第59話 忍びの生き方も変わる
治療から三日後。
津田宗伴の屋敷。
津田宗伴は鏡を見た。
(発疹が——薄くなっている)
信じられなかった。
ここ数ヶ月、体中に広がった赤い発疹。
医者に見せるたびに首を振られ、高い治療代だけを取られてきた。
それが、たった一本の注射で——。
宗伴は、指先で発疹をそっとなぞった。
(気のせいやない。確かに薄うなっとる)
宗伴は番頭を呼んだ。
「おい番頭、あの薬草屋へ行っておくれ。二度目の治療を頼みたい」
「かしこまりました」
「ついでに——礼として、いくらか包んでおいで」
***
さらに三日後。
津田宗伴の屋敷。
「消えてる……」
宗伴は自分の手のひらを見つめた。
発疹が、ほとんど消えていた。
あれほど体にまとわりついていた倦怠感も——嘘のように消えていた。
鏡に映る自分の顔を、まじまじと見つめた。
(あの医者——とんでもない名医やないか)
宗伴は番頭を呼んだ。
「おい番頭、銭を用意しとくれ」
「いかほどでございましょうか」
「二百両分や。金子で揃えとくれ」
番頭が目を丸くした。
「に、二百両分でございますか」
「そうや。あの薬草屋に届けてきなさい」
「はい」
番頭が出ていった後、宗伴はひとり呟いた。
「あの医者には——治してもらった恩がある。受けた恩は倍返しや。それが商人というもんや」
***
それから二日後。
堺の開口神社。
会合衆の寄り合いが開かれていた。
宗伴が口を開いた。
「みなさん、聞いておくれやす。堺の外れの薬草屋に——とんでもない医者がおりましてな」
「とんでもない医者とは、どのような」
「唐瘡を——たった二度の治療で治してしもうた」
座が静まり返った。
「唐瘡が、二度で……」
「ほんまの話でっせ。某がその証拠です」
ざわめきが広がった。
「どんな医者や」
「変わった男でしてな。普段は山に入って薬の材料を探しているそうです。金儲けには興味がない——治らなければお代はいらんとくる」
「金儲けに興味がない医者か——」
「そうです。こんな時代にやで」
「で、どうするつもりや」
宗伴は笑った。
「今をときめく織田様に、この話が伝わるようにしてやろうと思います。織田様に認められれば——あの医者もうれしいはず」
「九鬼嘉隆殿は——織田様の耳目ですよ。話が早いのでは」
別の会合衆の一人が言った。
「そういえば——ちょうど九鬼殿の側近が、同じ唐瘡で苦しんでいると聞いとります。その話をしてやれば——九鬼殿が動くのでは」
宗伴は頷いた。
「考えてみれば——我らにとっても、織田様に恩を売れる好都合でもありますな」
少し間を置いた。
「近江商人ではないが——売り手良し、買い手良し、世間良し。三方良しというやつやないですか」
どっと笑いが起きた。
***
会合衆の寄り合い部屋。天井裏。
才蔵は息を殺して、下の話を聞いていた。
(これは——九鬼様に知らせる手間が省けそうだ)
思わず笑いそうになるのをこらえた。
(しかし——噂はたんまりと流しておくに越したことはない。堺中に広めてやるぞ)
才蔵は音もなく天井裏を移動しながら、ふと思った。
(それにしても——いつもながら、村上先生の技術はすごい)
唐瘡で困っていた宗伴を、たった二度の治療で治ってしまった。
この時代では、あり得ないことだ。
(頭領の話では——女には看護師の術を、男には医者の術を教えてくださるとか)
才蔵はふと立ち止まった。
(竹丸は——まだ子供すぎるか)
しかし——ふと、志乃の顔が浮かんだ。
(志乃は——どうだろうか)
志乃は肝が据わっている。
松林で短刀を構えて竹丸をかばったとき——。
あの度胸なら、看護師として立派にやっていけるかもしれない。
(今度、聞いてみるか)
才蔵は天井裏を伝い始めた。
まずは、藤林頭領に報告しなければならない。
***
堺。伊賀忍びの拠点。
弥助・源次・甚兵衛・市兵衛・才蔵が、藤林の前に並んでいた。
心配していたのだろう、弥助が最初に口を開いた。
「頭領——お体の具合はいかがですか」
才蔵以外の三人も藤林に顔を向けた。
藤林は笑った。
「大丈夫だ。心配をかけたな」
藤林は市兵衛に目を向けた。
「市兵衛、伊賀の様子はどうだ」
市兵衛が答えた。
「米が送られると聞いて——伊賀の衆たち、元気百倍ですぞ。米を隠しておく場所の手配や、運び込みの体制を整えています」
「それは良かった」
藤林は腕を組んだ。
「本来なら、儂が伊賀で指揮を取るべきなのだが——北沢司令の策が進行中でな、手を離せないのだ」
「わかっております。頭領はここにおられる方が、伊賀のためになります」
「では——弥助、源次、甚兵衛から順に報告を聞こうか」
***
三人が報告を終えた。
藤林はしばらく黙って考えていた。
「整理してみるか」
藤林は、報告を一つずつ確認していった。
「安土では——どこぞの忍びを使い、織田様に遅効性の毒を盛っている者がいる。それゆえか、周囲の武将たちの間でも、織田様の機嫌が悪い、以前とは振る舞いが違う、と言う者が多いと」
そこで言葉を切って、藤林は続けた。
「北畠では——羽柴が、側近を使って信雄様に取り入ろうとしていた。『信忠様より信雄様の方がずっとご優秀だ』と持ち上げられ、信雄様はご満悦だったと」
中忍たちも少しずつ話が繋がってきたのか、何度も頷いていた。
「九鬼水軍については——織田様の命で鉄甲船を作っていたが、間に合っていない。海賊衆からは『負けたら切腹で済めばいいが、一族郎党まで打首になるかもしれん』という声が出ていたそうだ。その海賊衆の話の中にも——織田様が以前とは違う、と言う者がいたと」
藤林はしばらく腕を組んでいた。
「共通して同じ話が出てくる」
才蔵が声を落として尋ねた。
「織田様の変化——でありますか」
藤林は頷いた。
「そうだ。何かの目的を持って、遅効性の毒を織田様に盛っている者がいる。それと関わりがあるかどうかは、まだわからぬ。だが——織田様の様子が以前とは違ってきているのは、どうやら間違いない。羽柴が信雄様を焚き付けているのも——何か関係があるのかもしれぬ」
「羽柴が、なにかを仕掛けている可能性がある、ということですか」
藤林は少し間を置いた。
「儂もそう思う。だが——勝手な憶測を交えて報告するわけにはいかぬ。見聞きしたことを、そのまま北沢司令にお伝えする。あとの判断は司令に任せよう。おそらく——司令も、儂と同じことを考えられるはずだ」
藤林は全員を見渡した。
「ご苦労だった。引き続き各地の拠点に留まり、監視を続けてくれ」
***
「話は変わるが——司令からの命令だ。商売に向いている者は、新たに各地に設けた店で商売をさせよ。足を怪我した者などは、優先してな。伊賀の薬は、堺で売れ行きが良いのだ」
商売と聞いて、全員が顔を上げた。
「伊賀は変わる。北沢司令が、この国そのものを変えると言っておられる——我らも、変わらねばならぬ」
藤林は続けた。
「これまでのような——我らを人とも思わぬ者からの依頼仕事は、すべて断れ。我らはこれより、司令のため、この国のために働く。それが——我らの使命だ。銭のことは案ずるな。司令がなんとかしてくださる」
才蔵が言った。
「頭領——我らがこの国を変えるために働く。国が変われば、忍びの生き方も変わるのですね」
藤林はうれしそうに笑った。
「来る。儂が生きているうちに——必ず来る」




