第4話 後悔なし
黒岩邸・書斎。
橘が口を開いた。
「総帥、原子力潜水艦の建造となれば、設計から建造まで、相当な時間が——」
「六年で作れないか」
橘が目を見開いた。
「六年は——さすがに無理では」
黒岩は引かない。
「設計はAIを使え。我々はすでにKIグループで最新の造船AIを持っている。人間の設計士が十年かける設計を、二年で仕上げてくれ。建造は大型の産業ロボットを投入しろ。人間の手では届かない精度で、三交代二十四時間稼働だ。なんとしても、六年で完成させるのだ」
「なるほど、できそうな気がします。少しお待ちください」
橘は目を閉じ、しばらく考え込んだ。
「KI重工が積み上げてきた潜水艦建造技術は、世界最高水準です。静粛性は世界一と評価されています。無反響タイル、スキュープロペラ、防振構造——どれも世界が認める技術。リチウムイオン電池を世界で初めて潜水艦に搭載したのも我々。潜航時間と隠密性では、原子力潜水艦を凌ぐとも言われています。実績は十分です」
橘は顔を上げた。
「原子炉さえ手に入ればできます。やってみせます」
北沢が低い声で言った。
「総帥、確認させてください。原潜建造というのは政府の指示なのですか?」
黒岩は三人を見渡した。
「これから話す。その上で私についていけないと思うなら去ってくれていい。ただし——」
言いかけて、黒岩は止まった。
鶴田の表情が、かすかに変わったのを見た。
橘も、唇をわずかに結んでいた。
「どうした」
鶴田が、落ち着いた声で言った。
「総帥とは一心同体です。何年、苦楽をともにしてきたと思っているのですか!」
「ああ、そうだな」
「私が総帥を裏切ると、本気でお思いですか」
黒岩は黙った。
橘が続いた。
「私も同じです。水臭いことを言わないでください、総帥」
沈黙が流れた。
黒岩は小さく息を吐いた。
「そうだな。失礼なことを言った」
北沢が言った。
「総帥が、これからなにをお話になるか。なんとなく、わかる気がします。たぶん私も同じ気持ちだと思います」
黒岩は三日間考え続けたことを、ゆっくりと話し始めた。
日本は太平洋戦争に敗れた。
占領統治が始まった。
押しつけられた憲法。在日米軍の存続。
核の傘。
独立国家の体裁を保ちながら、骨の髄まで他国の意志に縛られた戦後七十余年。
この国の、真の意味での自主独立は果たされることはなかった。
それは——核を持たなかったからだ。
核保有国には誰も先制攻撃できない。
それが戦後の世界秩序の歪んだ真実だった。
日本は核を持たなかった。
いや、持てなかった。
被爆国として、持つことを許されなかった。
あるいは持たないよう、巧みに誘導されてきた。
他国の核の傘の下にいる限り、真の独立はあり得ない。
傘を持つ者の意志に、常に従わなければならないからだ。
だから、自分が動く。
誰かを待つのは、もう終わりだ。
話し終えると、しばらく誰も口を開かなかった。
最初に口を開いたのは、北沢だった。
「私は三十年以上、この国の防衛を考えてきました。自衛隊に入った日から、ずっと同じ問いを抱えていた。——この国は本当の意味で守られていない、と」
言葉を選びながら続けた。
「核の傘という言葉があります。しかし傘を差し出す側には、必ず条件をつける。条件を拒否すれば、傘は閉じられる。なんとかできないか、制服を着ている間ずっと思っていました。ですが、どうすることもできなかった」
さらに続ける。
「原潜建造は、この国の防衛の理想です。誰もが頭では分かっていながら、誰も口にできなかったことです。それを民間の力でやろうとしている。私に——止める理由など、一つも見当たりません」
北沢は一度だけ深く息を吐いた。
「乗組員は私が集めます。退職した元潜水艦乗りを、研究所の深海探査艇の乗組員という名目で少しずつ集めます。海幕長時代の人脈で、研究所との技術協力協定も結んでおきます。そうすれば、現役隊員が出入りできる公式な理由が作れます」
橘が続いた。
「建造技術者を集めます。全技術者をKI重工の社員として研究所に常駐させます」
黒岩が橘に目を向けた。
「橘、建造にいくらかかる」
橘は目を閉じ、指を折りながら数字を組み立てていた。
「原子炉の調達、設計AI、産業ロボットの導入、建造コスト——二隻で、最低でも二兆円は見ておく必要があります。AIと自動化で軍の調達コストは省けますが、それでもこの規模感です」
黒岩は頷いた。
「出せますよ」
鶴田が言った。
「KIグループの非中核事業ですと、段階的に売却すれば、二兆三千億は作れます。怪しまれない範囲で、五から六年かけて動かせばいいでしょう」
橘が鶴田を見た。驚いた顔だった。
(それを瞬時に計算できるのか、この男は)
「資産の売却は不審に思われないよう段階的に進めます」
北沢が付け加えた。
「一番の問題は原子炉です」
少し間を置いた。
「日本はフランスに使用済み核燃料の再処理を委託してきた実績があります。六ヶ所村には約三千トンの使用済み核燃料が眠っている。フランスとのパイプは、私に伝手があります」
黒岩は北沢を見た。
「リスクは」
「相手も同じリスクを背負います。それが、この種の取引の担保です」
「頼む」
黒岩は言った。
鶴田がふと言った。
「総帥、一つだけ確認させてください」
「何だ」
「もしこれが発覚した場合——私たちは間違いなく逮捕されます。武器等製造法違反。無許可で兵器を、しかも原潜を作るのですから。懲役三年以上は確実です。執行猶予もつきません」
黒岩は頷いた。
「そうなるかもしれないな」
鶴田は表情を変えなかった。
「それでも、私はついていきます。私の人生は、総帥とともにありました。後悔したことは一度もありません」
橘が短く言った。
「私も同じです」
北沢が頷いた。
「私もです。ここでやらなければ、日本の未来は変わりません」
黒岩は三人の顔を見た。
何も言えなかった。
(自分を理解してくれる人間たちが、そばにいてくれた。自分は幸せな男だ)
「定期的に、ここに集まってくれ。六年後の完成が楽しみだな」
四人は、その夜、静かに動き始めた。




