第60話 村上殿——儂の家臣にならぬか
天正六年十月初旬。
津田宗伴の屋敷。
宗伴の屋敷に、数人の人影があった。
唐瘡を治した名医がいるという話に、九鬼嘉隆が飛びついたのだ。
九鬼嘉隆が、村上に頭を下げた。
「津田宗伴殿の唐瘡を治したと聞いた。まことであるなら、某の家臣、清兵衛も治療してもらいたい」
村上は穏やかに頷いた。
「もちろんです。治らなければお代はいただきません」
「そうか——治してやってくれ。頼む」
九鬼は、村上たちにちらりと目をやった。
(村上と、その横の女――二人とも、のんびりというか、金に興味がなさそうというか、聞いていたとおりだな)
(だが、その斜め後ろの男は油断ならない感じがする)
嘉隆は、自分の隣に座る男の方をちらりと見た。
「こちらは作田甚右衛門と申す。清兵衛を心配してついてきたのだ」
作田が頭を下げた。
四十五歳ほどの男だった。
長身で——痩せていた。
嘉隆は配下のような紹介をしたが、どこか不自然だった。
着ているものが、嘉隆より明らかに上質な生地だからだ。
村上は、美咲と桐山の方を見た。
「こちらは——美咲と申す助手。その横は、薬剤探しを手伝ってもらっている桐山殿です」
桐山が頭を下げた。
(この作田という男——)
頭を下げた瞬間、桐山は背中に視線を感じた。
鋭い——刺さるような視線だった。
(目の圧が、ただごとではない)
長年、自衛隊で培った本能が告げていた。
(この男には——嘘も誤魔化しも通じない。一瞬で見透かされる)
ゆっくりと頭を上げながら、桐山はさりげなく男を観察した。
色白の細面に——目だけが、異様なほど鋭く光っていた。
(嘉隆の配下でないことは明らか。しかも只者ではない雰囲気)
(ひょっとすると……)
桐山は内心を、顔には出さなかった。
***
「では——清兵衛殿、こちらに横になってください」
清兵衛がゆっくりと横になった。
村上が丁寧に症状を確かめた。
村上は九鬼と作田を振り返った。
「津田殿と同じ症状です。ご安心ください——治りますので」
村上は美咲に目配せした。
美咲が素早く道具を並べ始めた。
消毒液、注射器——。
作田が身を乗り出した。
「その細い針のような道具は——なんであるか」
美咲が答えた。
「注射と申します。この針で——薬を直接体の中に入れます」
「針で体に薬を……」
作田は興味深そうに道具を眺めた。
清兵衛が心配そうに言った。
「痛くはないのですか」
村上が清兵衛に説明した。
「最初だけ、少し痛みますが——すぐに終わります。今日を含めて、二度か三度来ていただければ治ります」
「では、始めます」
清兵衛がおとなしく目を閉じた。
針が刺さった。
「……む」
「終わりました。しばらくここで休んでください」
作田が清兵衛をじっと見ていた。
「これで唐瘡が治るとは——清兵衛、具合はどうじゃ」
清兵衛はしばらく体の感覚を確かめるように言った。
「はっ……不思議なことに——針を刺した後、体が少し楽になった気がします。これまでの治療とは——まるで違います」
作田は不思議そうに頷いた。
桐山はその様子を見ながら、内心で確信していた。
(作田は——織田信長で間違いない)
村上が、こちらをちらりと見た。
(村上先生も気づいているな)
作田は村上をまっすぐ見た。
「村上殿——これは素晴らしい医術であるな。どこで学ばれた」
村上は答えた。
「師匠はおりません。独学で学んできました」
作田はしばらく村上を見つめた。
「村上殿——儂の家臣にならぬか。金も、ほしいだけ払おう。望むなら領地も与えよう」
村上が思わず嘉隆を見た。
「九鬼様、これはいったい――」
嘉隆が慌てたように小声で言った。
「あ、いや……。今日はお忍びでは——」
作田はゆったりと手を振った。
「よい。良き人材を見逃すほど——儂の目は曇っておらぬ」
部屋が静まり返った。
村上は、そっと作田の方を見た。
(いきなり織田信長――どうすれば)
桐山はどうすべきか考えていた。
(想定外の展開だ——どうする)
「そこの女——美咲といったか。村上殿の助手が務まる腕前。そなたも安土に来るが良い。桐山、おまえもどうだ」
美咲が思わず声を上げた。
「あ、安土……でございますか」
作田は、楽しそうに笑った。
「おお、そうじゃった。儂は——織田前右府じゃ」
部屋が静まり返った。
桐山は、内心で冷や汗をかきながら頭を下げた。
信長が、鋭い視線で村上を見つめた。
ただそれだけで、部屋の空気が張り詰めた。
「村上殿——もう一度言う。儂の家臣にならぬか」
低く、静かな声だった。
だが、逆らうことを一切想定していない声でもあった。
村上は答えた。
「ありがたいお話ですが——某は山で薬剤を探し、自らの医術を磨き極める人生を続けていきたいと考えております」
信長は、しばらく村上を見つめた。
瞬きの一つもしない、値踏みするような眼差しだった。
やがて、口の端がわずかに上がった。
「ますます気に入った」
その笑みに、桐山は背筋が冷えるのを感じた。
喜んでいるはずなのに——なぜか、断ることを許さない響きがあった。
「なんとしても——その方を家臣に迎えるぞ」




