第105話 ハウカ
シャーマン島・移住者拠点。
上陸した者たちが——一斉に動き始めた。
由良湊で大量に準備しておいた、テントや食料などが、荷揚げされていた。
藤林が指示を出した。
「まず——通路を確保してからテントを建てろ。縦と横に真っ直ぐな道を作れ。後で困らないようにするのだ」
「はっ——!」
男たちが動き出した。
縦に一本、横に一本——真っ直ぐな通路が確保されていった。
その両側に——テントが次々と建てられていった。
しばらくして——小さなテント村が出来上がった。
「次は柵だ」
周囲に落ちていた木を拾い集め——簡易的な柵が作られていった。
完成した柵をひと回りした藤林は頷いた。
(まずはこれで十分だ)
***
テント村の中心で——米が炊かれ始めた。
煙が——静かに空に立ち上った。
しばらくして——米のいい匂いが漂ってきた。
藤林が安堵しながら呟いた。
「寝る場所もできた。後は米が炊けるのを待つだけだ」
男も女も——火の周りに集まってきた。
疲れ果てたのか——次々と横になり始めた。
長い航海で揺れ続けた体が——大地の感触をじわじわと思い出していた。
「まだ体が揺れている——」
「揺れない地面がありがたい」
「このまま眠りそうだ」
誰の顔も——穏やかに緩んでいった。
***
藤林は才蔵の方を見た。
「長旅だったからな——みんな草臥れ果てていることだろう」
「そうでしょうね。このまま横になりたい気持ちが、よくわかります」
「才蔵——お前も休みたいだろうが、握り飯を食ったら、元気そうな者を連れて、少し遠くまで、様子を見てきてくれ」
才蔵は頷いた。
「承知しました。もうひと踏ん張り頑張ります」
才蔵は、炊きたての握り飯を急いで頬張ると——二十数名の海神衆を連れて、テント村を出ていった。
***
二時間ほどが過ぎた頃——才蔵が戻ってきた。
「どうだった」
才蔵が答えた。
「先住民の姿は見えませんでした。熊の足跡もありません。獣の気配は——少しありましたが、すぐに逃げていきました」
「そうか」
藤林は空を見上げた。
夕暮れが——シャーマン島を静かに染め始めていた。
「今日は休もう。交代で見張りを立ててくれ」
「はっ」
テント村の中に——ひっそりと夜が訪れていった。
遠くで——川の流れる音が聞こえていた。
横になった男の一人が、ふと空を見上げた。
(星が——多いな)
目を閉じると——波の揺れが、まだ体の中に残っていた。
(今日はよく眠れそうだ)
***
明け方——テント村の見張りをしていた男が駆け込んできた。
「頭領——先住民のひとたちが来ています」
藤林はさっと起き上がった。
「何人だ」
「十人くらいです」
「どんな感じだ。険悪な様子か」
男は少し首を傾げた。
「いえ——なんだかのんびりした感じで……」
藤林は静かに笑った。
「竈のところに来てもらってくれ。丁重にだぞ」
(先住民はオローニ族のはずだと——桐山殿が言っていた)
藤林は懐を探った。
(これで会話ができると渡された会話集——役に立つ時が来た)
(それにしても——なんでも用意のいいひとたちだ)
***
案内されて——先住民たちがやって来た。
十人ほどの男たちだった。
浅黒い肌に——黒々とした長い髪。
腰には鹿の皮で作った腰布だけをまとい、上半身は裸だった。
首には——貝殻を連ねたネックレスが光っていた。
体つきは筋肉質で——よく日に焼けていた。
先頭の男が——藤林をじっと見た。
その目が——恐れているわけでも、敵意があるわけでもなかった。
ただ——純粋に、珍しいものを見る目だった。
藤林も先頭の男を見た。
(温和そうな顔だ——)
(これなら——うまくやれそうだ)
藤林は会話集を開いた。
ゆっくりと、オローニ語で声をかけた。
「ハウカ」
先頭の男が——目を丸くした。
仲間たちと何か話していた。
やがて——先頭の男がにこやかに笑った。
「ハウカ」
藤林は胸を撫で下ろした。
(通じた——)
竈の火が——朝の光の中に、静かに揺れていた。
***
藤林は会話集をパラパラとめくりながら——ゆっくりと話し始めた。
「遠い国から——船で来た」
先頭の男が——ゆったりと頷いた。
「この場所で——米というものを作らせてほしい」
男は首を傾げた。
(米がわからないのか——)
藤林は、種籾が入った袋を持ってこさせて——男に見せた。
男の目が輝いた。
何か仲間に話していた。
「できた米を——あなたたちの物と交換してもいい」
先頭の男——タカウは、にこにこと笑っていた。
(大丈夫なのか。怒っていないのか)
(にこにこしているが——本当にわかっているのだろうか)
藤林はしばらくタカウを見つめた。
(そうだ——土産物だ)
(準備していたのだ)
その前に——藤林は会話集をめくった。
「あなたの——名前は」
先頭の男は自分の胸を指した。
「タカウ」
藤林はゆっくりと繰り返した。
「タカウ」
タカウは、にこにこと笑いながら頷いた。
藤林も自分の胸に手を当てた。
「藤林」
「フジ、バヤシ」
タカウがたどたどしく繰り返すと、仲間たちから笑い声が起きた。
タカウ自身も——照れくさそうに笑った。
藤林は才蔵の方を振り返った。
「鏡を持ってきてくれ。それと——握り飯を十個だ」
「はっ」
才蔵が走っていった。
すぐに戻ってきた。
藤林は、ゆっくりと鏡をタカウに差し出した。
タカウが鏡を受け取った。
その瞬間——タカウが飛び上がった。
「おっ——!」
仲間たちも一斉に覗き込んだ。
わあわあと騒ぎ始めた。
自分の顔を見たり、仲間に向けたり——しばらく収まらなかった。
(これほどはっきりと——自分の顔を見たことはなかったのだろうか)
藤林は会話集をめくった。
「あなたに——渡す」
タカウは目を丸くした。
それから——満面の笑顔になった。
胸に押し当てて——何度も頷いた。
続いて——握り飯が配られた。
一人ひとりに——丁寧に手渡した。
タカウが一口かじった。
目が——大きく見開かれた。
仲間たちも次々と口に入れた。
何か口々に言い合っていた。
(うまいと言っているようだ——)
しばらくして——タカウが立ち上がり、ゆっくりと口を開いた。
藤林は会話集を必死にめくった。
(ここに住んでいい——だろうか)
(米ができるのを楽しみにしている——だろうか)
(自分たちの村に遊びに来い——だろうか)
藤林は会話集を閉じた。
(たぶん——そういうことだろう)
タカウはまだ笑っていた。
鏡を胸に抱えたまま——笑っていた。
藤林はほっと空を見上げた。
(うまくいきそうだ——)
朝の光が——シャーマン島を静かに照らしていた。




