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原潜大和・武蔵、転移す ―信長と、未来を変える―  作者: ゲンタ
第3章 戦国時代編

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第79話 調略とは、こうするものよ

播磨・三木城。

羽柴秀吉・本陣。


秀吉は一人、篝火の前にじっと座って考え続けた。


所領は、今より多少増えるかもしれぬ。

しかし——それだけのことだ。

胸躍る気持ちには、もうなれまい。


このままいけば——織田家は、遠からず天下を取るであろう。

だが、その先に求められる家臣は——戦上手の権六でも、調略上手の儂でもあるまい。忠義に篤く、実直に働くだけの官僚のような者だけだ。


調略に長けた男など——いずれ煙たがられ、疑われる。

そして最後には——消される。

その末路が、まざまざと見えるようだった。


儂は——どうすればよいのだ。

必死に、考えに考えた。


——その答えが、これだった。

織田には、天下を取らせぬ。

天下は——儂が取る。


だが——どうする。

信長には、人を引きつける魅力、天才的な頭脳、決断力、胆力、行動力が備わっている。それに——なによりも、強運だ。


すべてが、揃っておる。

間違いなく——英傑だ。

儂などいなくとも、天下はあの男の手に落ちよう。


やつのもとには、優れた人材が集まり続ける。

そうなれば、儂の力など——いずれ不要になる。


いっそ、子に後を継がせて隠居しようかとも思うたが——跡継ぎがおらぬ。

このまま、死ぬまでこき使われるだけか。

——うんざりだ。


諦めかけたその時、便利使いにしていた甲賀忍びの頭領が——呟いた。

儂の心の動きに気づいたのかもしれぬな。

油断ならんやつよ。


「忍びが使う毒に、砒霜《ひそう》という毒がありまして」


「それがどうしたというのだ」


「少しずつ食べ物に混ぜていけば——最初の一年で食欲がなくなり、気持ちも沈みます。やがて頭痛、手足のしびれ、怒りっぽくなり、判断力も低下、内臓もやられます」


頭領は表情を変えず続けた。

「そういう毒がございます——殿の得意な調略の、お役に立てればと思いまして」


(これを——うまく使えば)


そして——天正五年の暮れ頃から、その毒を使い始めた。

甲賀の忍びを使い、典医と女中に手を回させた。無論、ばれた時のことも考えてあった。


ばれた時は——信雄に頼まれたと白状させ、その首で幕引きとする。

頭領には、そう申し渡してある。

(お前が儂を唆したのだからな。責任は取ってもらうぞ)


その代わりとして、頭領の嫡男を、儂の小姓に取り立ててやった。

(子を人質に取られた親は——どこまでも従順になるものよ)


砒霜《ひそう》の効果を試すため、『村重が本願寺に通じている』という根も葉もない噂を流してみた。


今までの信長ならば——一度は使者を送り、真意を質し、あるいは許す道を探ったはずだ。だが、砒霜《ひそう》に蝕まれた信長は、疑いだけで頑なに動いた。

砒霜の効果は、抜群だった。


追い詰められた村重は——有岡城に立て籠もった。

織田の有力武将たちが、『織田様は——以前と変わられた』と、ひそひそと囁き始めた。


***


回想が終わり、秀吉はふっと目を細めた。

炎が、ゆらりと揺れた。


(英傑の能力を——少しずつ奪ってやった。信長よ、高転びに転ぶがいい)

(猿ごときの仕掛けとは——夢にも思うまい)


そして——あの、真面目な男。

せいぜい、儂の描いた筋書きどおりに踊ってくれればよい。

戦国の世で、真面目さなど——他人に利用されるための道具に過ぎぬわ。


秀吉はゆっくりと立ち上がった。

「まだ時間はある——焦ることはない」


***


陣幕の外で、足音がした。

「殿、戦況の報告に参りました」


「入れ」


蜂須賀正勝が、片膝をついて頭を下げた。

「三木城内の兵糧は、いまだ底をついておりませぬ。ただし——毛利からの後詰めは、九月の平田・大村での一戦以来、途絶えたままです」


秀吉は頷いた。

「宇喜多が寝返ったのが効いておるな。毛利の本国と、播磨・摂津の間が、すっぱり分断されておるわ」


「はっ。それゆえ——別所方には、もはや望みはないかと。あとは、干上がるのを待つのみです」


「降伏を勧めても、応じぬのであったな」


「はい。頑として拒んでおります」


秀吉は、ふんと鼻を鳴らした。

「意地だけは、大したものよ。まあよい——時が経てば、否応なく落ちる城じゃ」


武将は続けた。

「三木城さえ落ちれば——次は、いよいよ毛利本体との決着でございますな」


秀吉は、にやりと笑った。

「そういうことになるな。期待しておるぞ」


「はっ」

蜂須賀正勝が下がっていった。


***


秀吉は、一人になった陣幕の中で、再び腰を下ろした。

(毛利との決着——か。まあ、皆にはああ言っておくしかないな。裏の話までは、聞かせられぬ)


光秀、お主の姿が見えるようじゃ。

毒のせいで感情を抑えきれなくなった信長に、今も諫言を続けているのだろうな。

だがな——ひとには限界というものがある。


心とは弱いものだぞ。

そうなったとき、真面目な男は抑えが効かなくなる。

謀反に突き進め。


有能な男だ——動けば必ずや、信長を仕留めてくれるはずだ。

やつが動きさえすれば、事はなる。


もちろん、儂はさらに光秀の背中を押してやるがな。


公家でも、寺社でも、金で動くものはいくらでもおる。

所詮、あいつらは金と権力争いにしか興味がないのだ。簡単なものよ。


そいつらを使って、摂関家を、いや——一番よいのは親王を動かす。

それらしく取り入ったなら、頃合いを見て「上様は、いずれ朝廷すら軽んじられよう」と、耳元に囁いてやればよい。


やつら、震え上がるだろう。

我が身可愛さで動く公家など、扱いやすいことこの上ない。


光秀め——朝廷だ、帝だと、やたら畏まる律儀者よ。

あの生真面目さは、滑稽なほどだ。


だが——それでいい。

やんごとなき朝廷からの勅命が下れば、あの男は抗えまい。

偽の勅命をこしらえるくらい、公家どもにとっては、造作もなくやるであろう。


そうなれば光秀め、忠義との板挟みで、ますます心が病むことだろう。

それなれば、しめたものよ。

忍びに命じて謀反の噂を流し、光秀の退路を断つ。


これで決まりだ。

事が成った暁には、謀反人の光秀を——儂が討つ。

主君の仇を討った大忠臣として——天下は、儂に転がり込む。


ただし——信長が死んだ後は、一刻を争う。

一刻も早く光秀を討たねばならぬ。権六などに先を越されては、どうにもならん。

時間との勝負よ。


そのためには——今のうちに、毛利と内々の話をつけておかねばならぬ。

それゆえ、すでに手は打ってある。


ちょうど使い勝手のよい坊主がおったのだ。

毛利の外交僧として、それなりに知恵の回る男でな。


だが——所詮は、坊主よ。少し持ち上げてやれば、簡単に転がる。

安国寺は、小間使いにうってつけであったわ。


表向きは、毛利のために動く外交僧。

だが——その実、儂の掌の上で踊る駒としてやった。


(調略とは、こうするものよ。虚々実々——じゃ)


北条、武田、上杉、徳川、長宗我部。

安国寺には、あちこちの家に、足繁く通ってもらっておる。


あの坊主の腕は、たしかなものよ。

明言はせぬ。証文も残さぬ。ただ、それとなく匂わせるだけだ。

それだけで、相手は勝手に思案を巡らせ、都合よく解釈してくれる。


表向きは、毛利のための和議の道を探る使者として。

裏では——儂と毛利との、密やかな橋渡し役としてな。


秀吉は、暗闇の中で、静かに笑った。

「まだ時間はある——焦ることはない」


夜の三木城が、暗闇の中に沈んでいた。


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