第74話 二人で話がしたいということだな
武蔵・大会議室。
北沢は藤林の方を見た。
「藤林殿——織田殿は、村上水軍の件で、別途お礼をしたいとおっしゃっていたのですね」
「そのように言われておりました」
「では——黒田親子と竹中半兵衛殿の助命をお願いすることにしましょう。せっかく竹中殿の助命をお願いするのですから——竹中殿の病気も治してしまいたいですね」
藤林は確認した。
「織田殿は——司令に直接お会いになりたいと言われていました。お会いになりますか」
「会いましょう。ただし、安土ではなにかあった場合、対処が難しいですから堺で会うことにします」
北沢はいたずらっぽく笑った。
「そういえば——どうせ堺に出向くなら、千宗易に会ってみたいですね。堺で茶会というのはどうだろう」
田村が身を乗り出した。
「それはずるいです。私もぜひ千宗易に会ってみたいです」
松永が続けた。
「それなら、私もお願いします」
早川も手を上げた。
「私も——」
桐山まで、控えめに手を挙げた。
「かく言う私も——茶道には、実は少々心得がございまして」
「桐山、いつからそんな趣味を」
田村が驚いた顔をした。
「先週から、密かに」
どっと笑いが起きた。
藤林はにこやかに——会議室を見渡した。
(この方たちと出会い——共に歩んでいけて良かった)
ふと——才蔵の顔が浮かんだ。
(才蔵、とんでもない出会いをしてくれたな。感謝するぞ)
だが、その温かさの奥で、藤林の胸に一つの影が差した。
(先ほどの話では——織田殿の後は、羽柴殿が天下を取るという)
(そして——織田様に毒を盛っておるのは、おそらく羽柴。危険だ)
笑顔の下で、藤林の目だけが、静かに鋭さを取り戻していた。
北沢は藤林の方を見た。
「藤林殿——堀殿に連絡してもらえませんか。千宗易殿の茶会にて、お会いしたいと」
「はっ」
「なぜ茶会かと聞かれたら——織田殿に頼めば、当代随一の茶人とお会いできるのではないかと思ったと伝えてください」
藤林は頷いた。
「なるほど、織田様は気分が良いでしょうな」
北沢は穏やかに笑った。
「茶会は、人数が限られます。織田殿と、二人でゆっくり話せる場が作れるはずです」
「宗易殿は、いかがされます」
「織田殿なら——こちらの意図を察して、途中で宗易殿には席を外させるでしょう」
藤林は感心したように言った。
「なるほど——狭い茶室には大勢は入れませんからな」
「まあ、そういうことです」
北沢は全員をゆっくりと見渡した。
「というわけで——今回、宗易殿にお会いできるのは、私だけということになります」
田村が、あからさまに肩を落とした。
「今回は……しかたありませんな」
松永も続いた。
「次は、ぜひお願いします」
「同じく」
早川も小さく手を挙げた。
北沢は笑った。
「わかった、わかった。次の機会には、必ず声をかけましょう」
***
安土城。天主内の御座所。
堀が報告した。
「上様——北沢将軍公から連絡がまいりました。当代随一と評判の茶人、千宗易殿の茶会にてお会いしたいとのことです」
信長はしばらく黙っていた。
やがて笑った。
「二人で話がしたいということだな」
信長は遠くを見るような目をした。
「有岡城と村上水軍の件も落ち着いた。儂も美味い茶が飲みたくなったぞ。段取りを頼む」
「はっ」
堀は急いで部屋を出た。
(いつもながら、短いご指示なんだよな——)
廊下を歩きながら、頭の中で段取りを組み始めた。
(千宗易殿と連絡を取る。日程を調整。警備体制の準備。上様と大名たちとの謁見日の調整。有岡城の後始末も……)
(忙しすぎるぞ——すぐにやらないと怒られるぞ)
思わず苦笑した。
(だが、某の腕の見せどころだ)
堀は足を速めた。
***
堺。千宗易の屋敷。
屋敷の周囲を——織田の兵が隙間なく囲んでいた。
万全の警備体制だった。
その警備を潜り抜け、屋敷の内外に海神衆が気配を消して潜んでいた。
万が一の際には、即時対応できるはずだ。
宗易が二人を露地に案内した。
飛び石が、ひっそりと続いていた。
苔が、石の間を柔らかく覆っていた。
石灯籠が、低く構えていた。
蹲踞の前で——宗易が丁寧に手を清めた。
信長と北沢も、それに倣った。
(なるほど——これが茶の世界か)
北沢は露地の静けさに、思わず息を整えた。
茶室の前に立った。
小さな入口——にじり口だった。
宗易が穏やかに言った。
「こちらから、身を屈めてお入りください」
信長が先に身を屈めて入った。
北沢も続いた。
***
千宗易の茶室。
茶室の中は——しんと静まり返っていた。
四畳半の狭い空間。
土壁が、柔らかく光を受けていた。
天井は低く——掛け込み天井が、空間を包んでいた。
床の間に——一輪の花が、ひっそりと活けられていた。
掛け軸には、墨で一文字。
北沢は思わず部屋を見渡した。
(狭い——しかし、なぜか落ち着く)
(外の世界が、遠くなる気がする)
三人は黙って座った。
北沢は宗易に頭を下げた。
「茶についてはそれほど詳しくはありません。お手柔らかに願います」
宗易はふわりと笑った。
「茶に難しい決まり事などありません。静かに座り——美味い茶をいただくだけのことでございます」
信長が口を開いた。
「決まり事などどうでもよいのだ。とにかく、宗易がたてたうまい茶を飲む——それだけだ」
宗易は苦笑した。
「上様は——何でもすぐに本質を見抜かれますので、怖おうでございます」
「さっさとうまい茶をのませろ」
「はっ」
宗易が静かに茶をたて始めた。
茶筅が——リズムよく動いた。
抹茶の香りが、茶室に広がった。
信長は手元の茶碗を見た。
ずっしりとした黒い茶碗だった。
手に持つと——温かみがあった。
「宗易、この茶椀は面白い。どこのものだ」
宗易は静かに答えた。
「長次郎という者に作らせた黒楽茶碗でございます。手捏ねで作られており——二つとして同じものはございません」
「手捏ねか——面白き形よな」
信長はしばらく茶碗を眺めた。
「宗易——北沢殿に良き器と茶道具を渡したいのだが」
北沢はゆっくりと手を上げた。
「それは——後ほどお話を」
***
茶がたてられた。
二人は無言で茶を口に運んだ。
北沢は茶碗を両手で包んだ。
(温かい——)
茶の苦みが、口の中に広がった。
(たしかに、美味い)
外の喧騒が、遠くなった気がした。
しばらくして——信長がおもむろに口を開いた。
「宗易——北沢殿と話がある。しばらく外してくれ」
「はっ」
宗易は頭を下げた。
宗易が茶室を出た。
茶室に——二人だけが残った。




