第101話 どこまでも——海だけが広がっていた
武蔵・大会議室。
北沢は桐山を見た。
「桐山——サンフランシスコ湾周辺の先住民は、どんな人たちだ」
「オローニ族という部族です。人口は約一万人。比較的穏やかな部族で——争いを好みません」
「どんな暮らしをしている」
「ドングリを粉にして食べ、魚や貝を獲って暮らしています。葦や草で作った丸い小屋に住んでいます。道具は石器と骨——鉄は持っていません」
半兵衛が驚いたように聞いた。
「ちょっと待ってください。団栗など、食べられるものなのですか」
桐山は頷いた。
「そのままでは渋くて食べられません。ですが——何度も水にさらして、あくを抜けば、栗のような甘みが出てきます。先住民たちは、その粉を主食にしているのです」
早川が、懐かしそうに口を挟んだ。
「先の世でも——ドングリクッキーなら、食べたことがありますよ。美味しかったです」
半兵衛が目を丸くした。
「先の世でも、召し上がるのですか」
「はい。珍しいお菓子ですが——木の実らしい、素朴な甘さがあって、私は好きでした」
官兵衛が感心したように言った。
「なるほど、知恵を使って美味しく食べるのですな」
「彼らは何百年も、その土地に合った暮らし方を積み重ねてきたのです。我らはその知恵を学ばねばなりません」
北沢が聞いた。
「オローニ族の性格はどうだ」
「自然を大切にする穏やかな人たちです。ただし——縄張り意識はあります。いきなり大勢が上陸すれば——警戒されるでしょう」
北沢は頷いた。
「歓迎してもらうには——お土産が必要だな」
「いくつか用意しました」
桐山は続けた。
「まず——農具です。鍬、ナイフ、針——石器しか知らない彼らには、鉄は魔法のように見えるはず。一番喜ばれると思います」
「布はどうだろう」
「彼らは動物の皮しか衣類がありません。絹や綿の布は——触ったことすらないはずです。軽くて柔らかいことに——驚くと思います。それも用意しました」
「他には」
「鏡です。水面でしか顔を見たことがない彼らには——自分の顔がはっきり見える鏡は、驚きの品になります」
「なるほど」
「それと——塩です。内陸にいけば、非常に価値が高いでしょう。海岸に住む彼らでも——上質な塩は喜ばれます」
北沢は穏やかに笑った。
「農具、布、鏡、塩か——これだけあれば、まず仲良くなれそうだな」
官兵衛が、静かに頷いた。
「なるほど——これも、一つの調略というものですな」
桐山が笑った。
「そんな大げさなものではないです」
北沢は満足そうに頷いた。
「とにかく、最初の一歩が——すべてを決める。丁寧に、丁寧に——慎重に進めていきましょう」
藤林は姿勢を正した。
(これほどまでに、慎重を期しておられる。ならば——我らも、決して粗相があってはならぬ)
「承知いたしました。伊賀の者たちにも——くれぐれも心得るよう、しかと申し伝えておきます」
***
天正十年(1582年)二月初旬。由良湊。
夜明けの空が——静かに白み始めていた。
北沢は武蔵から無線機で、大和の田村に命じた。
「では——出発しよう。武蔵と大和は浮上したまま進む。田村——海神丸を無事に、サンフランシスコまで連れて行ってくれよ」
田村は力強く頷いた。
「お任せください」
「抜錨——!」
鬨の声が——由良湊に響いた。
北沢は、セイル上部のフライングブリッジに立っていた。
横には桐山、お市、徳姫がいた。
高台に——信長と堀の姿が見えた。
お市がそっと手を振った。
徳姫も続いた。
高台の信長が——大きく手を上げた。
北沢はゆっくりと前を向いた。
海神丸・十隻の帆が——冬の風をはらんで、静かに動き始めた。
***
出発から五日目。
北海道・東方沖。海神丸・甲板。
村上武吉はゆったりと甲板に立っていた。
海神丸の左手には——北海道の山並みが遠く霞んで見えた。
(ここまでは順調だな)
船が——大きく揺れた。
「この辺りは潮流が複雑だ。気をつけろ——!」
このあたりまでは、航海訓練で何度か来ているが——北の果ての景色は瀬戸内とは全く違う。厳しさのなかに美しさがある。
こんな景色を見られるのは、海の男の役得というものだ。
***
出発から十日目。
武蔵・フライングブリッジ。
択捉島沖。
海岸の断崖に——ヒグマの姿が見えた。
海神丸の甲板から、景色を楽しんでいる伊賀の者たちが騒いでいた。
「あれは——なんじゃ」
「熊じゃ——!」
半兵衛が官兵衛とともに、武蔵のフライングブリッジに出てきた。
半兵衛は、望遠鏡で海岸を覗いていた。
「体が大きいですな——日本の熊より二倍はありそうですね」
官兵衛が言った。
「グリズリーはもっと大きいと聞きましたが——あれより、でかいのでしょうね」
二人は顔を見合わせた。
その頃——海面に白いものが浮かんでいた。
海神丸の甲板から声がしてきた。
「海が——白くなっておるぞ」
「氷じゃないか。海は凍るのか!」
村上の船乗りたちも——目を丸くしていた。
「瀬戸内海では——こんな景色は見られないな」
「あたりまえじゃ。ここは北の果てだぞ」
「ほんと、来てよかったな」
男たちが笑い声を上げていた。
***
出発から十五日目。
武蔵・フライングブリッジ。
アリューシャン列島。
火山島が——次々と現れた。
噴煙を上げる島。
断崖絶壁の島。
エメラルドグリーンの海。
海神丸の甲板にも、伊賀の者たちが集まっていた。
「なんという、素晴らしい景色じゃ——」
その時——海面が大きく盛り上がった。
ザトウクジラが——海面から姿を現した。
「でかい——!」
「鯨じゃ——鯨じゃ——!」
続けて——もう一頭。また一頭。
無数のクジラが——船団の周囲で潮を吹いた。
お市と徳姫は、乗組員に嫁いだ女性たちとともに、武蔵のフライングブリッジに三人ずつ交代で上がり、景色を楽しんでいた。
「お市様、来て良かったですね」
「そのとおりね。尾張に閉じこもっていたら、こんな素晴らしい景色に出会うことはなかったわ」
横に立つ女性たちも、景色を楽しんでいるようだった。
しばらくして——無数の海鳥の群れが、空を覆った。
黒い帯のように——どこまでも続いていた。
村上水軍の男たちでさえ——しばらく言葉を失っていた。
***
出発から二十日目。
海神丸・甲板。
アリューシャン列島を抜けた頃——左右の島影が消えた。
どこまでも——海だけが広がっていた。
村上武吉が甲板で腕を組んでいた。
「よし——陸が見えなくなった! ここからが——我らの航海術の見せ場だ」
男たちが——一斉に動き出した。
六分儀を取り出す者。星図を広げる者。帆の角度を調整する者。
武吉はゆっくりと空を見上げた。
「昼は太陽、夜は星——それで我らのおおよその位置はわかる。なにもわからず、大和と武蔵についていくだけでは——赤ん坊と一緒だからな」
その言葉を聞いた村上水軍の男たちの表情が締まった。
「艦長、任せておいてください」
「村上水軍が、大海原で迷子になったとあっては——末代までの恥じゃ」
「おおーっ——!」
男たちの鬨の声が——大海原に響いた。




