第82話 恩を仇で返しおったか
武蔵・大会議室。
北沢は全員を見渡した。
「本日の会議には——黒田殿にも参加してもらっている。まだ本調子ではないのだが、たっての希望でお越しいただいた」
北沢は続けた。
「黒田殿と竹中殿には、この船が作られた経緯、その後の転移、我らがこの時代でなにをしようとしているのかについて、説明済みだ」
官兵衛が小さく頭を下げた。
「膝はまだ本調子ではありませぬが、助けていただいた恩を、少しでもお返ししたいと思っております。今後とも、よろしくお願い申し上げます」
「では本題に入る。羽柴の件を——織田殿に伝えたいと思う。当然、それを知れば、羽柴側にも何らかの動きが出るはずだ。どう動くか、そして、それにどう備えるか——今日はそこを詰めておきたい」
桐山が言った。
「調略の名手である羽柴のことです。どんな些細な動きからでも、織田殿の意図を察知するでしょう。反織田連合の下地は——すでに、水面下で整えられているはずです。動き出せば、事は早い。問題は——その規模がどれほどになるかです」
北沢は頷いた。
「私も、同じことを考えていた。だが——この際、反織田連合に加わる大名は、多ければ多いほど良いのかもしれない」
「多いほど——ですか」
「我らの力で織田殿を支援し、一気に反織田連合を叩き潰せば——天下統一を、それだけ早く進められるはずだ」
桐山は、得心がいったように頷いた。
「主だった者たちを、一つの舞台に——引きずり出そうというわけですね」
「そうだ、ところで反織田連合に参加しそうな大名はどこだろうか」
北沢が顔を向けると、官兵衛が口を開いた。
「まず——毛利家、武田家、長宗我部家。それに、本願寺と雑賀衆。さらに——足利義昭様も、加わられるでしょう」
「それだけで、かなりの数になりそうだな」
「はい。加えて——羽柴殿が言葉巧みに口説けば、北条家も参加するかもしれません。北条家が、上杉家のお家騒動を収める側に回れば——上杉家までもが、それに続く可能性がございます」
北沢は、思わず唸った。
「黒田殿がいてくれて——助かる」
北沢が松永の方を向いた。
「レールガンの残弾はどうだ」
松永が答えた。
「帝国海軍に作っていただいておりましたので——三百発はあります」
「十分だな」
北沢は桐山の方を見た。
「海から直接狙えない城はどこだろう」
桐山がiPadを操作した。
「二つあります。武田の躑躅ヶ崎館——甲府にあり、海から百キロメートル以上離れています。それと——毛利の吉田郡山城です。広島の山間部にあり、大和で近づける位置から、やはり百キロメートル以上離れています」
「では躑躅ヶ崎館と、吉田郡山城は——攻撃型ドローンということになるか」
早川が言った。
「わかりました。十五機、しっかりと整備しておきます」
***
北沢は少し表情を曇らせた。
「一つ、懸念があります。織田殿は——ご自身に毒を盛った甲賀衆を、決してお許しにはならないでしょう」
藤林は頷いた。
「おそらく——甲賀の郷ごと、根絶やしにされるやもしれませぬ」
「かといって甲賀の者すべてを、伊賀に匿うことも——さすがに難しいですね」
「はっ、織田様との関係がありますから」
北沢は藤林の方を見た。
「甲賀衆の中で、藤林殿が助けたいと思う者たちを、早めに伊賀で受け入れてあげてください。ですが、甲賀の頭領には、わからないようにお願いします」
「ありがとうございます。毒の話をしてくれた者が治める村くらいは——助けてやりたいと思っておりましたので」
藤林は深く頭を下げた。
(儂が助けてやれる甲賀の者たちがいる——それだけで十分だ)
甲賀の話に、官兵衛の顔が曇った。
遠慮がちに口を開いた。
「司令——羽柴に与力しております、黒田家の者たちは——いかがなりましょうか」
北沢は少し考えてから答えた。
「織田殿には、黒田家は織田家へ内応する——そうお伝えしておくのはいかがでしょう」
官兵衛は、大きく頷いた。
「なるほど——それは、ありがたいお計らいです」
***
天正六年十一月中旬。
安土城。天主内の御座所。
堀が急いで部屋に入ってきた。
「上様——北沢殿から、急ぎの連絡がございました」
信長は堀の方を振り向いた。
「どうした。慌てて」
「上様に毒を盛っていた者が——わかったそうです」
信長の目が険しくなった。
「それは――いったい、どこの誰じゃ」
「甲賀衆のようです」
「して——裏で糸を引いていた者は誰じゃ」
堀は、信長の圧に押されながら口を開いた。
「それが……羽柴殿だということです。藤林殿が、甲賀の知り合いから、密かに打ち明けられたとか」
堀は反応を見ながら、さらに続けた。
「羽柴秀吉殿は甲賀を使い——およそ一年にわたり、少しずつ毒を盛り続けていたと」
一瞬、部屋の温度が下がったかのようだった。
信長の表情から、すべての色が抜け落ちた。
それは、怒りというよりも——もっと底の知れない、静かな殺気だった。
「なんだと」
低い声だった。
だが、その静けさこそが、堀の背筋を凍らせた。
「猿の奴め——恩を仇で返しおったか」
信長はしばらく黙っていた。
手が、強く握りしめられていた。
節が、白く浮き上がっていた。
「どうしてくれよう」
一言一言に、これまで感じたことのない重みがあった。
堀は、思わず頭を下げたまま、身動きできなくなった。
堀は信長の様子を見ながら、少し間を置いて続けた。
「北沢殿は——全面的に織田家に助力していただけるそうです。それと——戦に及んだ際には、黒田家は織田家に内応することも伝えてほしいと」
信長は、しばらく答えなかった。
握りしめられていた拳が、ゆっくりと——ほどけていく。
「北沢殿が、どう助けていただけるのか——聞いておかねばなるまいな」
その声には、もう先ほどの殺気はなかった。
信長はしばらく黙っていた。
やがて、ふっと肩の力が抜けたように、静かに笑った。
「堺に美味い茶を飲みに行こうぞ。官兵衛のこと、わかったと伝えよ」
堀は、詰めていた息を、そっと吐いた。
荒れ狂う嵐のような怒りが、まるで凪いだ海のように、静まっていった。
堀は深く頭を下げた。
「すぐにご用意いたします」
堀は急いで退出しながら、頭の中で段取りを組み始めた。
(今回ばかりは——儂も腸が煮えくり返る)
(大名にしてもらった大恩人に、毒を盛り続けるとは——やり方が卑劣すぎる)
***
千宗易の屋敷・茶室。
北沢は丁寧に茶碗を置いた。
「やはり——ゆっくりと時間が流れる感覚はいいものですな」
信長は愉快そうに笑った。
「宗易の茶は——いつ飲んでも格別じゃ」
しばらく沈黙が続いた後で、信長は言った。
「ひとの心とはわからぬものだ」
北沢は、茶碗を静かに置いた。
「苦労して登り詰めた頂きの上から——どのような景色が見えたのでしょう。どこを、どう眺めるかは——ひとそれぞれ、歩いてきた人生の道のりによるでしょう」
信長は、しばらく考え込んだ。
やがて、ぽつりと呟いた。
「ひととは——そういうものかもしれぬ」
宗易はゆったりと茶碗を手に取った。
「器も——同じにございますぞ」
信長が眉を寄せた。
「どういうことだ」
宗易は、茶碗をそっと光にかざした。
「器は、どこを、どう眺めるかによって——その値打ちが変わってまいります。そして、その眺め方は——好みとするものがなにかにより、変わるものにございます」
信長は、宗易の顔を、まじまじと見た。
(宗易め——わかった風なことを申しおって)
「宗易——この後、北沢殿と大事な話がある。四、五名が入れる部屋を用意してもらえるか」
「もちろんでございます。食事などは、いかがされますか」
「必要ない。誰も、近づけるでないぞ」
「はっ」
***
千宗易の屋敷・書院。
宗易が四人を案内したのは——茶室とは別の、小さな書院だった。
連子窓から——庭の緑が柔らかく見えた。
床の間には——一輪の白い花が活けられていた。
掛け軸には、墨で凛と「無」の一文字。
部屋の隅には——椿の井戸から汲んだ水が、そっと置かれていた。
「椿の炭を沈めた井戸の水でございます」
信長は部屋を見渡した。
「宗易らしい部屋であるな」
宗易は深く頭を下げた。
「では——ごゆっくり」
宗易が静かに部屋を出た。
四人だけが残った。
部屋に集まったのは——信長、堀、北沢、桐山の四名。
連子窓から差し込む光が、静かに畳を照らしていた。




