第118話 置いてけぼりは困ります
堺港。
隠居した信長とともに、由良湊へ向かう者たちが集まっていた。
側近だった堀秀政は、家督を嫡子に譲り、身一つで信長についてきた。
正室・帰蝶は、静かに輿から降り立った。
側室たちも、それぞれの子を連れて後に続いた。
まだ元服前の幼い子らが、初めて見る蒸気船に目を輝かせていた。
港には、九鬼嘉隆が蒸気船で待機していた。
志摩を領地とする九鬼一族は、水軍衆ごと信長についていくことに決めていた。
「上様がおられるところが——九鬼の本拠にございます」
嘉隆は、そう言って深く頭を下げた。
織田家の武将たちの中にも、信長についていきたいと願う者たちがいた。
これから織田幕府の中心となる明智光秀とは、そりの合わぬ者たちである。
柴田勝家、滝川一益、佐々成政、森長可——いずれも、戦場こそが己の本領と信じて疑わぬ、根っからの武辺者たちだった。
いずれも家督を嫡子に譲り、腕自慢の郎党のみを引き連れて来ていた。
勝家が、豪快に笑いながら言った。
「これより先、戦のない世になるというなら——某の出る幕はござらん。ならば、上様とともに新たな戦場を求めまする。それに、あの生真面目な明智とでは肩が凝る」
一方、前田利家、丹羽長秀も郎党を引き連れていた。
利家が目を輝かせて言った。
「上様、北沢殿たちと一緒に、新たなる国作りをされと聞きました。そんな面白そうなことに、置いてけぼりは困りますぞ。どうしても連れて行けという、やる気満々の郎党も連れてきましたぞ」
松井友閑、村井貞勝も来ていた。
村井貞勝が言った。
「我らも忘れてもらっては困る。国作りに我らは必要ですぞ。家督を嫡子に譲り、身一つで来ましたぞ」
信長は、集まった顔ぶれを、ゆっくりと見渡した。
(これだけの者たちが——儂についてきてくれるのか)
夏の日差しが、堺の港を照らしていた。
蒸気船の煙突から、白い煙が静かに立ち上っていた。
真面目な光秀は、明智の兵で信長を警護しながら、堺までついてきていた。
信長は光秀を振り返った。
「光秀——信忠を支え、この国を頼むぞ」
光秀はさっと膝をついた。
「はっ——」
信長と信忠たちは、桟橋から船で旗艦に向かった。
光秀は——旗艦が堺港を離れるまで、静かに頭を下げていた。
旗艦が——静かに由良湊に向かっていった。
***
海神丸・旗艦。
武吉は甲板に立っていた。
(もう数日もここで待機しているが——この先どうなるのだろう)
「頭領——九鬼水軍から手旗信号です」
手旗信号の読み取り係が——静かに解読した。
「上様が由良湊で待つ——以上です」
武吉はしばらく黙っていた。
(どういうことだ——)
武吉はすぐに北沢に連絡した。
「司令——九鬼水軍から連絡がありました」
「内容は」
「『上様が由良湊で待つ』とのことです」
北沢はしばらく黙っていた。
「罠の可能性もある。細かいことまで目を配りながら、慎重に由良湊に向かってくれ。武蔵も続く」
「はっ——」
通信が切れた。
武吉は大声で言った。
「よいか——少しでもおかしなことがあれば、戦闘開始だからな」
「はっ——!」
「帆を上げろ——慎重に由良湊に向かうぞ」
海神丸の帆が——風をはらんだ。
***
由良湊。
武蔵・大会議室。
いつものメンバーが——席についていた。
今日は——信長と堀が加わっていた。
堀は、信長の後ろに立っていた。
信長と堀は、初めて武蔵の中に入った。
この船が、確かに先の世から来たのだと、改めて実感していた。
会議の冒頭——信長がゆっくりと席から立ち上がった。
そして——深く頭を下げた。
「北沢殿に助力いただき、天下統一を早めていただいたにも関わらず——このようなことになり、誠に申し訳ない」
後ろに立つ堀も——深く頭を下げた。
北沢は答えた。
「お座りください。まずは——これまで、いったいなにがあったのか説明いただけますか」
堀がゆっくりと口を開いた。
「某から説明いたします。今よりおよそ二月ほど前——国内すべての大名が臣従したことを名目に、この国の新しい門出を祝う会を開催しました。その会の目的は、新たな政の体制を、多くの有力者に周知させることでした。場所は京の都の大きな寺院です」
堀は続けた。
「会場には——臣従した大名たちが全国から集まり、公家衆や、寺社を代表する者たちも一斉に集まっておりました」
会議室のメンバーが——堀に目を向けていた。
「会が盛り上がる中——病気のため欠席していたはずの明智殿が、突然兵を率いて、寺院を取り囲んだのです」
誰もが集中して、話に聞き入っていた。
「警備をしていた兵たちも——まさか明智殿が謀反を起こすとは夢にも考えませんでした。むしろ警備を手伝いに来てくれたと思った兵もいたぐらいでした」
堀の声が——わずかに低くなった。
「明智の兵たちは——一気になだれ込んできました。我らは武器も持っておらず——抵抗する暇もありませんでした。信忠様は——上様を守ろうと、明智兵から刀を奪おうと襲いかかり——怪我をされてしまいました」
北沢は聞いた。
「謀反は——計画されていたものですか」
「そうだと思います。天下が統一された後、明智殿は上様に、織田幕府を作るべきだと何度も訴えておられました。それに対し、上様は——その意見を退け、信忠殿を権力の中枢に据える、新たな体制を作ろうと動いておられましたので」
「明智殿は、なぜ——それほどまでに、新たな体制に反対されたのでしょう」
堀は続けた。
「明智殿のもとには——公家、寺社、旧幕臣、そして臣従した大名たちから、数多くの嘆願が寄せられていたと聞いております」
「そんなことで、謀反にまで及んだのですか」
「明智殿は、これほど多くの反対があるのなら、新体制を強行すれば、再び天下が乱れかねぬと——そう案じたのだと思います」
北沢は、思わず首を振った。
「揉め事もなく、新しい体制を築くことなど——できるはずがありませんよ」
「そのとおりです。明智殿の——生真面目さが、裏目に出たのでございましょう」
北沢は、しばらく考えてから言った。
「その古い仕組みこそが——戦国の世を生み出したはずです。せっかく天下を統一し、新しい仕組みを作れる機会を得ながら——もとの体制に戻そうとするとは。なんということを……」
信長が憤りを滲ませながら言った。
「そのとおりじゃ——奴は、これまでの苦労を、すべて無にしてしまいよった」
「信忠殿は、征夷大将軍になることについて賛成されたのですか」
「信忠は、明智の意見に賛同しおった。第二の足利幕府になることがわからぬのだ」
「足利のように、京の都で公家のような将軍になるつもりですか」
堀が答えた。
「そこは考えたみたいです。強き幕府を作ろうと、石山本願寺の跡地に難攻不落の巨城を築くようでございます」
「明智家を、強く支持する大名はどこですか」
「北条家です。信忠様の腹心である明智殿が、反対する大名を征伐する際——北条家は、それを律儀に助力してまいりました。以来、明智殿は北条家を深く信頼するようになり——両家の間には、婚姻関係もいくつも結ばれております」
「なるほど——北条は明智に目をつけたというわけですね」
「はい。明智殿は、北条家の律儀に報いたいと思ったのでしょう。東の大名への睨みも兼ねて、関東に広大な所領を与えるよう、信忠様に働きかけているようです」
北沢は困惑した様子で頷いた。
(北条家が関東に——)




