第44話 お腹すいた
武蔵・大会議室。
北沢は全員を見渡した。
「江戸時代なら政治の中心は江戸。それ以外なら——京都。我らが支援する対象は、どちらにいるのだろうな」
桐山が提案した。
「調べるなら、まずは堺ではないでしょうか。堺は古くから商業の中心地。情報が集まりやすいはずです」
「そうだな。田村、大和や武蔵で堺の近くまで移動できるか」
田村が答えた。
「紀伊水道を抜けると、水深が浅くなります。潜望鏡深度まで浮上し、大阪湾中央部の海底で待機すれば——この時代の船が通っても、衝突する心配はないでしょう」
「では、大阪湾中央部に移動することにしよう」
北沢は話を続けた。
「堺の調査をどうやるかだが。まずはボートで陸に移動する必要がある。昼間にあのゴムボートは目立つ。となると夜間の移動になるが——陸も海も、真っ暗だろうな」
田村が答えた。
「暗視ゴーグルを装着させればどうですか」
北沢が続けて言った。
「そうだな。次は、服装の問題だな」
「夜に上陸するまではいい。だが、自衛隊服のまま堺の町に入るのは論外だ。それだけで騒ぎになる」
桐山が答えた。
「町に入らずとも、街道沿いには小さな農家の集落があるはずです。まずは物陰から、農家の様子を眺めるところから始めるのが安全かと。それであれば——迷彩のない自衛隊服で問題ないでしょう」
「それがいいな。もし農家が自衛隊服を見て怯えて逃げ出すようなら、すぐに撤退だ。その場合は、この時代の服装——職人風の格好を武蔵で用意し、再度出直すことを検討しよう」
早川が言った。
「職人風の格好であれば、自衛隊服のズボンを黒く染め、上には黒く塗ったTシャツを着るのはどうですか。少し変わった職人、くらいには見えるかと」
北沢は頷いた。
「なるほど。今回はまず自衛隊服で様子を見る。農家が驚いて逃げ出すようなら、次はそのような格好で行くことにすればいいな」
北沢が続けた。
「もう一つ気になることがある。時代にもよるが、戦に駆り出されているような農家は、平気で襲いかかってくるかもしれない。そうでなくても、野盗やごろつきがうろついている可能性もある」
桐山が答えた。
「武器は、横須賀鎮守府から頂いた南部十四年式拳銃が数丁あります。弾薬も十分です」
北沢が橘を見た。
「騒ぎが大きくならない方がいい。橘さん、サイレンサーは武蔵の工場で作れますか」
橘が頷いた。
「問題ありません。一日あれば作れます」
北沢は桐山の方を見た。
「では、最初の偵察はそれでいこう。桐山、頼めるか。人選は任せる。武道や格闘技経験者から人選する方がいいだろう」
「はっ」
***
大阪湾中央。大和・発令所。
北沢は、暗視モードに切り替えたモニター映像を見た。
画面には、暗い海面が映し出されているだけだった。
「桐山たちは、無事上陸できただろうか」
田村が答えた。
「上陸して安全を確認したら——連絡が来るはずです。それに、田中少尉たちも一緒です。大丈夫だと思います」
しばらく沈黙があった。
「剣道の有段者三名に、桐山の格闘術か。運悪く、剣の達人とかに遭遇しなければ、遅れは取らないと思うが——」
「しかし——何が起きるかわかりません」
「そうだな」
北沢はモニターから目を離せなかった。
***
堺港北方・海岸沿いの松林。
港から三キロほど北の海岸に入り江があった。
ゴムボートを松の根元に引き上げ、枯れ枝で覆った。
桐山が大和に通信を入れた。
「こちら桐山。上陸完了。ボートを隠しました。身を隠すのに良さそうな場所に移動し、夜が明け次第調査に向かいます」
「わかった。気をつけてくれ」
通信を切った。
空を見上げると、月が出ていた。思ったより明るかった。
桐山が言った。
「暗視ゴーグルはいらないようだな」
田中が答える。
「月明かりでも十分見えますね」
「身を隠すのに良さそうな場所まで移動しようか」
「そうですね」
四人は、松林の入口近くまで移動し、木の根元に身を寄せて夜を明かすことにした。
***
堺港北方・海岸沿いの松林。
夜が明けた。
桐山は立ち上がり、松林の奥——街道の方角を見やった。
「そろそろ動こう。街道の様子を見に行く」
「はっ」
四人は、松林の中を、街道の方向へゆっくりと進み始めた。
木々の合間から、遠く海岸線越しに、堺の港がぼんやりと見えた。
(あれが堺の港か)
しばらく進んだところで、桐山は足を止めた。
松林の中に、人の気配があった。
よく見ると——筵にくるまった人影が二つ。
その横に、力なく横たわっている男が一人。
田中が小声で言った。
「どうしますか」
桐山は少し間を置いた。
「近づいてみよう」
四人はゆっくりと、音を立てないように近づいた。
顔が見えるくらいの距離まで来たとき——。
筵にくるまっていた女が跳び起きた。
子供を後ろにかばい、短刀を構えた。
横たわっていた男も、ふらふらしながら起き上がり、短刀を構えた。
布で縛った右腕から、血が滲んでいた。
桐山は、その構えに目を留めた。
(素人の構えじゃない。腰の落とし方、切っ先の向け方——刃物に慣れた者の動きだ)
田中が小声で言った。
「桐山さん、あれは——ただの旅人や、商人の構えじゃありません」
「わかっている」
桐山は一歩下がった。
両手をゆっくりと広げ、刃物を持っていないことを示した。
「怪しいものではない。安心してほしい」
男と女は警戒を解かない。
短刀の切っ先は、微動だにしなかった。
田中が桐山の耳元で囁いた。
「どうします。下手に近づけば、斬りかかってくるかもしれません」
桐山も答えを持っていなかった。
(武器を捨てさせるべきか、いや——それでは余計に警戒される。かといって、このまま黙って見ているだけでは、いつまでも埒が明かない)
「もう一度言う。怪しいものではない。堺の町のことが知りたいんだ。礼は——食べ物でどうだろう」
女の目が険しくなった。
「怪我をしたくなければ立ち去れ」
男も短刀を構えたまま動かなかった。
その腕は、出血のせいか、わずかに震えていた。
それでも、切っ先だけは下がらなかった。
しばらく、誰も動かなかった。
そのとき——。
「お腹すいた」
子供の細い声が響いた。
桐山は腰の袋に手を入れた。
自衛隊の携帯食では怪しまれると、出発前に、武蔵の炊事員に頼んで握ってもらったおにぎりだった。
ゆっくりと、前に差し出した。
女が短刀を構えたまま、じっと見ていた。
その瞬間——。
子供が、女の後ろから飛び出した。
おにぎりを両手でつかんで、勢いよく食べ始めた。
「うまい——」
小さな声だった。
桐山たちは動かなかった。
男がゆっくりと座り込んだ。
女は短刀を下ろし、おにぎりに手を伸ばした。
しばらくして、桐山は聞いた。
「そちらの男は——怪我をしているのか」
男が低い声で答えた。
「腕を切られてな。腫れが引かない」
桐山は男の腕を見た。
布の隙間から見えた腕は、赤く腫れ上がっていた。
(ほっておけば——破傷風になりかねない)
桐山は女を見た。
「我らの船に来ませんか。怪我の治療ができます。食事もあります」
女はしばらく黙っていた。
やがて頷いた。
(このままここにいても——先の望みなどない)
そう覚悟を決めた目だった。




