第17話 この時代の艦ではない
大和艦内・通路。
「司令というと……その方の階級は」
「海軍大将であります」
久我の足が、止まった。
隣で島田が小声で言った。
「艦長は……大将殿でありますか」
久我は黙って前を向いた。
右手が、無意識に拳銃の柄に触れていた。
しかしそれは、威嚇ではなかった。
緊張していた。
(それほどの人物が、なぜこの艦に)
通路を歩きながら、久我は考え続けた。
ゴムボート。無音のスクリュー。
見たことのない服装と階級章。
清潔な空気。白い照明。
帝国海軍の名簿に存在しない艦名と乗員。
そして——司令は海軍大将。
(この艦は——この時代の艦ではないのかもしれない)
その考えが頭をよぎった瞬間、久我は自分でその考えを打ち消した。
(馬鹿なことを考えるな)
しかし——打ち消せなかった。
そのとき、通路の角から早川が姿を見せた。
久我の目が、止まった。
女だった。
二十代後半か三十代前半。作業着のような服を着て、手に書類を持っていた。
久我と目が合うと、敬礼して通り過ぎた。
久我は思わず振り返った。
島田が小声で言った。
「艦長……女が乗艦しているであります」
「黙れ」
(この艦は——いったい何なんだ)
***
大和・発令所。
発令所の前に来た。
水密ハッチだった。
帝国海軍の潜水艦と似た形だった。
しかし——明らかに大きかった。
案内の乗員がハンドルに手をかけた。
ロックはかかっていなかった。
軽い金属音がして、ハッチが開いた。
「どうぞ」
久我は身を屈めずに、そのままくぐることができた。
(帝国海軍の潜水艦では、必ず腰を折らなければならなかった)
(この艦は——何もかも規格が違う)
発令所に入った瞬間、久我は足を止めた。
広かった。
潜水艦の発令所とは思えない広さだった。
しかしそれより——正面の壁だった。
壁一面に、四角い板が並んでいた。
光っていた。色のある光だった。
地図のようなものが映し出されている。
数字と文字が、絶えず変化していた。
(なんだ、あれは)
映画のスクリーンではない。レーダーのスコープでもない。
もっと鮮明で、もっと大きく、色がある。
「島田」
久我は小声で言った。
「見たことがありません」
島田が先に答えた。
乗員たちが、その光る板を当たり前のように見ながら作業していた。
中央に、一人の老人が立っていた。
背筋が伸びていた。白髪だった。
六十代か七十代。しかし目に、力があった。
老人がこちらを向いた。
「久我中尉か」
久我は反射的に直立した。
その服装は、他の乗員と同じ——見たことのない制服だった。
しかし久我が最も驚いたのは、服装でも、この発令所でもなかった。
(この人物の雰囲気だ)
帝国海軍の大将といえば、現役の最高峰だ。
五十代から六十代。威圧感のある軍人を想像していた。
しかし目の前の老人は——穏やかだった。
物静かなのに、その存在が、周囲の空気を変えていた。
「艦に来てくれて感謝する。座ってくれ」
久我は一瞬、どう反応すべきか分からなかった。
帝国海軍の上官は、部下に礼など言わない。
帽子を取り、深く頭を下げた。
「久我信二中尉であります。このたびはご招待いただき、ありがとうございます」
老人は小さく頷いた。
「司令の北沢だ」
久我の隣で、島田が小さく息を呑んだ。
気づくと、島田は背筋を棒のように伸ばし、両手を膝の脇に張り付けて直立していた。顔が蒼白だった。
(島田……落ち着け)
久我は心の中で言った。
しかし自分の右手も、知らないうちに拳銃から離れていた。
拳銃など、意味がない気がしていた。
もっと大事なことを確認しなければ……。
この艦は、この時代の艦ではない。
久我の中で、その確信が固まっていった。
発令所の中にいた乗員たちは、久我と島田を見つめていた。
誰も口を開かなかった。
乗員たちの目が、語っていた。
(やはり——違う時代に来てしまったのだ)
その確信が、発令所の空気に満ちていった。
久我は、その無数の視線を全身に感じた。
隣で島田も同じだったのだろう。
二人は同時に、思わず唾を飲み込んだ。
北沢が穏やかに言った。
「言葉でいろいろ説明するより、映像を見てもらった方が早い。司令室に来てくれ」
田村に顔を向けた。
「田村も来てくれ。映像の用意を頼む」
それから、発令所の乗員に向かって言った。
「誰かお茶を持ってきてくれないか」
***
大和・司令室。
司令室は四人だった。
北沢、田村、久我、島田。
北沢が椅子に座ったが、久我と島田は直立したままだった。
「座ってくれ」
久我は一瞬、躊躇した。
大将相当の人物の前で、椅子に座る——帝国海軍の常識では、あり得ないことだった。
「遠慮はいらない。ここでは階級は関係ない」
久我は島田と目を合わせた。
島田が小さく頷いた。
二人は、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
乗員がお茶を運んできた。
白い湯呑みだった。形が少し違ったが、中身は緑茶だった。
「まず一杯飲んでくれ。話はそれからだ」
久我は湯呑みを両手で受け取った。
温かかった。
(なんだろう、この感じは)
潜水艦とは思えなかった。
北沢が田村を見た。
「映像を頼む」
「はっ」
田村が操作を始めた。
司令室のモニターに、映像が映し出されようとしていた。




