第56話 本当にありがとうございます
武蔵・大会議室。
北沢は言った。
「これは、この近くの海に沈んだ船から回収したものです。これで——米はどれくらい買えますか」
藤林は、ようやく我に返ったように品物に手を伸ばした。
銀の延べ棒を持ち上げ、その重さを確かめるように、しばらく黙っていた。
「この銀の延べ棒一本で——米が二十石以上は買えます」
「この壺や皿はどうでしょう」
藤林は壺を手に取り、しげしげと眺めた。
手が、わずかに震えていた。
「これは——明の上物でございます。堺の商人に持ち込めば、かなりの値がつきます。十両は下らないでしょう」
才蔵が、思わず声を漏らした。
「壺一つで——十両……」
「それにしても——」
藤林は首を傾けた。
「海に沈んだ船からといっても、そんなに浅くはなかったはずです。こんな重いものを、どうやって——」
田村が笑いながら答えた。
「この船にはそういう設備があるんです。深く海底に潜れるやつもいるし——みんな退屈していたので、気分転換にちょうどよかったです」
藤林はしばらく黙っていた。
目の前に積まれた財宝と、それを事も無げに語る田村の顔を、交互に見つめていた。
(このひとたちは——底が知れないな)
才蔵も、同じ思いだった。
北沢は続けた。
「このお金で——伊賀の山に残っている者たちに、米を送れますか」
藤林はしばらく考えた。
「三百名が六ヶ月食べるには——およそ百三十五俵ほどが必要です。一両で米が二俵半ほど買えますから——五十四両あれば十分です。ですから、この銀の延べ棒だけで——ゆうに賄えます」
北沢は言った。
「では——さっそく手配してください」
藤林の手が、テーブルの上でわずかに止まった。
三百名という数字を、たった今、自分の口で言ったばかりだった。
それだけの命が、あと半年——確実に、飢えずに済む。
藤林は立ち上がった。
その動きが、いつもよりゆっくりだった。
才蔵も、遅れて立ち上がった。
膝が、かすかに震えていた。
二人は同時に、深く頭を下げた。
「本当に、ありがたいことです」
しばらく、頭を上げなかった。
藤林の声が、絞り出すように続いた。
「伊賀の者たちは——食料もなく、薬もなく、山の中で死を待っているだけです。その者たちの命を救っていただけるとは……。言葉では言い表せないほど——感謝しております」
才蔵が、藤林に続いて口を開いた。
その声は、はっきりと震えていた。
「山には、子を抱えたまま、なす術もなく生きている者がたくさんおります。助けていただけるのですね」
才蔵の目から、涙がこぼれ落ちた。
拭うこともせず、頭を下げ続けた。
北沢はゆっくり首を振った。
「顔を上げてください。腹が減っては——戦はできませんから」
藤林は顔を上げた。
その目が、わずかに潤んでいた。
長年、幾多の死と別れを見てきたはずの上忍の目に、隠しきれない光があった。
「市兵衛に連絡を取れば——受け取りの段取りをつけられます」
その声は、いつもの落ち着きを取り戻していた。
だが、藤林はその後もしばらく、銀の延べ棒から目を離せずにいた。
***
北沢はさらに続けた。
「それと——これからのことを考えると、忍びの仕事をしてもらうための拠点を作りませんか」
「拠点、でございますか」
「堺・安土・京の都・伊勢に——それぞれ一か所ずつ店舗を作りましょう。表向きは商売をしてもらいます。商売を専業にやっていただく方がいてもいいと思います。伊賀の方々の収入にもなりますから」
藤林は北沢を見つめた。
しばらくして言った。
「なにから、なにまで——本当にありがとうございます」
「忍びなら、いろんなところを歩いておられるでしょう。なにが売れるかも——よくご存知ではないですか」
「確かに言われてみればそうですね。拠点づくりを、準備万端に行っておきます」
田村がうれしそうに口を挟んだ。
「お金が足りなければ——いくらでも海の底から引き上げてきますからな。この場所だけでなく、博多とか——いっそ明まで行ってみたいものです」
北沢は続けた。
「堺の拠点と——この船との連絡ですが、才蔵が伊賀に行った時に持っていった通信機を置きましょう。通信用のブイを浮かべておくので、いつでも話ができます。それと、他にも細かなことがいろいろありますが、桐山と打ち合わせてください」
「承知しました」
藤林は才蔵の方を見た。
「才蔵、後で中忍たちを集めておいてくれ」
(あの庵で、悲観にくれていたのが嘘のようだ)
「はっ」
才蔵は頭の中で堺・安土・京・伊勢に出来上がる伊賀の店を思い描いた。
店を構え、商いをしながら情報を集める。
堂々と、この国のどこにでも顔を出せる。
商人に向いている者は、商人として生きていける。
忍びとして生きてきたこれまでの人生では、考えたこともないことだった。
北沢司令と巡り会えたことで、忍びの生き方が変わる。
才蔵は、竹丸の顔を思い浮かべた。
(あの子が大きくなる頃には——伊賀の民が、日陰者として生きずに済む世になっているだろうか)
そう思うと、胸の奥が、じんわりと熱くなった。




