第66話 そなたたちは、いったい何者であるか
天正六年十月中旬。
津田宗伴の屋敷。
信長はゆっくりと起き上がり、座った。
それまでの、静かな療養の空気が、一瞬で変わった。
「村上殿——そなたたちは、いったい何者であるか」
気づけば、部屋の空気が、先ほどまでとは別物になっていた。
世間話のような口調のまま、刃だけを突き付けてきた。
村上は、息を呑んだまま動けなかった。
(どう答えるべきか)
桐山も、内心で背筋が凍るのを感じた。
(いきなり切り込んできたな)
桐山は、乱れかけた息を、意志の力で整えた。
「それは——私からご説明させていただいてもよろしいでしょうか」
堀の表情に、わずかに警戒の色が浮かんだ。
信長は手を振った。
「話を聞こう」
桐山は、一度深く息を吸った。
(言葉だけで、信じてもらうのは難しい。まずは——目に見えるものからだ)
桐山は懐からボールペンを取り出した。
メモ用紙とともに、信長の前に、静かに置いた。
信長の視線が、その小さな棒切れに移った。
先ほどまでの、射抜くような鋭さとは違う、純粋な興味の色があった。
「なんじゃ、これは」
「少し変わった筆と紙でございます。手に取って、文字をお書きになってみてください」
信長は、しばらくボールペンを見つめていた。
その目には、まだ先ほどの鋭さが残っていた。
しかし——やがて、その光が、少しずつ質を変えていった。
疑いではなく、興味へ。
信長は手に取った。
指先で転がすように、その軽さと感触を確かめた。
紙に、文字を書き始めた。
――さらさら、という小さな音。
信長の目が、大きく見開かれた。
「墨をつけなくてよいのか。しかも——するすると文字が書けるではないか」
その声には、もう鋭さのかけらもなかった。
ただ、無邪気な驚きだけがあった。
紙を指で撫でた。
「この紙も——つるつるしておるな。紙というのはざらざらしているものだ」
信長は、まるで童のように顔をほころばせた。
「面白いぞ——堀、おまえも書いてみろ」
堀は、その様子に目を丸くした。
(上様が——あのような顔を)
こんな信長の表情を見るのは、初めてだった。
堀が恐る恐るボールペンを手に取った。
筆を持つように——縦に握った。
しばらくして、堀が言った。
「少し変わったどころか、変わりすぎておりまする。いったいこれは——」
信長はボールペンを桐山に返した。
「もう一度聞こう。そなたたちは——いったい何者であるか」
桐山は、すぐには答えなかった。
話を聞いて、信長がどう出るか。
下手をすれば、怪しいやつと断じられ、斬り捨てられるかもしれない。
短い時間に——桐山は、ここまでのやり取りを思い返した。
毒の一件を、紙一枚で即座に真意を汲み取った判断力。
ボールペン一本に、子供のように目を輝かせる純粋さと好奇心。
そして——一言で、部屋の空気を変えてしまう、あの力。
桐山は、その目をまっすぐに見返した。
一つ、息を吐いた。
覚悟を決めた顔だった。
「申し上げます」
桐山は、一言一言を選びながら、静かに続けた。
「我らは——何百年も先の世から、時空を飛び越えてまいりました」
部屋の空気が、張り詰めた。
「神か、それとも別の何者なのか——それはわかりません。ですが、意志ある何者かが、我らをこの時代に飛ばしたのだと思っております」
信長はしばらく黙っていた。
「だから、村上殿のような治療ができたのだな」
「そのとおりです。信じていただけましたでしょうか」
信長は迷いなく言った。
「信じるしかあるまい」
信長は続けた。
「唐瘡を治し——砒霜の毒を言い当て、解毒する——この時代には、あり得ない道具と薬を使ってだ。疑う余地などないであろう」
桐山は、詰めていた息を、そっと吐いた。
安心すると同時に——それまで、いかに体中に力を入れていたかに気づいた。
堀は思った。
(常人には計り知れぬ速さで、答えに辿り着かれる。だからこそ——某のような者が、傍らでお支えする意味がある)
***
「我らの代表からの伝言を預かっております」
村上は袋からiPadを取り出した。
信長が、それをじっと見た。
「これは妙な板であるな」
「これで——北沢司令の伝言をご覧いただけます」
「そなたたちの代表は——司令というのか。それもまた面白い」
村上はiPadを信長の前に向け、動画を再生した。
信長は画面を見つめた。
動画の中で——北沢が動き、口を開いた。
信長は、身を乗り出した。
「この薄い板の中に、どうやってひとが入るのだ」
説明が必要だと思い、村上がいったん映像を止めた。
信長が質問した。
「何百年も先の世界では——ひとはこんなに小さくなれるのだな」
村上は答えた。
「いいえ、ひとは入っておりません。風景やひとの姿を——記録することができる板なのです。今ご覧になっているのは、記録しておいたものです」
信長はしばらく黙っていた。
「記録とは、絵図を描いておくということじゃな」
「似てはいますが——絵図と違い、動き、声まで記録できるのです」
信長の目が輝いた。
「動きも、声も——か。面白いのう」
「はい」
信長はもう一度、画面をじっと見つめた。
(この男が——北沢司令か)
堀も画面を覗き込んでいた。
その顔は——先ほどの警戒の色が消え、ただ純粋な好奇心に満ちていた。




