第57話 ペニシリン——完成ですか
武蔵・薬品製造室。
村上が青カビの培養を始めてから——三週間後。
「できた」
村上は試験管を光に透かして見た。
薄黄色の液体が揺れていた。
美咲が隣で頷いた。
「ペニシリン——完成ですか」
「まあそうなんだけど、この薬は織田殿と会う機会を作るためのものだから。使っても数人ということになる。もちろん将来的には、権力者である織田殿の協力を得て、この国の梅毒患者をたくさん救うことができるかもしれない。そうなってくれれば医者としてはうれしいな」
「先生、たくさんの患者に注射することになったら、注射器とかどうするのですか。武蔵のストックはそんなにありませんよ」
「お金はかかると思うけど、腕のいい銀細工師に活躍してもらうのもいいかもな」
「なるほど」
「銀は柔らかく、細く伸ばせる。それに——銀には殺菌作用もある。腕のいい職人なら、細い管を作ることくらい、できると思う。いずれにしても——それも、織田殿がどのような人物かによるな」
美咲は少し笑った。
「まずは、堺で見つけてもらう患者を、きちんと治療することですね」
「そのとおりだ」
***
村上がペニシリン作りに励んでいた頃、堺・安土・京の都・伊勢の各地では、忍びたちの拠点となる店が、次々と形になりつつあった。
藤林は、堺の拠点に常駐することになった。
それと並行して、村上が堺で梅毒治療を行うための診療所も、準備が進められていた。
***
武蔵・発令所。
藤林から、武蔵にいる北沢に連絡が入った。
「堺の外れに——小さな町屋を借りました。表向きは伊賀特産の薬草を商う店です。腹薬や傷薬を実際に売ってもらいます」
「それは良いですね。本物の薬草なら——堺でも評判になるでしょう」
「伊賀の者たちが作った薬ですから——品物は本物でございます」
「他の拠点づくりや、伊賀への食料はどうですか」
「すべて滞りなく進めています。伊賀の山に隠れている者たちは——泣いて喜ぶと思います。ありがとうございます」
北沢は柔らかい口調で返した。
「海底で拾ったものを使っただけです。伊賀のひとたちの、お役に立てたならうれしいですよ」
北沢は少し間を置いてから言った。
「ところで、唐瘡の件ですが——薬ができました」
「え、もう、できたのですか」
「それで——患者の目星はどうですか。治療の評判が自然に広まるような、名の知れた人物がいいですね。理想を言えば——織田家に、都合よく患者がいてくれるとありがたいのですが。あるいは、織田家が恩を売りたい公家でも構いません」
「堺では何人か目星がついています。織田家や公家の方も、あわせて探しておきます」
「仕事が早くて助かります」
北沢は話を続けた。
「それと——堺で流してもらう、『名医現る』という村上先生の噂ですが」
「はっ」
「その名医は、いつも山に入っていて、薬になる材料を一日中探していることにします。連絡がなければ山から降りてこないし、金儲けにも興味がない。そんな風変わりな医者が、唐瘡を治すことができるらしい——そんな噂がいいですね」
藤林は少し間を置いた。
「なるほど——『そういう風変わりな医者なら、あるいは?』と思ってもらうのですな。織田様も興味を持つに違いありません」
「噂を流すのは、忍びの得意とするところだと思います。よろしくお願いします」
「しっかり噂を広めておきます。ご安心ください」
「それと――治療を行うときには、村上先生と水島看護師には護衛をつけてください」
「そこは儂も気になっておりました。腕利きの者を数名配置します。頂いたサイレンサー付き拳銃などの武器を携帯させますので——大勢の兵でも押し寄せでもしない限り、問題はないです」
「それと——今回の件とは関係なく、看護師を何人か養成しておこうかと思います。なにかあった時、美咲さん一人では手が回らなくなりますので。伊賀から避難した方の中から、適性のある者を数名選んでいただけませんか。美咲さんにしっかり鍛えてもらいます」
「そのような貴重な技を教えていただけるなど、願ってもないです」
「それと、時間は掛かりますが——村上先生のもとで医術の修行をしてみたいという若者はいませんか。手先が器用で頭の良い者がいいですが」
藤林は少し間を置いた。
「伊賀の者たちにとって——医者を目指せるなど、夢のような話です。手を挙げる者は大勢いるでしょう。儂が目を光らせて選んでおきます」
北沢は言った。
「彼らが育てば——伊賀だけでなく、この国全体のためになりますからな」
藤林は答えた。
「まことに——そのとおりで」
***
堺・伊賀忍の拠点。
才蔵が藤林に報告した。
「堺で、目星をつけた患者が二人います」
「どんな患者だ」
「一人は——九鬼嘉隆様の側近、清兵衛という男です。唐瘡の症状が出ており、最近めっきり元気がなくなったと聞いています」
「もう一人は」
「堺の豪商、津田宗伴という男です。茶人としても顔が広く——堺では知らない者はいません。最近、体に発疹が出ているが、治せる医師がいないと噂になっています」
藤林は頷いた。
「なるほど、茶人として有名な宗伴が治れば——堺中に噂が広まる。その噂を聞きつければ、清兵衛から治療の依頼が来る。清兵衛が治れば——織田様の耳に届く。そういう流れだな。才蔵、良くやった」
「はっ」
藤林は通信機を取り出した。
「北沢司令に報告しなければ」




