃っても、海戦でも陸戦でも敵に当たらないというわけですね」
桐山は思わず感心した。
(さすがだ——)
(もともと頭の良い二人だ。教える方が楽しくなってくる)
「その通りです。続きをどうぞ」
二人は——また静かに資料に向かった。




