第72話 構うな、撃て
有岡城・本丸跡。
瓦礫が赤く光っていた。
炎の音だけが聞こえた。
中忍たちが徐々に集まってきた。
藤林は瓦礫を見渡した。
(これでは——生きているものはいないかもしれない)
その時——。
本丸脇の倉庫の影から、人影が現れた。
二十数名の武将が——刀を抜いて詰め寄ってきた。
藤林は素早く武将たちを見渡した。
(手練れぞろいだ——)
先頭に立つ、初老の武将が——藤林の顔を見て、目を細めた。
「……藤林ではないか」
藤林の背筋が、冷たくなった。
(この男——三年前、伊賀に仕事を頼んできた、荒木家の家臣だったのか)
男は振り返り、村重に向かって声を上げた。
「殿、こやつら——妙な格好をしておりますが、伊賀の忍びにございます」
中央に立つ、ひときわ身分の高そうな男——荒木村重が、眉をひそめた。
「忍びだと」
「はっ。奇妙な格好をしておりますが、間違いございません。しかも——ろくに武の鍛錬をしていない連中です。刀を抜いて斬り合えば、恐れるに足りません」
別の武将が、鼻で笑った。
「一気に、蹴散らしてくれるわ」
村重が、藤林たちの手元に目を留めた。
「待て——あれは、何を持っておる」
先頭の武将が、村重を振り返って答えた。
「ご心配には及びませぬ。どうせ——忍びが得意とする、目くらましの道具でございましょう」
「そうか」
村重は、刀を抜いた。
「よし——かかれ!」
武将たちが、一斉に刀を構え、間合いを詰め始めた。
藤林は、冷静に相手の様子を眺めていた。
(切り合えば——こちらが負ける。だが、斬り合いなどしてやるものか)
武将たちの足が、駆け出そうと沈み込んだ、その刹那——。
「撃て」
藤林の感情を抑えた声が響いた。
乾いた音が連続した。
男たちが次々と倒れた。
中央の男だけが——まだ立っていた。
村重が叫んだ。
「なんだこれは——忍びが妙な道具を使いおって、堂々と刀で戦えぬのか!」
「構うな、撃て」
銃声が響いた。
村重がゆっくりと倒れた。
藤林は用心しながら近づいた。
村重は生きていた。
荒い息の合間に、途切れ途切れに言った。
「本丸裏手の……沼の側に、土牢がある。使い道があるかと思うて……閉じ込めている男がいる」
村重は、薄く笑った。血の混じった笑みだった。
「殺すには、惜しい男だ……もっとも、忍びのお主らに、そんな情けが分かるかどうかは、知らぬがな」
「その者の名は」
藤林が静かに問うた。
村重は、皮肉げに藤林を見た。
「聞いてどうする。所詮——銭で雇われただけの、道具ではないか」
最後の気力を振り絞るように、村重は言葉を継いだ。
「黒田……官兵衛と……」
そこまで言うと、村重は糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。
もう、二度と動かなかった。
鎧を確認した。
(荒木家の家紋——間違いない)
「首を落とせ」
配下が用心しながら近づいた。
炎が——赤々と燃え続けていた。
***
有岡城・本丸跡周辺。
藤林は中忍たちに目配せした。
「聞いていたな、黒田官兵衛殿が入れられている土牢を探してくれ」
「はっ」
配下たちが炎の城内に、音もなく消えていった。
しばらくして——配下の一人が戻ってきた。
「頭領——本丸裏手に沼があり、その近くの竹藪の中に——土牢を見つけました」
「よくやった、案内しろ」
***
竹藪の奥に——木の格子で塞がれた横穴があった。
湿気が強く——昼でも暗そうな場所だった。
まるで、忘れ去られるために作られたような場所だった。
藤林は格子に近づいた。
「黒田殿でござるか」
暗闇の中で——微かに動く気配があった。
「そう……でござる……」
それだけ言って——男は力なく崩れ落ちた。
配下が格子を素早く壊した。
中に入った藤林は思わず息を呑んだ。
(これは——拷問にも等しい仕打ちだ)
骨と皮だけになっていた。
髪が抜け落ち——膝の関節が曲がったまま、伸ばせないようだった。
「この男を連れて帰ろう」
配下が官兵衛を抱き起こした。
藤林はしばらく官兵衛を見つめた。
この状態では——判断も何もあったものではない。
(まずは、村上殿に診てもらおう)
「急げ」
***
有岡城周辺・織田本陣。
堀が早足で信長のもとにやってきた。
「上様——海神衆が、荒木の首を持ってまいりました」
信長の目が光った。
「なんと——会おう」
藤林が堀に案内されて、信長の前に立った。
緊張しながら、藤林はゆっくりと頭を下げた。
「北沢司令が家臣——海神衆の頭領、藤林長門でござる」
信長はしばらく藤林を見つめた。
「その方が——北沢将軍公の配下となった伊賀衆の頭領だな」
「さようでござる」
信長は改まった声で言った。
「北沢将軍公に——此度のこと、まことに感謝していると、お伝えくだされ」
「必ずや、お伝えいたします」
「村上水軍の件についての礼は——別途、直接会ってお伝えしたい。その旨もよしなに」
「承知いたしました」
藤林は静かに頭を下げた。
忍びという身は、本来——大名の家臣、そのまた家臣にすら、まともに顔を合わせることの叶わぬ身分だった。
(それが今、織田様と——対等に言葉を交わしておるとはな)




