第11話 牙を持った犬は飼えない
官邸地下一階、危機管理センター。
モニターが並ぶ薄暗い部屋に、閣僚たちが集まっていた。
相模湾の映像がリアルタイムで映し出されている。
江崎総理が衛星電話を置いた。
閣僚たちが一斉に詰め寄った。
「総理、北沢は何と言っていたのですか」
江崎総理はしばらく黙っていた。
やがて話し始めた。
「北沢は言った。某国に『報復核を保有している。核攻撃すれば報復する』と通告すれば、三千万人の被害が防げるはずだと」
西村防衛大臣が言った。
「総理、できないとお答えになっていましたが。なぜなのです」
多くの閣僚が頷いていた。
江崎総理は一度目を閉じた。
「可能性の問題だ。そう交渉すれば、核のボタンは押されないかもしれない。しかし確実ではない。外れたとき、東京は消える。そんな賭けに、国民の命を乗せられない」
桐島外務大臣が諭すように言った。
「総理、核の抑止力とは、もともとそういうものではないですか。百パーセントの保証など、最初からないのです。保証がなくても、交渉ができることに意味があるのです」
「それはそうなのだが……その場で判断などできなかった」
「では大和と武蔵への攻撃命令はどうなったのですか」
「北沢は攻撃されなかったと言っていた。西村防衛大臣、坂本に確認してみてくれ」
西村防衛大臣が、坂本海上幕僚長に連絡を取った。
音声をスピーカーで全員に流した。
「坂本君、状況を報告してくれ」
「はい。北沢への最終警告の五分後、大和と武蔵への魚雷攻撃を命じました。しかし潜水艦の艦長たちは、命令を全員が拒否しました」
室内にどよめきが広がった。
坂本の声が続いた。
「大変申し訳ありません。命令違反として艦長たちを拘束し、副長を艦長に任命しました。ですので、もう一度攻撃命令を出す準備は整っています」
「坂本君、待て」
総理が遮った。
「攻撃はいったん中止だ。次の指示があるまで動くな」
「よろしいのですか」
「いい。待機してくれ」
通信が切れた。
室内が静まり返った。
閣僚たちは総理を見た。
江崎総理は、まだ決断できずにいた。
***
その中にあって、中田文部科学大臣は焦っていた。
(まずい。この情報を今すぐ伝えなければ——)
そっと執務室の端に移動し、スマートフォンをポケットから取り出そうとした。
そのとき。
「中田大臣」
低い声だった。
村田法務大臣が、中田の正面に立っていた。
その後ろに、スーツ姿の男が二人いた。
「公安調査庁の者たちです」
村田は抑えた声で言った。
「中田さん、証拠はすでに揃っています。通信記録、送金記録、接触記録——三年分です」
中田の顔から血の気が引いた。
「な、なんの話だ」
「とぼけなくていいですよ」
村田の声は変わらなかった。
中田は動けなかった。
スーツ姿の男の一人が前に出た。
「中田大臣、特定秘密保護法及び国家公務員法違反の疑いで、任意同行をお願いします」
室内が静まり返った。
誰も止めなかった。
誰も、中田を庇わなかった。
中田洋介は、うなだれたまま部屋を出た。
江崎総理は、その背中をただ見ていた。
(官邸の中にまで、スパイがいたのか)
北沢の言葉が、また耳の奥で響いた。
静かな毒は、一人だけではなかった。
***
某国首都・ブロック代表執務室。
ブロック代表の執務室は、緊張感が漂っていた。
軍のトップが地図を前に立っていた。
モニターには、相模湾沖の衛星映像がリアルタイムで映し出されている。
大和と武蔵は、まだそこにいた。
「どうなっている。攻撃はいっこうに始まらないではないか」
補佐官が答えた。
「日本の潜水艦の艦長たちが、命令を拒否したようです。現在、副長を艦長に任命して再攻撃の準備をしているとの情報が入っています」
「別のスパイも頑張ってはいるようだな。ところで、中田とは連絡がとれないのか」
「大使館に確認しましたが、応答がないようです」
ブロック代表は窓の外を見た。
いつも見慣れた首都の情景が広がっていた。
「捕まったとみるべきだな」
「はい。おそらく」
「中田はどうしますか」
ブロック代表は振り返らずに言った。
「用済みだ。それより問題は江崎だ」
軍のトップが口を開いた。
「中田がバレた以上、江崎は閣僚たちから突き上げられるはずです。北沢の提案に乗る可能性が高くなりました」
「そうなれば、日本は核を持つ。牙を持った犬は、飼えないな。眠ってもらおう」
ブロック代表は机に両手をついた。
「江崎が動く前に、片をつける。大和と武蔵に向けて、核を発射しろ」
室内が静まり返った。
補佐官が慎重に口を開いた。
「閣下、他のブロックから反発が出ませんか。国際社会への説明は——」
「簡単だ」
ブロック代表は冷たく言った。
「日本のテロリストが、核兵器を密かに製造していた。しかし、試験中に誤爆した。それだけのことだ。我らの関与を誰が証明できる」
補佐官は黙った。
「発射ボタンを持ってこい」
軍のトップが頷いた。
部下が、黒い鞄を運んできた。
ブロック代表はゆっくりと鞄を開いた。
中に収まっていたのは、シンプルな金属製のパネルだった。
赤いカバーの下に、ボタンがある。
「記録に残せ」
ブロック代表は言った。
「日本のテロリストが核兵器を誤爆させた。以上だ」
カバーが、開かれた。




