第45話 今日は——土の上で寝なくていいんだね
大阪湾。大和発令所。
宮本が顔を上げた。
「司令、桐山一等海佐から連絡が入っています」
北沢は通信機を取った。
「北沢だ。何かあったか」
「不測の事態ではありません」
桐山の声は落ち着いていた。
「刀傷で破傷風になりかけている父親、その連れの母親と子供がいます。このまま放置すれば命が危ない。武蔵に連れて行っていいですか」
北沢は少し間を置いた。
「まだ、夜が明けてすぐだ。ボートも目立たないだろう。桐山の判断に任せる」
「ありがとうございます」
「医師を待機させておく。急いで戻ってこい」
「はっ」
通信が切れた。
***
堺港北方・入江。
桐山たちは親子を先導しながら、ボートを隠している入り江に戻った。
ゴムボートを見た親子が、足を止めた。
「これに——乗るのか」
男がかすれた声で言った。
「そうです。少し揺れますが——大丈夫です」
覚悟を決めているのか、親子は黙って乗り込んだ。
男は意識を失いかけていたが、気力で持ちこたえていた。
***
武蔵・乗降口。
武蔵の乗降口で、早川が待っていた。
他の隊員たちも数名、並んでいた。
母親と子供の姿を見て、早川が近づいた。
「大丈夫ですよ。安心してください」
子供が、不思議そうに早川を見上げた。
艦内に入ると、親子の目が大きく開いた。
光に満ちた廊下。
見たこともない機械や扉。
しかし——三人とも声を上げなかった。
覚悟を決めた目で、黙って付いて歩いた。
田中少尉が、遠慮がちに言った。
「念のため、刀はお預かりします」
男は少し間を置いてから、腰の刀を差し出した。
***
武蔵・医務室。
村上医師が男の腕を見るなり、眉をひそめた。
「これは——随分と腫れ上がっている。すぐに手術が必要だ」
看護師の水島美咲が準備をテキパキと始めた。
消毒液、メス、縫合糸、注射器——必要な器具が次々とトレーに並んでいく。
村上は母親と子供を見た。
「本当は部屋から出ていてもらうところですが——心配でしょうから、扉の近くで見ていてもいいですよ」
母親と子供は、パイプ椅子に並んで座り、離れたところから心配そうに見ていた。
村上は男の顔を見て、にやりと笑った。
「この艦の連中は、丈夫なやつばかりでな——退屈しておったのだよ。まあ、医者が暇なのは良いことだがな」
男が村上を見た。
「久しぶりの患者と聞いて心配するな。安心しろ——腕は一流だ」
男の顔から、わずかに緊張がほぐれた。
「では——ここに横になってくれ」
村上が、美咲に目配せした。
美咲が頷いた。
「まず細い針で、麻酔という薬を打つ。少し痛いが——これを打っておくと、治療中に痛みを感じなくなる。不思議なものだろう」
「針で薬を……」
男は少し驚いた顔をした。
「傷口を縫って、傷を治す薬と、毒素を中和する薬を打つ。飲み薬も出す。麻酔が切れても、あまり痛まないはずだ」
「麻酔とは——便利なものですね。しかし、痛みには強いので平気です」
「そうか。頼もしいな」
村上は母親と子供を振り返った。
「お母さんたちは——傷口を切ったり縫ったりは慣れてないだろうから、少し横を向いていた方がいいかもしれんな」
「平気です」
母親が子供の手をぎゅっと握った。
子供は母親の手を握り返したまま、じっと父親を見つめていた。
父親は子供の方をずっと見ていた。
子供を——安心させようとするように。
手術が始まった。
***
しばらくして——。
村上が親子に告げる。
「終わった。うまくいったぞ」
母親が深く頭を下げた。
村上は照れくさそうに手を振った。
「礼には及ばん。これが仕事だからな」
子供が村上を見上げた。
「おじさん、すごいね」
村上は声を上げて笑った。
***
武蔵・船室。
手術が終わり、桐山が三人を連れて船室に向かった。
三人が、少し心配そうに後ろを付いて歩いた。
やがて、船室の前で立ち止まった。
「今日はこの部屋で休んでくれ。話は明日聞かせてもらう」
そう言って、握り飯を三人分、部屋の棚の上に置いた。
「腹が減ったら、これを食べてくれ」
それだけ言って出ていった。
部屋に入った子供が、キョロキョロと見回す。
壁を触った。床をとんとんと踏んだ。
やがて、ぽつりと言った。
「今日は——土の上で寝なくていいんだね」
「そうだね」
「うれしいな」
子供はベッドの上に横になった。
あっという間に、寝息を立て始めた。
夫婦は、子供が寝たのを確かめてから、小声で話し始めた。
女が言った。
「あの人たちは——いったい何者なのでしょう」
男は腕を見た。
(もらった薬を飲んだら——縫った腕が、嘘のように痛くない)
「わからん。しかもこの部屋——すごく立派だ。この船も、見たことのない形をしていた」
「船のひとは悪い人には——見えませんでしたね」
「そうだな」
男はゆっくりと横になった。
「とにかく眠い——」
女も横になった。
「もう——どうにでもなれだわ。あの松林で——ここで死ぬんだと覚悟していたんだから」
男は目を閉じたまま答えた。
「ああ——そうだな」
やがて、男の寝息が聞こえてきた。
女は天井を見つめていた。
(あの人たちは——何者なのだろう)
しばらくして——女も目を閉じた。




