第29話 兵たちは生きて返してやりたい
昭和二十年四月三日。
徳山湾・戦艦大和・艦橋。
戦艦大和の艦橋に、足音が上がってきた。
「連合艦隊司令部、神田少佐であります」
若い少佐だった。
手に、見慣れない小型の機械を持っていた。
有賀艦長が、それを受け取った。
「これは——何でしょうか」
「豊田司令長官からです。わだつみ独立艦隊の北沢司令より預かった暗号化通信機です。これで北沢司令と直接通信できます。しかも敵には傍受されません。戦艦大和の位置も敵に知られません」
有賀は、感心しながら小さな機械を見つめた。
(こんな小さな機械が——暗号通信機か。未来の技術は凄いものだ)
伊藤が手に取った。
重さを確かめるように、そっと持ち上げた。
「この無線機で、わだつみ独立艦隊と連携が取れるのだな」
「はっ。合流後に連絡を入れるとのことです。通信機の使い方は、後で説明します」
「豊田司令長官から、何か言付けはあるか」
神田は少し間を置いた。
「——必ず帰ってこい、と」
伊藤は頷いた。
「わかった」
***
四月六日。
戦艦大和が、徳山湾沖を出撃した。
旗艦大和の後ろに、軽巡洋艦矢矧、駆逐艦冬月・涼月・磯風・浜風・雪風・朝霜・霞・初霜の九隻が続く。
総勢三千名近い将兵が、戦艦大和に乗って海に出た。
誰も口には出さなかった。
しかし全員が、わかっていた。
片道の燃料しか積んでいないことを、生きて帰る算段は、最初からないことを。
九隻の艦橋には、それぞれ指揮官が立っていた。
誰も言葉を発しなかった。
ただ前を向いていた。
伊藤は艦橋から、後に続く艦列を見渡した。
(みんな、これが死への旅路とわかっている。それでも——誰一人、躊躇する者はいない)
伊藤は前を向いた。
戦艦大和の艦首が南へ向いた。
***
大和・発令所。
横須賀港を出た原潜大和と武蔵は、太平洋を南下していた。
豊後水道は幅が狭く、巨大潜水艦には向かない。
太平洋側を迂回して、九州南方沖で戦艦大和を待つ予定だ。
田村が発令所のモニターを見た。
「豊後水道を抜けて来る予定の戦艦大和と合流するのは——明朝の予定です」
***
四月六日・夜。
大和・発令所。
大和の発令所のソナー員の栗原が声を上げた。
「感あり。潜水艦二隻——豊後水道を抜けたあたり。深度四十メートル付近」
田村がモニターを見た。
「アメリカの潜水艦か」
「はっ。スクリュー音のパターンから——ガトー級と思われます」
田村は北沢の方に振り返る。
「潜水艦が二隻。豊後水道付近で待ち伏せしています」
北沢が答える。
「記録どおりだな。沈めてくれ。アメリカ軍は暗号解読で戦艦大和の出撃は把握済みなのだろう。我らのことまで知られるのは困るからな」
「はっ」
***
田村は発令所を見渡した。
「静粛航行。エンジン出力を最小まで落とせ。相手には気づかれるな」
「はっ」
発令所の空気が引き締まった。
原潜大和は音を消しながら、ゆっくりと敵潜水艦に近づいていった。
栗原が囁くように言った。
「相手のスクリュー音——かなりうるさいです」
田村は苦笑した。
「ディーゼル機関だからな。隠れているつもりだろうが——丸聞こえだ」
「距離——三キロメートル」
「まだ近づく」
「二キロメートル」
「魚雷発射管、用意」
「はっ」
「一キロメートル——相手、まだ気づいていません」
田村は言った。
「位置を確認したか」
「二隻の位置、確定しました。一番艦——方位三四〇、距離二キロメートル、深度四十メートル。二番艦——方位三五〇、距離三キロメートル、深度三十五メートル」
田村は火器管制システムの画面を見た。
「一番二番発射管——一番艦へ。目標深度四十メートル、方位三四〇をセット」
「セット完了」
「三番四番発射管——二番艦へ。目標深度三十五メートル、方位三五〇をセット」
「セット完了」
「同時発射」
低い音が、続けて四回響いた。
魚雷が、闇の中に飛び出した。
「一番二番——目標音を捕捉。自律追尾に移行しました」
「三番四番——目標音を捕捉。自律追尾に移行しました」
「あとは魚雷に任せよう」
田村はゆっくり腕を組んだ。
栗原が続けた。
「相手のディーゼル音がバカでかいですから——捕捉は確実です」
「そうだな」
しばらくして。
ソナーに、爆発音が連続して届いた。
「一番艦、沈没確認」
ほぼ同時に。
「二番艦、沈没確認」
田村は発令所を見渡した。
「全速前進。九州南方沖へ急ぐ」
***
四月七日、早朝。
九州南方沖。
夜明けの海に、戦艦大和の艦影が現れた。
原潜大和が、その前方に進路と重ならないように浮上していた。
戦艦大和の艦橋で、伊藤整一中将は双眼鏡を構えたまま動けなかった。
(でかいな——)
潜水艦とは聞いていた。
しかし全長二百五十メートルとは——戦艦大和に匹敵する大きさではないか。
「わだつみ独立艦隊の、大和ですな」
横に立つ有賀艦長が言った。
「有賀、あの潜水艦が我らを護衛するというのだな」
「はっ」
「潜水艦に、艦載機の大群を防げるものなのか」
有賀が答えた。
「北沢司令は——必ず守ると言い切ったそうです」
「必ず、か」
「はっ」
「我らは死ぬ覚悟はついている。しかし——兵たちは生きて返してやりたいな」
「そうでありますね」
有賀は前を向いたまま言った。
原潜大和が、戦艦大和の二キロ前を進んでいく。
水中には、武蔵が音もなく移動していた。




