第77話 花嫁問題は、乗組員にとっては大事なことだからな
武蔵・大会議室。
北沢は言いづらそうに言った。
「それと——もう一つ伝えることがあるのだが……」
田村が身を乗り出した。
「なんでしょう。どこかの船を沈めに行くのなら——任せてください」
橘が続けた。
「武器づくりですか」
北沢は苦笑した。
「そうではなくて——市という女性なのだが、子供が三人いる。嫁にもらうことになってしまった」
会議室が静まり返った。
「歳は——三十一歳らしい」
早川が、すぐに反応して口を開いた。
「司令——六十九歳ですよね。私より若い女性をもらうのはどうかと思いますが」
「それは、そうなんだが——織田殿に頼み込まれてしまってな。『歳が多いから』とか『有岡城の修復が終わってから』とか、言ってはみたのだが——」
早川が先を急がせた。
「それで……」
「有岡城の修復は丹羽長秀殿に命じて、すぐに終わらせる。この時代の婚姻に、歳など関係ないとか言われてしまって——」
早川が問い詰め口調で確認した。
「まさか、承諾したのですか」
北沢はバツが悪そうにした。
「まあ、その、まさかになってしまった」
沈黙が広がった。
藤林が助け舟を出してくれた。
「この時代では——そうおかしな話ではありません。女性が嫁ぐというのは、家と家との結びつきが目的ですから」
これ幸いとばかりに、北沢はこの話を終わらせようとした。
「この時代は、そういうことらしい。私もこの歳で、喜んで嫁をもらうわけではないからな。では、この話は……」
田村が北沢の方を見た。
「ちょうどいい機会ですので、お話します。若い乗組員たちの中には、独り身のまま、この船で歳を取っていくことを心配している者たちが大勢います」
北沢は頷いた。
「確かに、言われてみればそうだな。田村自身は、若くはないがどう思う」
「いや、わ、私に……そういうのを聞かないでください」
中村が言った。
「武蔵の若い連中にも、同じような心配を口にする者たちがいます」
橘が言った。
「KI重工の連中もそうかもしれないな」
藤林が、さっと立ち上がった。
「であれば——見目麗しい花嫁を、見つけてまいりましょうか」
北沢は苦笑した。
「急ぐ話ではないが、よろしくお願いします」
(花嫁問題は、乗組員にとっては大事なことだからな)
田中が、おもむろに口を開いた。
「確か、お市の方と呼ばれる女性は——戦国一の美女だったはずです」
会議室の視線が、一斉に北沢に向けられた。
北沢は、急いで田中の方を見た。
(おい——空気を読め。今、その話は蒸し返さんでくれ)
田中は、なぜ皆が黙っているのか分からない様子で、きょとんとしていた。
田村が、口元をひくつかせながら、なにかを言いたそうにしていた。
(言いたいことはわかる。分かるが——田村、頼むから今は抑えてくれ)
桐山が、わざとらしく咳払いをした。
「田中くん、余計なことは言わないでいい」
「え——なにか、まずかったですか」
どっと笑いが起きた。
田中は気にせず続けた。
「ただ——多少問題がありまして」
田村が田中をじっと見つめた。
「どんなことだ——」
「最初の夫、浅井長政殿と死別。次の夫、柴田勝家殿とも死別——そういうめぐり合わせの方でして」
会議室が、シーンと静まり返った。
北沢は田村を見た。
「田村——どうだ、代わろうか」
田村はわずかにたじろいだ。
「い、いえ、私は」
早川が、不満そうに口を開いた。
「なんですか。男運が悪い女は、いけないとでも」
田村は慌てた。
「そ、そういう意味では——」
北沢は苦笑した。
(よし——とにかくこの件は、一段落だな)
***
武蔵・感染隔離室。
藤林に付き添われて——マスクを付けた竹中半兵衛が入ってきた。
顔色が悪かった。
しかし——目だけが、きょろきょろと動いていた。
この部屋に来るまでに目にした、見たこともない廊下や光る壁。
そのすべてに驚いていた。
半兵衛は、言われるまま村上の前におとなしく座った。
「この船は——ずいぶん変わっておりますな」
「すぐに慣れますよ」
「まずは——黒田殿と松寿丸殿のことを、上様とお話いただいた件、お礼を申し上げます。北沢司令によしなにお伝えくだされ」
村上は半兵衛を観察した。
(顔色が悪い——)
半兵衛が、必死に咳をこらえているのがわかった。
肩が、わずかに揺れていた。
「ところで——藤林殿から、某の病気が治るとお聞きしました。本当のことでございましょうか。実は、京でも何人もの医者に診てもらったのでござる——ですが治ることはないと、さじを投げられておりまして」
「まずは、診察してからになります」
「それと——某が海神衆に加わるという話でございますが」
半兵衛は、静かに微笑んだ。
「おそらく、その前に、死んでしまいましょう。この船で死しては、皆様にご迷惑をおかけいたします。黒田殿に最後のご挨拶を済ませ次第——京へ戻ろうと思いまする」
村上は穏やかに笑った。
「労咳であれば——治りますよ」
半兵衛が驚いて顔を上げた。
「早くて六ヶ月、遅くても九ヶ月の養生で治ります。二〜三ヶ月もすれば——症状はかなり楽になるはずです」
半兵衛はしばらく村上を見つめた。
「そんなはずが、あなたたちは——いったい何者ですか」
村上は答えた。
「それは——追ってお話しします」
村上は、半兵衛の診察を始めた。
やはり労咳だった。
「労咳ですね。治療を始めましょう」
美咲が素早く動いた。
注射器と薬液が、手際よくトレーに並んだ。
半兵衛がトレーを見た。
「なんなのですか、この道具は」
「注射です。この針で——薬を直接体の中に入れるのです」
「針を体に——ですか」
半兵衛は眉をひそめた。
「痛みはありますが——最初だけです」
半兵衛はしばらく針を見つめた。
やがて——ゆっくりと目を閉じた。
「お、お願いいたす」
針が刺さった。
「……む」
半兵衛は目を開け、注射の薬剤が体に入っていく様を、じっと観察していた。
「終わりました。しばらく横になっていてください」
半兵衛は横になりながら、天井を見つめた。
「それにしても、不思議な船ですな」
「まあ、そうですね」
「黒田殿は——この船で元気にしておられるのでござろうか」
村上は頷いた。
「土牢で死にそうになっておられましたが、少しずつ——良くなってきました。松寿丸殿のご無事を知って——目に力が戻ってきました」
半兵衛はにっこりと微笑んだ。
「そうですか——よかった」
しばらくして——咳をこらえていた半兵衛の表情が少しやわらいだ気がした。
藤林は医務室の隅で、その様子を見つめていた。
(たった、あの一本の注射だけで——労咳が治るというのか)
にわかには信じがたかった。
だが——竹中殿の顔つきが、心なしか和らいで見えるのも、確かだった。




