第34話 全乗員に告げる。砲撃戦を開始する
戦艦大和・甲板。
甲板員たちが、持ち場につきながら小声で話し合っていた。
「やっとだな」
「ああ。戦艦なんか時代遅れだとか、役立たずだとか——さんざん言われてきたからな」
「大和ホテルとか馬鹿にしやがって」
「艦載機はいない。魚雷もない。砲撃勝負だ。それなら、負けるもんか」
「大和の装甲なら——殴り込める」
***
戦艦大和・砲台。
砲術長が砲台の前に立っていた。
若い砲手が隣で言った。
「砲術長、田辺の仇を取れますかね」
砲術長は前を向いたまま答えた。
「取る! 絶対取る」
「レイテで沈んだ戦艦武蔵の連中の分もだ——」
「今日は——全部まとめて返してやる」
***
戦艦大和・艦橋。
有賀が報告した。
「司令長官、距離二万七千メートル。主砲の射程に入りました」
伊藤は艦橋から、前方の海を見つめた。
水平線の向こうに、巨大な艦影が見えた。
戦艦に巡洋艦。
灰色の鉄の艦影が、輪形陣を解き、戦艦を前面に押し立てながら展開を始めていた。
砲術長が言った。
「駆逐艦を失って浮き足立っているのでしょう。慌てて陣形を組み直しています。この距離では——敵の砲弾が届いても、大和の装甲は貫通できません。しかし、我らの砲弾は余裕で貫通できます」
伊藤は頷いた。
「アウトレンジ戦法など——クソくらえだ。真正面から、正々堂々と撃ち合う」
「各艦に伝えろ。思う存分に戦えと」
「はっ」
艦内放送が流れた。
伊藤の声が、大和全体に響いた。
「全乗員に告げる。砲撃戦を開始する」
艦内が、どよめいた。
「主砲——用意」
轟音が、艦体を揺るがした。
四十六センチ主砲の砲身が、ゆっくりと旋回した。
「目標——敵戦艦。距離二万七千メートル」
「主砲——第一射、撃て」
大和の四十六センチ砲が、火を噴いた。
爆音が、艦体全体を震わせた。
砲術長が双眼鏡を構えた。
「近弾——目標手前に着弾。修正します」
「第二射——撃て」
再び砲声が轟いた。
「遠弾——目標の奥に着弾。夾叉に入りました」
「第三射——撃て!」
大和の主砲が、三度火を噴いた。
***
軽巡洋艦矢矧・艦橋。
艦長が双眼鏡を下ろした。
「駆逐艦部隊、突撃隊形へ。矢矧が先導する」
「はっ」
矢矧が速力を上げた。
「我に続け!」
***
駆逐艦冬月・艦橋。
「魚雷発射用意! 目標——敵戦艦!」
「はっ!」
「まだだぞ。確実に当てるには、十キロまで詰める。しっかり近づいてから撃て。外すなよ」
「はっ! 了解であります!」
矢矧が先頭に立ち、冬月、涼月、磯風、浜風、雪風、朝霜、霞、初霜——駆逐艦たちが、その航跡をなぞるように続いた。
駆逐艦たちが、大和の両翼を駆け抜けた。
三十三ノット。大和より速い。
波を蹴立て、敵戦艦に向かって突進していく。
***
旗艦ニュージャージー・艦橋。
米戦艦部隊の艦橋で、通信士が叫んだ。
「新たな艦影を確認! 巨大戦艦、一隻。距離、三万——いえ、急速に接近中!」
戦艦部隊指揮官のリー中将が双眼鏡を握った。
「輪形陣を解け。戦艦を前面に移動。巡洋艦は左右に展開しろ」
「輪形陣を解除します」
「日本の艦隊だな。何隻だ」
「戦艦一、軽巡一、駆逐艦八——計十隻です」
「たった十隻か。恐れるに足らん」
そのとき——。
「中将! アイダホに——命中弾!」
「な——」
「弾薬庫が——」
轟音。
アイダホが内側から爆発した。
「あの距離から——三射で仕留めるとは」
参謀が青ざめた顔で言った。
「中将、大和のデータがあります。主砲は四十六センチ——最大射程は約四万二千メートルです」
「我々のアイオワ級は」
「三万八千七百メートルです。どちらも、砲弾は届きます。しかし——」
「しかし、何だ」
「装甲です。この距離では——我々の砲弾は、大和の垂直装甲四百十ミリを貫通できません。しかし大和の四十六センチ砲は——この距離でも我々の装甲を貫通できます」
リー中将は一瞬、言葉を失った。
「つまり——一方的にやられてしまうということか」
「しかし、二万メートル以内まで接近すれば——我々の砲弾も大和の装甲を貫通できる可能性があります」
参謀長が言った。
「中将——接近しますか」
リー中将は少し間を置いた。
「当たり前だ。誇り高きアメリカ海軍が——背を向けて逃げるわけにはいかんだろう」
「全艦、前進! 距離を縮めろ!」
しかし——また別の戦艦が爆発した。
「テネシーが——被雷! 敵駆逐艦の魚雷が——!」
「日本の駆逐艦が接近していたのか!」
「はっ。大和が砲撃している間に——高速で接近していたようです」
リー中将は拳を握りしめた。
(砲撃と魚雷を同時に——)
(やりたい放題やってくれるな)
(しかし——戦いは、怯んだ方の負けだ)
「このまま前進! 貫通できなくても、撃ち返せ! やられっぱなしにされてたまるか!」
「中将! このままでは全滅します!」
窓の外では、次々と味方の戦艦が炎を上げていた。
「アイダホ——沈没」
「テネシー——大破。速力低下」
「コロラド——被弾。炎上中」
伝令が次々と飛び込んでくる。
リー中将は、その場から動けなかった。
(三万メートルから正確に撃ってくる。すごい練度だ)
(こちらの砲弾は届いても貫通できない。駆逐艦の魚雷まで来る——)
(このままでは……)
「中将! ご命令を!」
リー中将は窓の外を凝視した。
味方の戦艦が、次々と炎を上げていた。
(あれだけいた戦艦が——こんなに一方的に沈められていく)
「撤退するしかない! 全艦、撤退!」
参謀長が叫んだ。
「待ってください! 中将——空母はどうされるんですか! 空母を置いて逃げるのですか!」
参謀長の両手が、震えていた。
「空母の乗員は、何千人といます! しかも、総指揮官のミッチャー中将はバンカー・ヒルにおられるんですよ!」
リー中将は一瞬、言葉を失った。
(わかっている。わかっているよ)
(しかし——このまま戦えば、戦艦が全滅する)
(ここで、戦力をすべて失うわけにはいかない。沖縄はどうするのだ)
「空母は置いていくしかない」
「彼らに、なんと伝えるんですか」
艦橋が、静まり返った。
「撤退しかない」
参謀長は唇を噛んだ。
しばらく誰も口を開かなかった。
窓の外では——また別の戦艦が炎を上げていた。
リー中将が大声で命令した。
「さっさと撤退の連絡を——」
その言葉は、最後まで続かなかった。
轟音。
艦橋そのものが、大きく傾いだ。
「な——」
「直撃です! 艦橋直下——弾薬庫に——」
次の瞬間、ニュージャージーは内側から引き裂かれた。
火柱が、天を突くように立ち上った。
リー中将も、参謀長も——その声は、二度と届かなかった。
***
生き残っている戦艦と巡洋艦の艦橋に、動揺が走った。
「リー中将が——ニュージャージーが——」
やがて、一隻の艦長が叫んだ。
「ジャップ相手に、背を向けて逃げられるか!」
「艦長——」
「全艦突撃せよ! あの化け物を沈めるまで、退くな!」
怒りと絶望が入り混じった号令だった。
その一声に引きずられるように、残された戦艦と巡洋艦が、大和に向かって一斉に突撃を開始した。
それは、もはや作戦ではなかった。
負けるはずのない相手に、これほどまでに叩きのめされた——その怒りを、どこかにぶつけずにはいられなかっただけだった。
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戦艦大和・艦橋。
有賀が言った。
「司令長官、敵艦、こちらに向かって突撃してきます」
伊藤は双眼鏡を下ろした。
その目に、驚きはなかった。
「来るなら——受けて立つ。全砲門、指向せよ」
「はっ」
大和の主砲が、次々と火を噴いた。
向かってくる艦影が、一つ、また一つと炎に包まれ、海に没していった。
やがて——海面に、何も動くものはなくなった。
波の音だけが、艦橋に静かに満ちていた。




