第73話 羽柴家に戻すつもりはありません
大和・発令所。
「司令——藤林殿から連絡が入っています」
「繋いでくれ」
通信が繋がった。
「藤林殿——本当にご苦労様でした。お怪我などありませんか」
「はっ。皆、無事でございます」
「それは何よりです。それで——首尾はいかがでしたか」
「本丸跡で、荒木の家臣二十数名と遭遇しました。手練れの家臣たちが、刀で斬りかかろうとしてきましたが——お預かりしていました銃で、一人残らず討ち取りました」
「村重殿は?」
「その中におりました。黒田官兵衛殿のことを気にされていたのか、息のあるうちに——閉じ込めた土牢の場所を教えてくれました」
北沢はしばらく黙っていた。
「そうですか……もともと村重殿は、そういうお人なのでしょうな」
「はい。そして——村重の首は、織田様にお届けしてまいりました」
「お疲れ様でした。それで織田殿はなんと」
「『有岡城のこと、まことに感謝している。村上水軍の件についての礼は——別途、直接会ってお伝えしたい』とのことでございました」
「わかりました。藤林殿、今回は本当によくやってくださいました。海神衆にも、改めて礼を伝えてください」
藤林の声が、わずかに弾んだ。
「必ず、お伝えいたします」
「それと——黒田官兵衛殿の件ですが」
「どうですか」
「衰弱が激しく——話ができるような状態ではありませんでした」
北沢は眉をひそめた。
「この後、桐山と代わります。夜のうちに、ヘリで武蔵に運び込む段取りをしてください」
「承知しました」
北沢は桐山を見た。
「桐山——藤林殿と打ち合わせてくれ。ヘリの手配を頼む」
「はっ」
桐山が通信機を受け取った。
***
武蔵・医務室。
ストレッチャーに乗せられた官兵衛が運ばれてきた。
村上は一目見て眉をひそめた。
「これは酷い——ぼろぼろじゃないか」
骨と皮だけになった体。
髪が大半抜け落ちていた。
膝の関節は曲がったまま——伸ばせないようだった。
皮膚は湿気で爛れ、床ずれが全身に広がっていた。
「美咲くん——点滴を用意してくれ。ブドウ糖と電解質。それと抗生剤もだ」
「はい」
美咲が素早く動いた。
村上は官兵衛の脈を確かめた。
弱い——しかし確かに打っていた。
「生きている。助かるぞ」
瞼を確かめた。
「重度の貧血。栄養失調も極限まできている」
点滴の針を血管に刺した。
薬液がゆっくりと流れ始めた。
「床ずれがひどい——消毒して軟膏を塗ってくれ。皮膚の爛れも処置が必要だ」
「はい」
美咲が次々と処置を進めた。
しばらくして——官兵衛が微かに目を開けた。
「ここは——」
村上は穏やかに笑いかけた。
「安全な場所です。もう大丈夫です」
官兵衛はしばらく天井を見つめていた。
「……松寿丸は」
村上は一瞬言葉を選んだ。
「それは——後でゆっくりお話ししましょう。今は休んでください」
官兵衛は静かに目を閉じた。
村上は美咲に小声で言った。
「膝の関節は——すぐには治らない。時間をかけてリハビリが必要になる」
美咲が小さく頷いた。
「先生——松寿丸とは」
村上は低い声で答えた。
「今は、処置が先だ」
***
武蔵・大会議室。
北沢は、内心で少し思った。
(そこまでしなくてもいいような気もするが、念のためだ)
北沢は村上の方を見た。
「黒田殿には、誰か見張りはついているでしょうか」
村上は、なぜそんなことまでという顔で言った。
「黒田殿は昏睡状態ですよ」
北沢が言葉を続けようとすると、藤林が横から、当たり前のことのように答えた。
「才蔵をつけております」
北沢は少し驚いた。
(この時代では、当然の用心なのだろうな。私も、気持ちを改めないといけないな)
「ありがとうございます」
北沢は桐山を見た。
「桐山——黒田殿の子供の記録はどうなっている」
桐山がiPadを操作した。
「松寿丸——後の黒田長政ですね。信長から殺せと命じられましたが——竹中半兵衛殿が匿ったと記録されていますね。岐阜の岩手という場所です」
「竹中殿は、今どこにいるのかな」
「天正六年の今頃だと——三木城攻めの最中に体を壊し、京都で療養中のはずです」
「田中は——歴史に詳しかったな。黒田殿の人物像について教えてほしい」
田中は、うれしそうに説明した。
「黒田官兵衛は——竹中半兵衛亡き後、秀吉が最も頼りにした軍師です。天下人となった秀吉が『わしに代わって天下を獲るのはあの男だ』と周囲に漏らして警戒していたと伝わっているくらいです」
「有能な軍師だったのですね」
「優秀な軍師の人物像を知るうえで、心を打たれる話があります」
「どのような話ですか」
「官兵衛が有岡城に囚われたさい、元の主君・小寺政職から村重に殺してくれと密書を送ったという話があります」
北沢は目を見開いた。
「酷い話だな」
「有岡城から助け出された官兵衛は、そのことを知りながら——政職を恨まなかったようです。それどころか、後年、小寺家が没落した際には、かつての主家の遺児を、自らの庇護のもとで養い続けました」
北沢はしばらく黙っていた。
「裏切られてなお、一度仕えた主君には、仇を仇で返さなかったということですか」
「はい。謀に長けた策士、という評判が先に立ちますが——それ以上に、義理堅く、人を見捨てない人物だったのだと思います」
桐山が北沢に聞いた。
「黒田殿は、どうされますか」
北沢は少し考えた。
「田中の話を聞いていると、助けてもいい気がしました。ただし——羽柴家に戻すつもりはありません」
桐山が頷いた。
「私もそう思います。危険な羽柴に、優秀な軍師を助けてあげて、治療までして戻してあげるのは、さすがにどうかと思いますので」
北沢は藤林の方を見た。
「藤林殿、黒田殿が我らの仲間になった場合、海神衆に入ってもらいたいのですが、どうですか」
藤林はしばらく考えてから答えた。
「海神衆が、戦にも参加する可能性があるのなら——軍師のような人間が必要だと思います。ちょうどよい話かと」




