第15話 本当に乗り込んで大丈夫でしょうか
哨戒艇・千鳥。
田村が久我に提案した。
「久我中尉、横須賀に移動する前に、一度こちらの艦をご覧になりませんか。心配であれば、こちらからも二名、貴艦に乗り込ませます。人質と思っていただいて構いません」
久我は一瞬だけ黙った。
島田が耳元で小声で言った。
「艦長、罠かもしれません」
久我は双眼鏡を下ろした。
「乗る。島田、貴様も来い」
「はっ」
久我は振り返らずに言った。
「都鳥に伝えろ。もし我々が二時間以内に戻らなければ、横須賀に連絡し——我々ごとあの艦を攻撃してもらえ」
乗員たちがざわめいた。
島田が一歩前に出た。
「艦長——」
「命令だ」
久我は受話器を取った。
「田村大佐殿、乗り込ませていただく」
田村の声が返ってきた。
「では、迎えの船を向かわせる。約束通り、二名も一緒に乗せる。少し待ってくれ」
***
大和発令所。
「あの哨戒艇に、二名乗り込んでもらいたい。人質だ。希望者はいるか」
田村は重い気持ちで言った。
危険がないとは言えない。
しかし。
手が、一斉に上がった。
田村は予想が外れて驚いた。
「あれ、多いな」
橘が苦笑した。
「みんな、薄々気づいているんでしょう。あの哨戒艇の乗員たちが——本物の帝国海軍だということに」
発令所のあちこちから声が上がった。
「艦長、私に行かせてください」
「帝国海軍の人間と話してみたいです」
「歴史の教科書にしか出てこない人たちですよ」
「一生に一度の機会じゃないですか」
田村は腕を組んだ。
(過去に転移したかどうかも、確認できていないのに、こいつらは——)
しかし、その顔を見ていると、止める気になれなかった。
結局、抽選になった。
当たったのは、機関士の角田三等海曹、二十五歳と、ソナー員の栗原二等海曹、二十七歳だった。
「よっしゃ」
「角田、羨ましいぞ」
「栗原、しっかりやれよ」
発令所が、久しぶりに笑い声で満たされた。
田村が手を挙げた。
「二人、ちょっと待て」
笑い声が静まった。
「お前たちは、帝国海軍の兵曹として名乗れ。角田は三等兵曹、栗原は二等兵曹だ。余計なことは言うな」
北沢が付け加えた。
「案内する乗員にも伝えろ。久我中尉たちの前では、帝国海軍式の敬礼をするように。慣れない動作になるが、なるべく自然にやれよ」
角田が栗原の顔を見て言った。
「帝国海軍式って、どんなんでしたっけ」
田村がその声を聞きつけ、二人の前に立った。
「いいか、よく聞け」
声に、いつもとは違う硬さがあった。
「今の海自の敬礼とは、肘の張り方が違う。俺たちは艦内が狭いから、肘を横に張らないよう教えられてきた。だが帝国海軍は違う。もっと大きく、はっきりと肘を張って行う」
田村は自分の右手を顔の横まで上げ、肘を大きく開いてみせた。
「こうだ。同じ敬礼をすれば向こうは安心してくれるからな。絶対間違えるなよ」
角田と栗原は、真剣な表情で頷いた。
「もう一度やってみせろ」
二人は同時に手を挙げた。肘の角度が、まだどこかぎこちなかった。
「角田、肘が甘い。もっと張れ」
「はい」
何度か繰り返すうちに、ようやく様になってきた。
「よし。それでいい」
田村は小さく頷いた。
「司令、大和で久我少尉に会う可能性のあるものは、全員できるようになってないとまずいですね」
「そうだな。田村、すぐに艦内放送で流してくれ」
***
大和・食料庫。
角田と栗原が、真剣な顔で棚を見渡していた。
「何を持っていけばいい」
「歓迎してもらわないと困るからな」
角田が缶詰を手に取った。
ラベルを見て、棚に戻した。
「これは駄目だ。英語が書いてある」
栗原が別の棚を開けた。
「日本酒はどうだ」
「ラベルを確認しろよ」
栗原がじっくり見た。
「日本語だけだ。大丈夫だ」
「よし、それにしよう」
角田が首を傾げた。
「でも、こんな瓶の形、昭和にあったのかな」
「細かいことは気にするな。日本語しか書いてないなら問題ないだろう」
栗原が日本酒を二本、脇に抱えた。
「他には」
角田が食料庫を歩き回った。
「煙草はどうだ」
「煙草か——でも銘柄が違いすぎるだろう」
「煙草に銘柄なんか関係ないだろう」
「昭和の軍人が現代の煙草を見たら、なんか変だと思わないか」
二人は顔を見合わせた。
「やめておくか」
角田が別の棚を開けた。
乾燥昆布と煮干しが入っていた。
「これなら大丈夫だろう」
「地味だな」
「地味でいいんだよ。余計なことを考えさせるより、馴染みのあるものの方がいい」
栗原が頷いた。
「確かに。日本酒と昆布と煮干し——昭和の軍人なら絶対喜ぶやつだな」
二人は顔を見合わせて笑った。
「よし、行くか」
角田が日本酒の瓶を持ち直した。
「なあ栗原、俺たちの爺さんよりも、前の世代と会うことになるんだな」
栗原は少し黙った。
「そうだな」
二人は食料庫を出た。
足取りが、少し重くなっていた。
***
しばらくして、大和の甲板に動きがあった。
何かが降ろされてきた。
黒色の、見たことのない物体だった。
水面に触れた瞬間、空気で膨らんだ。
ゴム製のボートだった。
艇尾に小型のスクリューが付いている。
乗員が乗り込み、こちらに向かってきた。
電動モーターなので、ほとんど無音だった。
哨戒艇の乗員たちがざわめいた。
「なんだ、あれは」
「ゴムでできているのか」
「帝国海軍に、あんなものがあったか」
「スクリューが回っているのに、音がまるでしない」
島田が、久我の隣で小声で言った。
「艦長、あれは——」
「見れば分かる」
久我は腕を組んだまま、ゴムボートを見つめていた。
(帝国海軍の技術ではない。しかし、あの艦の人間は日本語を話す。いったい——)
***
哨戒艇千鳥。
ゴムボートが哨戒艇の舷側に横付けされた。
乗員が久我に向かって敬礼した。
「お迎えに上がりました」
久我と島田がゴムボートに乗り移った。
久我は乗員の服装を一瞥した。
帝国海軍の制服とは違う。
(おかしな服装だ——)
しかしそれより、足元の方が気になった。
ゴムの感触が、靴底から伝わってきた。
(やはり——見たことのない素材だ)
ゴムボートがエンジン音もなく、大和へ向かって動き出した。
久我は腕を組んだまま、大和の艦体を見つめていた。
島田が小声で言った。
「艦長、本当に乗り込んで大丈夫でしょうか」
「もう乗ってる」
島田は黙った。
ゴムボートは音もなく、巨大な艦の舷側に近づいていった。




