第69話 夜の闇の中から——何が攻めてきたのだ
有岡城・天守。
荒木村重は、窓の外を見つめていた。
夜の城下が、暗く沈んでいる。
織田殿を裏切ることになってしまった。
発端は、儂が本願寺に通じているという、根も葉もない噂だった。
(いったい誰だ——そんな噂を仕組んだやつは!)
村重は腕を組んだ。
どうせ、毛利家の仕業だろう。
安っぽい離反の計、まんまと成功というわけか。
ならば——毛利家よ、さっさと支援に来い。
苦い笑いが込み上げた。
こうなったら、腹を決めるしかあるまい。
村重は天守の窓に手を当てた。
本願寺は、そう簡単には落ちない。この城で粘り続ければ——どこかで情勢が好転するかもしれぬ。
夜遅くまで、城内で戦準備が進められているのを見ていると、思わず声が漏れ出てしまった。
「もう後には引けぬな」
ふと——官兵衛の顔が浮かんだ。
あの男は、あれこれと理を説いておったが——そんなことで、この状況を変えられるはずがないだろう。
官兵衛の元の主君・小寺政職からは、あの男を殺してくれと文が届いておった。
だが——あんな腰抜けの言うことなど、聞く道理があるものか。
自分の家臣一人、始末する度胸もない男が、儂に指図するでないわ。
面倒だから、土牢に放り込むことにした。
なにか使い道があるかもしれん——そう思うたまでよ。
あれから、もう会ってもいない。
光も差さない地下の土牢だ。
死んでいるかもしれんな。
もはや、どうでもよいことだ。
村重は天井を見上げた。
頭の切れる男だということは、儂とて認めておる。
だが——ああいう、こちらの腹の底まで見透かすような目をした男は、昔から好かなかった。
夜風が吹いた。
天守の灯りが、わずかに揺れた。
***
天正六年十月下旬。
大和・発令所。
田村は桐山の方を見た。
「桐山、村上水軍の本拠地を確認してくれないか」
桐山がiPadを操作した。
「三つあります。愛媛の能島と来島——それと広島の因島です」
「ルートはどうだ」
「大阪湾から明石海峡を抜けて瀬戸内海を西に向かうルートが最短です。しかし——」
桐山が続けた。
「瀬戸内海は平均水深が約三十八メートルと浅く、潜水艦での安全な航行には向きません。潜望鏡深度での航行でも難しい箇所があります」
「遠回りでも安全なルートはどうなる」
「大阪湾から紀伊水道を南下して太平洋に出る。そのまま高知沖を回って——豊後水道から北上するルートなら問題ありません。遠回りにはなりますが——水深は確保できます」
「距離はどうだ」
「大阪湾から豊後水道を抜けて、能島に近い燧灘付近まで——約六百五十キロメートルです。時速五十五キロ程度で移動すれば——約十二時間で到着できます」
桐山は続けた。
「攻撃に最も適しているのは——波が静かになる、深夜二時頃かと」
田村は少し考えた。
「では、深夜二時に攻撃位置に着くよう逆算すればいいな。出発は——前日の昼過ぎだ」
「レールガンの実用射程は三十キロメートルだ。どこまで近づけばいい」
「燧灘の中央部まで行けば——能島まで約十五キロ、来島まで約十キロ、因島まで約二十キロです。すべてレールガンの射程内です」
「では、その時間で出発しよう」
「はっ」
桐山が続けた。
「一つ、注意が必要な点があります。豊後水道は潮流が激しく、特に速吸瀬戸付近は、渦を巻くほどの急流です。大型艦での通過には、慎重な操艦が求められます」
田村は少し考えた。
「燧灘まで入れば——波はどうなる」
「島々に囲まれた海域ですから——外洋のうねりが入りません。命中精度は問題ありません」
「水深は大丈夫か。特に来島海峡は浅いと聞くが」
桐山が答えた。
「日中なら厳しいですが——夜間ですので、セイルを水面に出した半浮上の状態で進めます。それなら、浅い場所でも座礁の心配はありません」
「なるほど——豊後水道から伊予灘、燧灘まで、夜は半浮上で進んで、浮上してレールガンを撃つ。それで行こう」
田村は全員を見渡した。
「燧灘に到着後——まず、最も勢力の大きい能島を叩く。次に来島、最後に因島だ」
「了解です」
***
午前一時三〇分。燧灘。
大和・発令所。
大和は燧灘に向けて潜望鏡深度で進んでいた。
桐山がモニターを見つめた。
「まもなく燧灘——到着します」
「浮上する。ただしセイルだけを水面に出した状態で進め。能島まで——およそ何キロだ」
「約十五キロメートルです」
「燧灘は波が穏やかだな」
「島々に囲まれた海域ですから——外洋のうねりが入りません。命中精度は問題なしです」
「よし——レーダードローンを飛ばせ。係留している船を確認する」
ドローンが、勢い良く上昇し、移動した。
モニターに——能島の港が映し出された。
篝火の光の中に、大型の船影が並んでいた。
「安宅船が——三隻。関船が七隻。全部で十隻です」
田村は目を細めた。
「人の気配は」
「見張りが二名——港の入口に。他の乗員は下船しているようです」
「よし——安宅船から順番に沈める」
「照準——完了」
「撃て」
レールガンが光を放った。
轟音とともに——安宅船の船体が、真っ二つに割れた。
次の瞬間、船が傾き——みるみると海に沈んでいった。
「一隻目——沈没確認」
「次——撃て」
また轟音。
二隻目の安宅船が——火柱を上げて沈んだ。
港の見張りが叫んだ。
「な、なんだ——!」
「何が起きた——!」
見張りたちが右往左往した。
しかし——何も見えなかった。
暗い海に——光一つなかった。
「三隻目——撃て」
轟音。
三隻目の安宅船が波間に消えた。
「続けて関船を狙え」
七隻の関船が、次々と撃沈された。
港は——炎と水しぶきで満ちた。
田村は言った。
「能島——完了」
発令所に、しばしの静寂が流れた。
誰も声を上げなかった。
モニターに映る、粉々に砕けた船体の残骸を、田村はしばらく見つめていた。
(この時代の木の船を沈めるのには——これほどの威力は必要ないな)
(威力を絞った、この時代用のレールガンを、松永に検討して——)
だが、田村はその思考を、静かに振り払った。
(今は——迷っている場合ではない。やるべきことをやるだけだ)
来島、因島と——同じことを繰り返した。
ドローンが港を映し出すたびに、田村は短く命じた。
「撃て」
その一言で——安宅船が炎を上げ、関船が波間に沈んだ。
「来島——完了」
「因島——完了。全本拠地の船を撃沈——完了です」
田村は発令所の椅子に深く座り直した。
「よし——帰投する。潜望鏡深度に戻れ」
大和は静かに夜の伊予灘から消えていった。
***
翌朝。
能島の港。
村上武吉は、港の惨状を見つめていた。
昨夜まで並んでいた安宅船も関船も——一隻も残っていなかった。
残骸が、ゆらゆらと波に揺れていた。
「……何が起きた」
誰も答えられなかった。
「見張りは何をしておった」
「はっ——何も見えませんでした。音だけが——」
武吉は海を見つめた。
(何者だ——)
(夜の闇の中から——何が攻めてきたのだ)
寄せては返す波が、砂浜を洗っていた。




