第55話 何百年後には、いろんな薬ができているのですね
武蔵・大会議室。
村上は少し考えてから答えた。
「梅毒の治療にはペニシリンが効きます。武蔵の製造プラントなら、青カビからの抽出・精製もAIが自動で行えるはずです」
北沢が頷いた。
「青カビなら——この時代でも手に入りますね」
「食べ物にいくらでも生えますから」
北沢が村上の方を見た。
「ちなみに、ペニシリンが効く病気は梅毒だけですか」
村上が答えた。
「いいえ。梅毒以外にも——肺炎・扁桃炎・皮膚の化膿・傷の感染症・赤痢など、幅広く効きます。この時代にはそういった病気で死ぬ人間が大勢いるはずです」
北沢の目つきが変わった。
(それだけ幅広く効くなら——有力な候補だな)
村上は続けた。
「次に破傷風です。治療には、ペニシリンと免疫グロブリンの両方が必要です。ペニシリンにより菌を殺し、免疫グロブリンにより、すでに体の中に回ってしまった毒素を無毒にします。ですが、免疫グロブリンの製造が難しいです」
「では——破傷風は、今回は見送りですね」
「はい。ペニシリンだけでは、片手落ちになってしまいます」
「天然痘・麻疹はどうですか」
村上は首を振った。
「天然痘については、不可能ではありません。ただし——今すぐというと難しいです。麻疹については——現時点では、不可能です」
「では、この二つも今回は除外ですね」
北沢は残った病名に目を向けた。
「では——結核はどうですか」
村上は表情を引き締めた。
「結核は、少し厄介です。ペニシリンは効きません」
「効かない、とは」
「結核菌には、ペニシリンとは別の薬——ストレプトマイシンが必要です」
「それも、武蔵で作れますか」
村上は頷いた。
「ストレプトマイシンは、土壌中の放線菌から作れます。土さえあれば——武蔵の設備で培養・抽出できるはずです」
北沢は頷いた。
「では——梅毒と結核、どちらの病気を治せる名医にするか決めましょう」
桐山が口を開いた。
「どちらかに絞るとなると、藤林殿にお聞きするのが早いと思います」
桐山は藤林と才蔵に向き直った。
「さきほどから話に出ている病名ですが——」
桐山がiPadを操作しながら続ける。
「梅毒は——唐瘡、結核は——労咳と呼ばれているはずです」
藤林の目が、大きく見開かれた。
言葉を失ったように、しばらく桐山を見つめていた。
「唐瘡と、労咳……」
その名を、噛みしめるように繰り返した。
「まさか——この二つの病を、治せるとおっしゃるのですか」
才蔵も、目を見開いたまま動けずにいた。
やがて、絞り出すように言った。
「某の知り合いにも——唐瘡で身体が崩れていくのを、見ていることしかできなかった者が何人もおりました」
その声は、わずかに震えていた。
藤林はしばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐いた。
「何百年後には、いろんな薬ができているのですね。素晴らしいというか、羨ましいというか——」
藤林は姿勢を正し、北沢を見た。
先ほどまでの驚きが、少しずつ、忍びとしての冷静な判断に変わっていくのがわかった。
「それで——何から始めるべきかという話ですが、唐瘡だと思います」
「今、堺でも安土でも京でも——唐瘡が急速に広まっています。武将から商人、庶民まで——多くの者が苦しんでいます。しかも、恥ずかしい病として隠す者が多い。治せるとなれば——大評判になるでしょう。金に糸目をつけない金持ちたちが、次々と訪れるはずです」
「織田殿はどう思うだろうか」
藤林は少し考えてから言った。
「織田様の身近にも——唐瘡で苦しんでいる重臣がいると聞いています。唐瘡が治ったという話は——織田様の耳に必ず届きます」
北沢は頷いた。
「村上先生、唐瘡——梅毒の治療から始めてもらえますか」
村上は腕まくりをした。
「任せてください。やっと医者の出番ですな――やりがいがあります」
***
北沢は藤林の方を見た。
「それと——見ていただきたいものがあります。田中、カートに乗せて、お宝の一部をここに持ってきてくれないか」
「例のやつですね。すぐに持ってこさせます」
しばらくして——田中の部下たちが、うれしそうに沈没船から回収したお宝を運び込んできた。
青磁の壺、染付の皿、銀の延べ棒、金の延べ棒——。
次々と、テーブルに山盛りに並べられていく。
藤林は、目を見張ったまま動けずにいた。
長年、様々な修羅場をくぐり抜けてきた男の顔に、隠しきれない驚きが浮かんでいた。
「これは……」
言葉が、そこで止まった。
才蔵も、隣で息を呑んでいた。
(これほどの品、これだけの量を)
これまで目にしたことのない光景だった。
現実離れした光景だった。
才蔵は、青磁の壺に映り込んだ自分の顔を、ぼんやりと見つめた。
(これだけあれば——伊賀の民が、何年食いつなげるだろうか)
戦のために殺し合っている時代に、これほどの富が海の底で眠っていたことが、どこか馬鹿げているようにも思えた。




