第28話 大和の出撃を——止めていただきたい
最高戦争指導会議・会議室。
東京大空襲を阻止した翌日、北沢は最高戦争指導会議に呼ばれた。
内閣総理大臣・小磯国昭、外務大臣・重光葵、陸軍大臣・杉山元、海軍大臣・米内光政、参謀総長・梅津美治郎、軍令部総長・及川古志郎——政府と軍の最高幹部が顔を揃えていた。
「北沢司令、昨夜の戦果は見事でした。次は空母を叩いてもらいたい」
北沢は答えた。
「その前に——一つ約束していただきたいことがあります」
会議室が静まり返った。
「戦況が好転するよう協力するつもりではあります。ですが、戦況が好転し始めたら——そこで停戦交渉を進めてください」
杉山が眉をひそめた。
「停戦とは何事か。今こそ反撃の好機ではないか」
「その反撃を、いつまで続けられるとお考えですか」
杉山は言葉に詰まった。
北沢は続けた。
「我らの艦は、一度壊れれば終わりです。この時代の技術では修理できません。搭載兵器も同様です。弾が尽きれば、それきりです」
「しかし、これだけの戦果を上げているのだ。このまま押していけば——」
「押し続けられる保証は、どこにもありません」
北沢は遮った。
「我らの艦が失われれば——その先に待っているのは、あの映像の通りです。広島が消え、長崎が消え、日本は焼け野原になる。対等な条件で停戦できるのは、我らが動き、戦況が有利なうちだけです。その機会は——長くは続きません」
沈黙が続いた。
最初に口を開いたのは、小磯だった。
「北沢司令の言う通りかもしれん。諸君、どうだ」
重光が頷いた。
「外務省としても、有利な条件のうちに交渉の糸口を作れるなら、それに越したことはありません」
米内が続いた。
「海軍としても——停戦交渉を進めることに異論はない」
杉山は黙ったまま、腕を組んでいた。
しばらくして、低い声で言った。
「わかった。ただし条件がある。対等な講和でなければ、認めん」
北沢は頷いた。
「戦況が有利なうちに交渉するのです。有利な条件を引き出せるはずです」
杉山の目が、わずかに動いた。
納得したのか、それとも——ただ、これ以上言い返す言葉がなかっただけなのか。
北沢には、判断がつかなかった。
その夜、最高戦争指導会議は正式に決定した。
わだつみ独立艦隊がアメリカとの戦況を好転させることができたなら、政府として停戦交渉を進める——と。
***
四月一日。
横須賀鎮守府・会議室。
豊田が横須賀鎮守府を訪れたのは、午後のことだった。
梶原から連絡を受けた北沢は、会議室に向かった。
豊田は一人で待っていた。
随員も連れていなかった。
「北沢司令、突然すまない」
「いえ。どうぞ、おかけください」
豊田はしばらく黙っていた。
北沢は何も言わずに待った。
やがて豊田が口を開いた。
「わだつみ独立艦隊で戦況を好転させると聞いているのだが——計画はできあがっているのだろうか」
「もう少しというところです」
豊田は頷いた。
しばらくまた、黙っていた。
「一つ——個人的なお願いがある」
北沢は豊田の顔を見た。
「個人的な、でありますか」
「そうだ」
豊田は言った。
「大和の出撃を——止めていただきたい。大和が沈む映像では。二千七百二十名が死ぬとなっていた」
豊田の声が、わずかに震えていた。
「片道の燃料しか積まない。生きて帰ることを、最初から諦めた出撃だ。私はあの映像を見てから——ずっと考えていた」
「止めることは、できないのですか」
「止められない。大本営の命令だ。私に止める権限がない。しかし——」
豊田は北沢をまっすぐ見た。
「貴殿なら——止められるのではないかと思ったのだ」
北沢はしばらく黙ってから言った。
「止めません」
豊田の表情が曇った。
「しかし——」
北沢は続けた。
「わだつみ独立艦隊は、沖縄のアメリカ艦隊を叩くつもりでいました。戦艦大和と行動をともにしましょう。敵の艦載機は我らが引き受けます。大和の主砲を存分に使ってください」
豊田は、しばらく動けなかった。
「主砲を——できるのですか」
「やってみせます」
豊田はしばらく北沢を見つめていた。
やがて、深く頭を下げた。
「……頼む」
北沢は頷いた。
「戦艦大和の存在は、この時代の日本人にとっては希望です。簡単には沈めさせません」
豊田は顔を上げた。
その目が、赤くなっていた。
***
「今日は、まだ時間がありますか」
「お願いに来たのだ。何時まででも構わない」
豊田の前で、北沢は無線で宮本を呼んだ。
「戦艦大和との通信手段を確保したい。帝国海軍の無線では——敵に傍受されてしまう。なんとかできないか」
宮本が答えた。
「暗号化通信機を使うのはどうですか。現代の暗号はこの時代の技術では解読できません。周波数も絶えず変化しますので、発信源の位置も特定されにくい」
「難しそうな通信機を、戦艦大和の乗員が使えるのだろうか」
「送受信するだけなら、難しくありません」
「橘さんに、武蔵で簡易型を一台作るように頼んでくれないか」
「はっ」
しばらくして、武蔵の橘から連絡が入った。
「四時間あれば製作できます」
北沢は豊田を見た。
「豊田司令長官、これから製作する通信機を——出撃前に伊藤中将に届けていただけますか」
豊田は少し間を置いた。
「四時間で通信機が作れるとは——それなら、帝国海軍の艦船にすべて搭載したいものだ」
北沢は苦笑した。
「この時代では作れない部品ばかりでして。申し訳ありません」
豊田は首を振った。
「いや、謝ることはありません。作ってもらえるだけで感謝する。通信機は、大和の伊藤に必ず届けます」
***
「通信機が出来上がるまでに、少し重要なお話をさせていただきます」
「なんだろうか」
「日本軍が使う暗号は、アメリカにほぼ解読されています」
豊田は表情を変えなかった。
「薄々そうではないかとは、思っていた」
「記録に残っています。ミッドウェー海戦がそうでした。アメリカはJN-25と呼ばれる日本海軍の暗号を解読し、ミッドウェーへの攻撃計画を事前に把握していました。完全な解読ではありませんでしたが——要点はしっかりと掴まれていました」
豊田は言った。
「ミッドウェーで、なぜ待ち伏せされたのか。ずっと疑問だった」
「答えは暗号解読です」
豊田は目を閉じた。
しばらく動かなかった。
「あの海戦で、空母を四隻失った。若者たちの命も——」
言葉が途切れた。
北沢は黙って待った。
やがて豊田が顔を上げた。
「だから——その通信機なのですね」
「現代の暗号は、この時代の技術では絶対に解読できませんから」
豊田は頷いた。




