第119話 儂がこの国でなすことは、もはやない
武蔵・大会議室。
堀が、これまでに起こったことを説明している間、信長は黙って考えていた。
儂は——この国を、根本から作り変えたかった。
戦の起こらない国にしたかった。
南蛮が手出しをできぬ、強き国にしたかった。
だが——それを望んだのは、儂一人であったということか。
公家、寺社、大名たち——誰もが、変わらぬことを望んでおるという。
あたりまえのことだ。生まれながらにして持つ、特権や力を——放り出そうとするはずがない。
信忠と光秀は、国の仕組みが変わらなくとも、幕府が強力な力を持ち続ければ、やつらの特権や力は、次第に小さくなっていくと考えたのだろう。
真面目で、和を大事にする光秀らしいわ。
だが——数十年程度では、そうはならぬ。
昔がどうであったかすら、忘れ去られるほどの時。
百年——いや、もっとかかるであろう。
しかし——長きにわたり、この形が続けばどうなる。
やがて、操り人形にされる将軍も出てくるであろう。
世は移ろい、南蛮の国々も、いつまでも自国に籠もっていてくれるとは限らぬ。
遠からず——また元の木阿弥よ。
いずれ、力をつけた大名たちの間で、また争いが起こる。
民は飢え、苦しむだろう。
そこへ——南蛮が付け入る隙を見出せば。
この国は、飲み込まれてしまうかもしれぬ。
信長は、きっぱりと言った。
「新しい仕組み作りを始めようとしたが——この国が大きな変化を嫌うというなら、儂がこの国でなすことは、もはやない。信忠と光秀が思うように、国作りを進めてもらうほかあるまい。北沢殿の期待に添えず——申し訳ない」
信長は、北沢の方をしっかりと見た。
「儂を——アメリカとかいう大陸に、連れていってはもらえぬだろうか。柴田勝家、滝川一益、佐々成政、森長可といった、戦の得意な武辺者たち。前田利家、丹羽長秀、松井友閑、村井貞勝といった、内政の得意な者たち——彼らが、儂についてきてくれるという」
会議室のメンバーが——思わず顔を見合わせた。
北沢が答えた。
「信忠殿と光秀殿に、おまかせするしかありませんね」
(結局、江戸幕府のような流れになっていくのかもしれないな)
(本能寺のことも——このまま、黙っておこう)
少し間を置いて、地図を指し示しながら北沢は続けた。
「我らは、ここサンフランシスコ湾に拠点を築きました。内政が得意な方たちは大歓迎です。先住民の土地を、武力で奪おうとは考えていません。少しずつ何年もかけて——ともに国作りをしていくつもりです。その考えに賛同していただかねばなりません」
「もちろん北沢殿の考えに従うつもりじゃ。先住民たちの涙の上に新たな国を作るというのは——儂の性に合わぬからの。ところで、サンフランシスコというのはどのような場所でござろうか」
「雄大な場所です。その景色を見れば心奪われるでしょう。豊かな土地、きれいな水、気候も——ここと変わりません」
「詳しくは、お市と娘たちにお聞きください」
「戻ってきておるのか、会いたいの」
「それで——武辺者たちの活躍の場はないかの」
「あるにはあるのですが、それは田村たちが帰ってきてからにしましょう」
「それは楽しみじゃ。それと——北沢殿たちが目指す国作りを、儂にも教えてもらえないだろうか」
「であれば、私だけでなく——技術は橘さん、財政は鶴田さん、艦隊運用や戦術については桐山に学んでください。学んでいただきたいことは、たくさんありますから」
堀が遠慮がちに手を上げた。
「某もぜひ——学びたいです」
***
武蔵・発令所。
「田村に繋いでくれ」
大和と通信が繋がる。
「司令——イギリスでの任務も完了しました。そちら、由良湊の様子はどうですか」
北沢は、これまでのことを説明した。
田村はしばらく黙っていた。
「信忠殿と明智殿に、頑張ってもらうしかないですね」
田村は続けた。
「なんとなくですが——徳川家が、北条家に入れ替わっていくような気がしますね。北条家に、あの堅固な江戸幕府が——作れますかね」
「心配だが——先のことは、わからないからな」
北沢は、話を切り替えるように続けた。
「ところで——大和は、どれくらいで由良湊に戻ってこれそうだ?」
「インド洋経由の方が早そうですね」
「では帰りがけに、いくつか叩いておいてほしい港がある」
北沢は続けた。
「まず——アフリカのアンゴラ・ルアンダ港だ。周辺から奴隷を集め、ブラジルへ送り出している拠点らしい。次に——インド洋沿岸のゴア港。ポルトガルのアジア進出の本拠地だ。それと——東南アジアのマラッカ港。東西交易路の要衝になっている。それとマカオ港だ」
「承知しました。奴隷を運ぶための港というのは——見過ごせませんね」
「そのとおりだ。頼む」
「了解しました。約一ヶ月で戻ります」
「よろしく頼みます——気をつけて」
通信が切れた。
***
一ヶ月後。
武蔵・発令所。
大和の田村から連絡が入った。
「司令——もうすぐ到着します」
「長旅ご苦労様でした」
「ルアンダ、ゴア、マラッカ、マカオの——大型のポルトガル船は全部沈めてきました」
「どこの港が、一番多かったですか」
「インドのゴアですね。副王庁が置かれているだけあって——港には、本国から来た大型のガレオン船が八隻、それに加えて、やや大型の交易船が数多く停泊していました。ポルトガルのアジア進出の中心地であることが、よくわかりました」
「ポルトガルは——海上交易帝国と呼ばれていたのですよね」
「はい。スペインとは、やり方がまるで違います。スペインは陸地——広大な植民地そのものを奪いますが、ポルトガルは違います。港と、その周辺だけを押さえて、そこを拠点に交易網を張り巡らせるやり方です」
「胡椒ですね」
「そうです。狙いは——胡椒をはじめとした、アジアの香辛料の独占です。ヨーロッパでは、肉料理の臭み消しや保存に、香辛料が欠かせません。ですから——生産地では二束三文のものが、ヨーロッパに運ばれると、金と同じ重さで取引されるほどの値がついたそうです」
「植民地から得られる利より、胡椒などの香辛料を抑える方の利が大きいということですね」
「そうだと思います。日本に戻る途中、いろいろな記録を調べましたので、そのあたりはかなり詳しくなりました」
「なるほど、わかりやすくて助かります」
少し間を置いて、北沢が尋ねた。
「ところで、香辛料そのものは、どこから採れるのですか」
「香辛料の中でも、特に値の張るクローブやナツメグは——スパイス諸島と呼ばれる島々でしか採れません。マラッカのさらに東、モルッカ諸島という一帯です」
田村は続けた。
「マラッカは、インド洋とスパイス諸島、明を結ぶ、いわば東西交易路の関所のような場所になります」




