第100話 妾が子どもの頃の——あのやさしい兄上です
武蔵・大会議室。
北沢は鶴田の方を向いて口を開いた。
「航海の計画について、鶴田さんに整理してもらいましょう」
鶴田が、帳簿を手に持って説明を始めた。
「では——説明します」
全員が鶴田に注目した。
「まず航路ですが——由良湊からサンフランシスコ湾まで約八千キロです。北上してアリューシャン列島沿いに東へ向かいます。北太平洋の風と海流が東向きに流れていますので——追い風になります。帆走主体で——約二十五〜三十五日で到着できます。無風の時だけ蒸気を使えば——石炭の節約にもなります」
鶴田が説明を続けた。
「船団の編成ですが——海神丸が十隻で移住者と物資を運びます。大和と武蔵は、海神丸の、前後あるいは外側を並走します」
村上武吉が口を開いた。
「我らは、習得した航海術を使って、船の位置を割り出しながら航行するように努めますが、なにぶん初めての長距離航海ですので、並走していただくのは心強いです」
田村が、にやりと笑いながら言った。
「進路を外れるようなら、もう一度訓練のやり直しだぞ」
村上武吉が言った。
「我ら村上水軍の意地にかけても、そうならないよう頑張ります」
北沢が言った。
「鶴田さん、続けてください」
「各船にどのくらいの食料を積み込むかですが、船の食料だけで乗組員が百日間生活できる量とします」
「百日分となると——かなりの量になりますね」
「一隻あたり食料が約二十トン、水が約四十トン——これだけで六十トンになります。石炭三十トン、農具、種、火薬、建材を加えると——積載限界に達します」
「その場合、一隻あたりの移住者は何人になりますか」
鶴田は静かに答えた。
「乗組員を七十名に絞ったとして、移住者は五十〜六十名が限界となります。それから、一隻は食料専用船にします。食料専用船一隻で、移住者五百名分が、目的地で百日暮らせる食料を確保します」
「二回目も同様ですが、由良湊の海神丸の数は増えていると思いますので、もっとたくさんの移住者を運べるはずです」
鶴田が説明を続けた。
「もしもサンフランシスコ湾側で、食糧不足が起きれば、武蔵が高速で補給することができます。武蔵の巡航速度は約二十ノット——往復二十五日で食料を届けられます」
北沢が言った。
「鶴田さんがいてくれて——本当に助かります。我らだけでは、こういう細かい計画は立てられませんから」
鶴田は丁寧に帳簿を閉じた。
「これが——私の仕事ですから」
***
北沢が、ゆっくりと全員を見渡した。
「それと——この計画において、もっとも大事なことを、申し上げておきます」
その一言で、部屋の空気が、わずかに引き締まった。
全員が、北沢の言葉に耳を澄ませた。
「この移住の目的は——北アメリカ大陸に攻め込み、先住民を追い出して、日本の領地にすることではありません」
北沢は続けた。
「先住民と共に生き、ヨーロッパの国々に植民地にされない、新しい国を作り上げること。それが目的です。その新しい国と日本は——互いに助け合う、兄弟国家となるでしょう」
北沢は、そこで一度言葉を切った。
そして、念を押すように続けた。
「現地に着いたら——まず、先住民と友になることを考えてください。そこを間違えれば——この計画は、根本から崩れます」
部屋に、しばしの沈黙が流れた。
やがて——全員が、深く頷いた。
***
天正十年(1582年)一月下旬。由良湊。
出発日が——二月一日に決まった。
出発日まで、あと数日だった。
種まきの季節に合わせて——サンフランシスコ湾に到着するための計算だ。
伊賀から——五百人が集まった。
農具と着替えだけを持ってきている者がほとんどだった。
藤林が言った。
「食料を用意していただけると聞いて——安心しました。伊賀の者たちは——新しい土地への期待で、目が輝いています」
***
信長と堀が由良湊にやって来た。
高台から見渡せば——由良湊に海神丸が並んでいた。
十隻の帆柱が——冬の青空に向かって静かにそびえ立っていた。
信長、北沢、桐山、お市、徳姫が——並んで湊を見下ろしていた。
北沢が言った。
「海神丸は、三ヶ月近くかけて往復することになります。慣れるまでは武蔵が一緒に並走しますので——私たちもすぐに戻ってきます」
信長が頷いた。
「そうか——ならば、またすぐに会えるということじゃな」
信長は続けた。
「儂も——いつかは、そのアメリカとやらを、この目で見てみたい。何度目かの航海には、必ず同行いたす」
「ぜひ」
信長はしばらく湊を見渡した。
「市と徳も——行ってしまうのだな」
その声が——わずかに低かった。
徳姫が振り返った。
「父上——時々は戻ってまいります」
お市も続けた。
「兄上、昔の兄上に戻ったようですね」
「そうか——」
「妾が子どもの頃の——あのやさしい兄上にです」
信長はしばらく黙っていた。
お市は続けた。
「長政殿が亡くなられて——もう生きていても仕方がないと思っておりました。しかし——ここに来て、世界の広さを知り、これからのことを考えると——まだまだやることがあると思えるようになりました」
「そうか——」
徳姫が、真剣な面持ちで口を開いた。
「父上——いろいろありましたが、妾は桐山殿の妻になれて幸せです」
信長は頷いた。
「桐山殿は——よい男じゃからな。大切にしてもらうのじゃぞ」
「はい」
信長は二人の服装が気になった。
「ところで——おまえたちその格好はどうした」
お市はくすりと笑った。
「この船のみなさんと同じ格好にしました。敬礼も覚えましたよ」
お市が敬礼をした。
徳姫も続いた。
「妾も覚えました」
信長はしばらく二人を見つめていた。
やがて——声を上げて笑った。
「似合っておるぞ——まったく」
信長は北沢の方を振り向いた。
「北沢殿——船に補給する食料はお任せくだされ」
「ありがとうございます」
堀はお市と徳姫の方を見て、軽く頭を下げた。
「お市様、徳姫様——どうかお元気で」
(某は——ここで上様をお守りしますぞ)
冬の風が——由良湊を静かに吹き抜けた。




