第89話 最後の意地を示しまする
信長本陣・陣幕内
信長が命じた。
「信忠を大将、副将を明智として——羽柴と毛利の残党を討伐せよと命じよ。儂の陣から、一万を連れて行かせよ。それだけあれば十分であろう。それと、信孝を大将、副将を丹羽として——徳川を討伐せよと命じよ」
「はっ」
堀が伝令に素早く指示を出して戻ってきた。
「上様——海神衆の藤林殿がお見えです」
「通せ」
藤林と官兵衛が——信長の前に膝をついた。
藤林が落ち着いた声で言った。
「羽柴殿の御首を持ってまいりました。首を上げたのは——黒田職隆殿でございます」
「黒田家は——お構いなしとする」
官兵衛は深く頭を下げた。
「ありがたき幸せでございます」
***
藤林は通信機を取り出した。
「上様——北沢司令と、お話いただけますか」
信長は通信機を見つめた。
「なに——この箱で話ができるのか」
「はっ」
「堀と藤林殿だけにしてくれるか」
信長が声をかけると、控えていた護衛と小姓たちが、静かに下がっていった。
藤林が言った。
「司令、どうぞお話ください」
通信が繋がり、北沢の声が届いた。
「織田殿——お怪我はありませんか」
信長は答えた。
「此度の助太刀——まことに感謝いたす。まさか、信雄や家康にまで、猿の手が伸びておったとは——思いも寄りませなんだ」
「お役に立ててよかったです。ところで——この際、一気に天下統一を前に進めませんか」
「そうはいっても——兵が手一杯でありまして」
「これから数日のうちに——毛利の吉田郡山城、徳川の浜松城を我らで叩きます」
「おお、それは大いに助かります。間髪入れず——毛利と徳川を降伏させる使者を送るのですな」
「そのとおりです」
信長の目が光った。
「本城を叩かれては——毛利も徳川も心が折れてしまうでござろうな」
「その後は——武田、北条、上杉に臣従の使者を出してください。拒否すれば、武田の躑躅ヶ崎館、北条の小田原城、上杉の春日山城と順に叩いていきます」
信長はしばらく黙っていた。
やがて——ふっと笑った。
「であれば——天下統一は、概ね片付くわけですな」
「そういうことです。これから、毛利の吉田郡山城、徳川の浜松城への攻撃準備を開始します」
信長は通信機に頭を下げた。
「北沢殿——まことに感謝いたします」
堀は、隅で会話を聞いていた。
(この方たちの力——我らに向くことはないのだろうか)
北沢は続けた。
「一つ——先に申し上げておきたいことがあります」
「なんでござろう」
「我らは、この国をどうこうする気は——一切ありません」
信長は、しばし沈黙した。
「……正直に申せば、そのことを一度も考えなかった、と言えば嘘になり申す」
信長は続けた。
「ですが、これだけの助太刀をいただいた上に、そう先んじて申し出てくださる。北沢殿を、疑う理由が見当たりませぬ」
「この国は織田殿にお任せします。我らには——先の世のために、やるべきことがあるのです。それは、この国ではなく海の外にあります」
信長はしばらく黙っていた。
「……それはぜひお聞きしたいものですな」
北沢は小さく笑った。
「あの千宗易殿の美味い茶を飲みながらで——いかがでしょうか」
信長も笑った。
「ぜひとも」
「美味い茶を飲むために、さっさと片付けましょう」
***
藤林を見送った堀が戻り、信長と堀が二人だけになった。
しばらくして——。
陣幕の外から声がした。
「上様——北畠信雄様をお通ししてよろしいでしょうか」
信長は黙ったまま、しばらく虚空を見つめていた。
「通せ」
刀を取り上げられ、薄汚れた顔の信雄が——天幕の中に入ってきた。
(なぜこやつは——潔い討ち死を選ばなかった)
信雄はそのまま——いきなり地に額をこすりつけた。
「父上——どうか、命だけはお助けください」
信長はしばらく黙っていた。
「なぜ命が惜しい」
「……」
「お前のために、大勢の家臣と兵が命を落としているのだぞ」
しばらくして、信雄は顔を上げた。
「某は——猿に騙されたのでございます」
信長の目が細くなった。
「堀——」
「はっ」
「見苦しい。織田の人間が、これ以上醜態をさらされてはかなわん」
「どうしますか」
「腹を切る場所を設けてやれ。それが——父として最後にしてやれることじゃ」
「お待ちくだされ——!」
信雄が叫んだ。
「連れて行け」
堀が、周りに目配せした。
兵が——信雄の腕を掴んだ。
「父上——! 父上——!」
信雄が引きずられていった。
天幕の中が——静かになった。
信長はしばらく黙っていた。
「北沢殿との話に——良き気分になったところであったにな」
「心踊る話でありましたな」
「これから、織田家の一挙手一投足を見られる大事な時に、あの馬鹿は、見苦しい真似をしおって」
信長は続けた。
「この乱がおさまれば——次に来るのは、政の場よ。天下を統べるにふさわしいか否か——この国の、あらゆる者の目が、織田家に注がれることになる」
「そのような時に——ああも、みっともない醜態を見せられてはな」
天幕の外から——助けを求める声が、小さく響いていた。
堀は目を伏せた。
(武士に生まれた者は——死に場所を間違えてはならない)
(信雄様は——その場所を、誤られた)
***
有岡城。
羽柴秀長は、吉川元春に顔を向けた。
「逃げて、姫路の小城に籠ってもどうにもなりませぬ。長浜城の者どもも、山中に隠れておるでしょうが——いずれ見つかりまする。となれば——羽柴家は、もはやここまででござる」
にんまりと微笑んで秀長は続けた。
「我ら、この有岡城に籠って——最後の意地を示しまする。敵が我らに群がる隙に——お逃げくだされ」
吉川元春はしばらく秀長を見つめた。
「お言葉に甘えさせていただく。羽柴家のご武運をお祈りいたしますぞ」
「お急ぎくだされ」
毛利の将兵が——大急ぎで駆け出した。
三木の別所長治も——足利義昭も、あとを追うように消えていった。
秀長はしばらく、その背中をじっと見送った。
やがて——兵の方に振り返った。
「皆のもの——羽柴はこの有岡城で最後の意地を示す。逃げたい者は逃げろ。引き留めはせぬ」
しばらく——沈黙が続いた。
一人が、無言で城門に向かった。
また一人——また一人。
やがて波が引くように、兵たちが城を出ていった。
二万のうち——残ったのは約千だった。
秀長はゆっくりと残った者たちを見渡した。
(この者たちは——兄が藤吉郎と名乗っていた頃から、ともに戦ってきた者たちだ)
秀長の目が——わずかに潤んだ。
「もうすぐ日が落ちる。今宵は——酒を振る舞う。それを楽しみに、なんとしても日没まで、敵を防ぎきるのだ」
「おおーっ——!」
鬨の声が——有岡城に響いた。
***
大和発令所。
北沢はレーダードローンの映像を見つめていた。
(羽柴は残ったのか。再起の目はないだろうからな)
北沢は映像から目を離した。
「敗走する毛利軍に恐怖を植え付ける——レールガンを一発だけ、毛利軍に撃ち込め。その後、大和は浜松方面に向かう」
北沢は続けた。
「宮本——武蔵の中村艦長に連絡。毛利の吉田郡山城をドローンで叩いてほしいと伝えてくれ」
「はっ」
田村はモニターを確認した。
「レールガン——準備完了」
「敗走する毛利軍の中央部に向け、撃て」
ズドォォォン——!
敗走する毛利軍の中央に——黒い閃光が走った。
轟音とともに土砂が舞い上がり、衝撃波が四方に広がった。
「着弾確認」
「よし——浜松方面に向かう。潜航せよ」
大和が、音もなく海に潜航した。
***
武蔵発令所。
中村は早川を見た。
「早川——ドローンで毛利の吉田郡山城を叩く。整備は完了しているか」
早川が答えた。
「念のため二機飛ばします。ミサイルは八発——十分です」
「田中——操縦士の準備はどうだ」
「飛行経路を確認させています。広島方面の地形に詳しい者を選んでいます」
中村は頷いた。
「明朝——夜明け前に離陸。海岸線を確認しながら目標に向かえ、ただし、ミサイルは残数が限られている。天守を破壊できたら——それで十分だ。無駄玉は使うな」
「はっ」
「出撃時間まで——飛行経路をiPadで操縦士と確認しておいてくれ」
「はっ」
発令所が静かになった。
中村はしばらく地図を見つめていた。




