第16話 同期はみんな死んだ
哨戒艇千鳥・甲板。
ゴムボートが横付けされ、二名の乗員が乗り移ってきた。
角田と栗原は甲板に上がると、哨戒艇の乗員たちに向かって直立した。
「海軍二等兵曹、栗原であります」
「海軍三等兵曹、角田であります」
二人は、きれいな敬礼をした。
哨戒艇の乗員たちが、顔を見合わせた。
敬礼の形が、自分たちと同じだった。
「やっぱり帝国海軍だ。間違いない」
誰かが小声で言った。
乗員たちの表情から、緊張が少し解けた。
哨戒艇の先任下士官、木下兵曹長が前に出た。
「ご苦労だった。楽にしてくれ」
「はっ」
***
哨戒艇千鳥・兵員室。
木下兵曹長が、艦内の兵員室に招き入れた。
天井が低く、体を屈めなければならないほど狭い部屋だった。
木の床板が、波に合わせてかすかに軋んでいた。
「立ったままじゃ何だ。座ってくれ」
兵員室に入り、車座になった。
木下兵曹長と乗員三名。それに角田と栗原。
角田が風呂敷包みを開けた。日本酒二本と、乾燥昆布と煮干し。
「我らは、軍機ゆえ話せることは限られますが、せっかくですので、一杯いかがでしょうか」
木下がじっと日本酒の瓶を見た。
ラベルは日本語だった。
「いただこう。おい、湯呑と皿を人数分持ってこい」
若い乗員が目を輝かせて持ってくる。
「持ってまいりした」
「早かったな」
「はっ」
「酒か。いつ以来だろう」
別の乗員が昆布を手に取った。
「煮干しまである。こんなものを持ってくるとは——気の利いた連中だ」
木下が栓を抜いた。
持ち回しで、湯呑みに注いでいった。
「どこの生まれだ」
木下が角田に聞いた。
「静岡であります」
「そうか。すぐ近くじゃないか」
「はっ、富士を見て育ちました」
栗原が言った。
「私は宮城です」
「宮城か。寒いところだな」
木下が目を細めた。
「私は広島だ」
広島……。
角田と栗原は、一瞬だけ目を合わせた。
(広島は——原爆……だよな)
二人は何も言わなかった。
乗員の一人が口を開いた。
「俺は熊本だ。もう二年、帰っていない」
「家族は」
「親父と母親と、妹が二人。元気かどうかも分からん」
しばらく、口を開かなかった。
木下が湯呑みを傾けた。
「うまい酒だ。どこで手に入れた」
「艦の備蓄であります」
「贅沢な艦だな」
木下は笑ったが、すぐに表情が曇った。
「同期はみんな死んだ。昨年だけで五人。今年に入ってからも三人だ」
誰も答えなかった。
「特攻に志願したやつもいる。まだ、一人前の飛行機乗りじゃなかったのに。なぜ志願したのか、聞けなかった。聞く前に、いなくなった」
木下は昆布を一枚、口に入れた。
「やつらに、こんな旨いものを食わせてやりたかったな」
角田の目が、赤くなっていた。
栗原は湯呑みを両手で持ったまま、下を向いた。
「子供はいるのか」
木下が角田に聞いた。
「いません。まだ独身です」
「そうか。俺は去年、子供が生まれた。昭和十九年の暮れだ。まだ一度も会っていない」
角田は黙って頷いた。
(去年が昭和十九年——ということは、今は昭和二十年か)
窓の外の海が、冬の色をしていた。
(この冬が終われば、東京が燃える。そして夏には、広島が……)
角田は湯呑みの中の酒を、じっと見つめた。
揺れる液面に、何かが映るような気がした。
木下が言った。
「どうした」
「いえ」
角田は首を振った。
目が、赤くなっていた。
木下はそれ以上、何も聞かなかった。
ただ、角田の湯呑みに酒を注いだ。
「飲め」
「はっ」
海の上で、六人は黙って酒を飲んだ。
***
大和艦内。
ハッチから艦内に降り立った瞬間、久我は思わず立ち止まった。
匂いがしない。
それが最初に気づいたことだった。
帝国海軍の潜水艦に乗り込んだことが、一度だけあった。
あのときの蒸れた空気、機械油と人間の体臭が混ざり合った、あの息苦しい匂いが——ここにはなかった。
空気が、清潔だった。
「どうぞ、こちらです」
案内役の乗員が先を歩いた。
通路が広かった。
天井が高かった。
帝国海軍の潜水艦では、常に体を屈めて移動した。
しかしここでは、背筋を伸ばして歩ける。
照明が白く明るかった。電球ではない。
見たことのない光り方だった。影がほとんどできない。
「島田」
久我は小声で言った。
「はっ」
「珍しそうに見るな。前を向いていろ」
「はっ」
しかし自分自身が、見ずにはいられなかった。
壁に埋め込まれた計器類。
文字が読める。日本語だ。
しかし数字の表示の仕方が、見たことがない。
針ではなく、光る文字が並んでいた。
天井を走るパイプ。継ぎ目が見えないほど精密な加工だった。
久我は一瞬、足を止めた。
服装が違った。
帝国海軍の制服ではなかった。
色も、形も、階級章も——見たことのないものだった。
すれ違う乗員が、帝国海軍式の敬礼をした。
しかしどこかぎこちなかった。
久我は島田に小声で言った。
「あの服を見たことがあるか」
「ありません」
「敬礼はどう見た」
「帝国海軍式でありますが——慣れていないようです」
久我は黙って前を向いた。
(服装は知らないもの。敬礼は知っているが、慣れていない。辻褄が合わない)
疑念が、また一つ積み重なった。
「あの、みなさんの軍服は……」
案内役が振り返った。
「詳しくは後ほど、司令からご説明があります」




