第7話 核を持たない国
熊野灘・KI海洋資源開発研究所 地下ドック。
官邸から黒岩の逮捕命令が出る数日前。
大和艦長の田村が、完成した大和を眺めていた。
橘が近づいてきた。
「艦長、例の兵器が無事に積み込まれました」
田村は振り返らずに言った。
「そうですか」
「ええ。どういうルートなのか、詳細は明かしてもらっておりません。北沢さんが、独自の人脈で動いてくれたようです」
田村はしばらく黙っていた。
「北沢さんは、自分の人生を懸けてくださったのですね」
「田村艦長だって、私だって、同じですよ」
橘はそう言って、田村の隣に並んだ。
二人は並んで大和を眺めた。
「核の傘さえあれば、まだこの国を立て直せると信じます」
田村が言った。
「同意します」
しばらくして、田村が話を変えた。
「ところで原潜というのは、潜航したままどこまでも行けるのですか」
「炉心の核燃料は廃艦になる日まで交換不要です。理論上は無限に動ける。ただし人間が乗っている以上、制約はあります。食料、医薬品ですね。それでも一年以上の潜航には耐えられます」
「武蔵の艦内工場には驚きました。基盤の組み立てや、精密加工、ドローンだけでなく、ロボットも作れちゃいそうな設備ですね」
「その通りです」
橘が続ける。
「野菜工場まで作りましたからね。やりすぎたかもしれませんけど……」
田村が振り返った。
「LEDのレタス、もう食べましたよ」
「どうでしたか」
「もちろん、美味かったですよ。潜水艦の中で生野菜とか、ずいぶん贅沢ですよね」
「そうでしょ」と橘は笑った。
そんな会話が交わせるほど、二人の距離は縮まっていた。
六年という時間は、そういうものだった。
***
熊野灘・日本海溝。
そして、試験航海の日がやって来た。
日本海溝への深海潜航試験。
これが終われば、大和と武蔵は実戦配備可能となる。
出航前、地下ドックに主要メンバーが集まっていた。
北沢、大和艦長の田村、武蔵艦長の中村、KI重工の橘、早川、松永。そしてKIホールディングスの鶴田だ。
橘が声をかけた。
「鶴田さん、総帥は来られないのですか」
鶴田は淡々と答えた。
「どうしても、外せない用事ができてしまい。残念がっておられましたよ」
「総帥に乗っていただきたかったです」
「そうですね。でも、いつでも乗っていただけますからね」
北沢が全員を見渡した。
「これが最後の試験だ。全員、持ち場についてくれ」
大和と武蔵が地下ドックを離れ、海底トンネルを抜けて外海に出た。
青黒い黒潮の海が、二隻を迎え入れた。
日本海溝。水深八千メートルを超える深淵の上を、大和と武蔵は進んでいた。
すべてのシステムは正常だった。
二日間かけて、すべてのデータを取り終えた。
設計通りの性能。六年間、一つの妥協もしなかった成果が、数字に表れていた。
北沢がマイクを手に取った。
「全乗組員に告げる。試験は無事終了した。問題なしだ」
一瞬の間があった。
それから、艦内のあちこちから歓声が上がった。
北沢は目を細めた。
(総帥、完成しましたよ)
田村が指示した。
「水深五十メートルまで浮上。KI海洋資源開発研究所に帰投する」
***
紀伊半島沖。
大和と武蔵は、研究所まで二十キロメートルのところにいた。
研究所が近づいたところで海面近くに浮上し、通信マストを上げた。
通信士がモニターに目を走らせていた。
受信した暗号文を復号している。
やがてプリンターが短く唸り、一枚の紙が吐き出された。
通信士はその紙を手に取り、読んだ。
「北沢司令、官邸からの緊急通信です」
通信士は一度だけ唾を飲み込んでから、通信文を読み上げた。
「『黒岩は逮捕した。大和と武蔵は押収する。関係者全員を逮捕する。海上自衛隊の指示に従え』——以上です」
発令所が静まり返った。
北沢は通信士の顔を見たまま、数秒間動かなかった。
やがて、口を開いた。
「もう一度、読んでくれ」
通信士がもう一度読み上げた。
内容は、変わらなかった。
(総帥が逮捕された。大和と武蔵は押収。関係者を全員逮捕だと)
最初に声を上げたのは橘だった。
「総帥が逮捕された? 馬鹿な。総帥は、この国のためを思って……」
鶴田が怒りを押し殺した声で言った。
「政府め、何もしてこなかったくせに。国が壊れていくのを、ただ見ていたくせに!」
北沢は黙って二人の言葉を聞いていた。
(坂本! お前が裏切ったのか)
「北沢司令、どうしますか」
田村が聞いた。
北沢はしばらく考えてから言った。
「東京湾に向かう」
発令所がざわめいた。
「東京湾に向かいながら、総理と直接交渉する。日本を核の傘に入れる。それが我々の目的だ。何も変わっていない」
「しかし、逮捕命令が出ています。浮上航行すれば海上自衛隊に包囲されます」
「逃げ回っても意味がない。我々がやるべきことは一つだ。総理にこの原潜の意味を理解させる。交渉が成立すれば、日本は核の傘を手にすることができる。総帥が望んだことが実現する」
北沢は通信士に向き直った。
「海上自衛隊に無線連絡を入れろ。『大和・武蔵は東京湾に向かう。北沢が総理と直接話をしたい。攻撃の意図はない』と」
田村は頷いた。
「了解しました。浮上航行に移ります」
大和と武蔵が海面に姿を現した。
紀伊半島沖の海が、午後の陽光に光っていた。




