第107話 鷲の神の——使いが来た
シャーマン島・伊賀村。
数日後——タカウが息を切らして藤林のもとに駆け込んできた。
「タカウ殿——どうした」
タカウは、何かをまくし立てるように話し続けていた。
才蔵が急いで会話集を開いたが、めくる間も惜しむように——タカウは身振り手振りを交え、必死に伝えようとしていた。
藤林は、まず両手でタカウを制し、落ち着かせた。
桐山が会話集を必死にめくった。
(熊——大勢——怪我)
(族長——死にそう)
(薬——ないか)
「族長が熊に襲われて——死にそうだということですか」
タカウが激しく頷いた。
藤林は急いで桐山の方を見た。
「村上先生に連絡してください」
***
武蔵・医務室。
村上医師は、桐山に怪我人の状況を確認した。
「熊に襲われた傷ですね——襲われてから、どのくらい経ちますか」
「二日以上経っているようです」
「それだと——破傷風になりかけている可能性があります」
「どうしますか」
村上は北沢に言った。
「私がタカウの村に行きます。ヘリを出してもらえませんか」
「わかりました——すぐに手配します」
***
シャーマン島の上空。
ヘリが——川沿いを北東に向かった。
しばらくして——オローニ族の村が見えてきた。
ヘリのパイロットが言った。
「あそこみたいです」
ヘリが——村の中央の広場に降り始めた。
ゴウゴウ——と轟音が響いた。
草が——四方に吹き飛んだ。
村の男女が——一斉に逃げ出した。
「きゃあ——!」
「怪物じゃ——!」
「逃げろ——!」
タカウだけが——その場に立ったまま、じっと空を見上げていた。
ヘリがゆっくりと着陸した。
扉が開いて——村上が降りてきた。
タカウは——震えながらも動かなかった。
(これは——大鷲なのか)
(あの遠い国から来た者たちが乗ってきた——鉄の大鷲なのか!)
村上は会話集をめくりながら話した。
「族長を診せてください——急いで」
タカウは頷いた。
***
族長の家。
族長が——毛皮の上に横たわっていた。
胸に熊の爪痕が残っていた。
傷口が——赤く腫れていた。
高熱で——意識がなかった。
村上は、落ち着いて診察を始めた。
(やはり——破傷風の初期症状だ)
(間に合うか——)
「消毒と抗生物質——急いで」
美咲が——素早く器具を広げた。
村上が治療を始めた。
村の者たちが——小屋の入口から恐る恐る覗いていた。
(この者たちは——いったい何をしているのだ)
(光る道具、白い布——)
***
翌朝——族長の熱が下がり始めた。
昼頃には——目を開けた。
タカウが族長の傍らに膝をついた。
なにか熱心に語りかけていた。
族長は——ゆっくりと村上を見た。
しばらくして——手を差し伸べた。
村上はその手を握った。
タカウが立ち上がり——広場に向かって叫んだ。
村の者たちが——一斉に集まってきた。
タカウが空を指差した。
何か言った。
桐山は会話集をめくった。
(鷲の神の——使いが来た)
(族長を——救ってくれた)
村の者たちが——一斉に地に膝をついた。
藤林は、微笑みながら村上を見た。
「村上先生——鷲の神の使いになったみたいですな」
村上は苦笑した。
「医者は神様ではありませんよ——」
藤林は思った。
(彼らと、最高の信頼関係が結べた)
ヘリが——音を立てて空に舞い上がった。
村の者たちが——その姿が見えなくなるまで見送っていた。
***
武蔵・発令所。
田村から報告が届いた。
「北沢司令——南下してパナマ付近まで確認しました」
「ご苦労様でした。スペインの船は見かけましたか」
「その前に、まず所要時間からご報告します。サンフランシスコ湾から片道四〜五日でした。現在位置はパナマ沖です」
「アカプルコはどうでしたか」
「地図でわかるように、メキシコシティから南西に約三百八十キロの太平洋岸にある港町。記録では——マニラに向かうガレオン船の、太平洋側の拠点とされています」
田村は続けた。
「実際に見たところでは——要塞と倉庫が中心の、小さな港でした。港には二〜三隻のガレオン船が停泊しており、うち一隻は修理中のようでした」
「重要拠点の割には——船が少ないですね」
「記録によれば、マニラからアジアの絹や陶磁器を積んで来て——アカプルコで銀と交換していたようです。頻度は年に一〜二回の往復ですから——それくらいかもしれません」
「パナマはどうですか」
「アカプルコより規模が大きな——要塞都市でした。港には五隻のガレオン船が停泊していて、強固な砲台もありました」
「記録では——大西洋と太平洋をつなぐ要衝であり、南米の銀をスペイン本国に送り出す中継拠点だったはずです。だからこそ——あれほどの要塞になっているのかもしれませんね」
田村は続けた。
「たしか——インカ帝国を征服する際の拠点にもなったと聞いています。総督も置かれていたのではないでしょうか」
「そうだとすれば——パナマは、我らにとっても、もっとも警戒すべき場所ということになりますね」
北沢は続けた。
「ところで、サンフランシスコ湾方面に向かうような、調査船には出会いましたか」
「いいえ」
田村は続けた。
「記録では、マニラガレオン船の復路は——マニラから北緯四十度付近まで北上、そこから東に向かい——カリフォルニア沿岸を南下してアカプルコに向かうとなっています」
「そういえば——」
北沢は、少し考え込んだ。
「海神丸が通ったのも、たしか、その辺りの海域だったな」
「はい。もとより、風と海流の都合の良いルートを選んだ結果ではありますが——結果として、ガレオン船の航路と、大きくは違わない形になっていると思います」
「つまり——マニラガレオン船の本数が増えれば、サンフランシスコ湾が発見される可能性が高い、ということですね。どうするのがいいか、こちらでも話し合います。しばし、休息しつつ、待機しておいてください」
「わかりました」
通信が切れた。
***
シャーマン島・伊賀村。
ヘリが——シャーマン島の草原に降り立った。
主要メンバーを運ぶため、これで二度目の往復だった。
北沢を始め、先発の主要メンバーに続き——今度はお市と徳姫も、ヘリから降りてきた。
度胸がいいのか、初めてのフライトなのに、まったく平気な顔をしている。
お市は、ゆっくりと周囲を見渡した。
目が大きく見開かれた。
どこまでも——草原が広がっていた。
サクラメント川が——北の方角に静かに輝いていた。
川幅は広く、水は青く澄んでいた。
川沿いには——コットンウッドの大木が並んでいた。
南西には——湿地が広がり、無数の水鳥が舞っていた。
そして東の彼方に——雪を頂いたシエラネバダ山脈が、白く輝いていた。
空は——抜けるように青かった。
どこまでも高く——雲一つなかった。
お市は、景色に感激した。
「まあ——なんて素晴らしい場所でしょう。すぐにでもこちらに住みとうございます」
徳姫も続けた。
「妾も同じです」
藤林が穏やかに笑った。
「熊が出ますよ。銃の訓練をされますか」
お市は、少し不安そうに首を傾げた。
「もう少し様子を見てからにします」
主要メンバーたちが——思わず笑いに包まれた。
北沢は草原を見渡した。
足元の黒土を——そっと手に取った。
(肥沃な土だ——)
(ここなら——米も育つだろう)
東の空に——シエラネバダの雪山が、静かに輝いていた。




