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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第98話 見抜かれた桃色の悪意と、銀杏並木の恋心

 黄昏に沈む景色。

 真っ赤な血のような夕日が空を染め、影は長く伸びていく。


「デジールのことはいったん保留にしておこう」


 父はそう言った。


「お父様。あの、ルシ様のこと、おじい様に紹介したい」


 ローゼルは身を乗り出した。


「——そうだね。どこかで場を手配しておくよ」


「きっと魔法談義に花が咲くよ。

 強い魔法使い、おじい様、大好きだもの」


「うん」


 父はどこか引っかかるような曖昧な笑みを浮かべた。

 扉がノックされた。


「申し訳ない、お待たせして」


 ルシアンが改まった声で入って来た。


「仕事、大丈夫でした?」


 父が姿勢を正した。


「はい。簡単な指示確認でしたので、問題ありません」


 ルシアンはさらりと言って、再びローゼルの隣に座る。

 それから父に向かって身を乗り出す。


「それよりも、いろいろ話が逸れてしまいましたが、例のもの、ローゼにもう見せても構いませんよね?」


 ルシアンの有無を言わせぬ強い口調。

 父が一瞬躊躇う。


「……ええ、まあ。

 あまり気分のいいものではありませんが」


 ちらっと父が気遣うような視線をローゼルに投げた。


「なんですか?」


 ローゼルは父とルシアンの顔を交互に見た。

 困ったような顔をして、父はルシアンに目配せをした。


「これ」


 ルシアンは胸ポケットから一通の封筒を差し出した。


「昨日公爵側がこのような協定違反をしてきたんだ。

 どうしたものかと対処法に困って相談したくてこちらに伺ったんだよ。

 御仁の正体もローゼルにバレてしまったことだし、話をした方がいいかもね」


 父が遠慮がちに言い、ルシアンから受け取った封筒の蝋封をローゼルは見た。

 息を呑んだ。


 グロウディーナ公爵の正式な蝋封――


 ざわざわと不安の波が押し寄せた。


「開けて手紙を読んでごらん」


 ルシアンが促した。

 ローゼルはちらっと父に視線を投げてから、手紙を読む。


『ローゼル・イースティリア子爵令嬢を我がグロウディーナ公爵の侍女として正式雇用する。

 なお、これを断ることを禁ずる。

 公爵リュシューリル・グロウディーナ』


「え?」


 ローゼルは一瞬言葉に詰まる。


「えっと……。これ、本物だよね?」


 思わずローゼルは二人に尋ねた。


「そうだよ。

 一応封筒の蝋封をご覧。公爵家のものだろ?」


 父に促されて、ローゼルはもう一度封筒の蝋封をまじまじと見た。


 グロウディーナ公爵の家紋の蝋封。

 上質な紙。

 整った流れるようなキレイな筆跡。


「これ、本当に公爵が出したものなんですかね?」


 ローゼルは首を捻って、もう一度尋ねた。


「どうしてそう思う?」


 ルシアンが尋ねた。


「だって、蝋封が曲がってます」


 ローゼルは指差す。


「確かに」


 父が覗き込んで唸った。そんな父の顔をローゼルは見据えた。


「これ、『正式雇用』って記載があるぐらいだもの、公爵家からの公式文書になるんでしょ?」


「ああ、そうなるね」


 父もルシアンも同時に頷いた。


 うむ。引っかかる。

 

 仕事で何度も公爵のサインがある書類に目を通したことがある。

 だから、分かる。


「変です、これ」


 ローゼルは断言する。


「公爵家がこんな杜撰な蝋封の押し方するわけがありません。

 だいたいこの封筒と便箋、淡い桃色に染まっているのも不可解」


 父とルシアンは静かに耳を傾け、ローゼルは続ける。


「そもそも、各家の正式文書というものは、純白の真っ白で帝国指定の高質な紙でないといけないはず。

 それなのに、ピンクって……。

 他家に出す公爵家の正式文書とは思えない」


「うむ」


 父が顎を撫でた。


「いくら格下貴族に出すといってもこれはふざけてる。

 字だって私が書類でお見かけする公爵の筆跡と全然違う。

 これは——偽造です」


「筆跡ねぇ。

 ——ローゼルは公爵の字の特徴が分かるのか?」


 ルシアンは興味を引かれたようにローゼルを見た。


「はい。公爵のはもっと筆圧もあって、角張った感じの文字を書くんです」


「へえ」


「この手紙の文字もキレイですよ。けど、線が細くて丸っこい。なんだか女性的じゃないですか? 

 それに、お父様は本日から『伯爵』です。

 公爵閣下ほどの方ならそういった話は必ずお耳に入っているはず。

 昨日出した手紙だとしても、届く日が今朝だと考慮すると、『伯爵』と記載するのが礼儀なのではないんでしょうか?」


 あっさりと言いのけるローゼルに、父は心底驚いたように目を丸くした。

 父は、感心して小さく拍手をした。


「すごいよ、ローゼル。

 そこまでよく気づいたね」


「偉いぞ。

 ちゃんとこれが一目で公爵の偽物だって暴いたな」


 ルシアンも満足げにローゼルの頭をぽんとした。

 

「え、ちょっと待って」


 ローゼルは目をぱちくりさせた。

 父とルシアン、嬉しそうに口角を上げている二人の顔をローゼルは交互に見る。


「もしかして——。

 二人ともひょっとして私を試したんですか?」


 ローゼルはむっとした。


「いやいや、試したなんて人聞きの悪い。

 俺も偽物だと確信はしていたよ。

 ただ、今後の辺境伯夫人教育をどこから始めようかと思ってね。

 試すというよりテストだ」


 ルシアンは大袈裟に手をひらひら振った。


「それを試すっていうんですよ」


 口を尖らせるローゼルに、ルシアンはますます愉快そうに笑う。


「あはは、すまない。

 一体どこまでローゼルが見通せるのか、ちゃんと確認しておきたかったんだ。

 最近こういう偽造書類が増えているからね」


「……偽造ですか。それはよくないですね。

 法務省でも偽造書類については議題になっていました」


 ローゼルは眉をひそめた。


「だろ?」


「偽造する人って絶対にバレないと思って、こちらに提出してくるんでしょうけど、上層部のサインについては、書類をチェックする側が各筆跡を常に机の見えるところに貼って、随時確認してますし、ましてや特別仕様のインクですぐに分かります」


 ローゼルは鼻を膨らませた。


 決裁書類ばかりに目を通すローゼルは、各大臣、上流貴族、皇族の面々のサインは、すべて目に焼き付いている。


「それで、問題はこれをどう扱うかなんだよ、ローゼル」


 父がそっと問題の封筒と便箋を手に取る。


「公爵家の蝋封だから無下にできない。

 だけど、明らかに偽造。

 どうするのが一番穏便に済ませられるか。

 できれば、あそことはこのまま関わり合いを持ちたくない。

 どうすべきだと思う?」


「そうだね」


 ローゼルは腕を組んだ。


 どうするもなにも、こんなしょうもないことをするのは、彼女しかない。


「犯人はあの子……。

 グロウディーナ公爵の末娘ナディア嬢ですよね」


「十中八九ね」


 ルシアンと父が同意した。


「何でこんな文書をナディア嬢は偽造したんだろう?」


 ローゼルは首を捻ると、父が苦笑した。


「ローゼル、クレインバール卿にナディア・グロウディーナ公爵令嬢が懸想しているのを忘れたかい?」


「あっ、そういうことか。

 私を公爵家に侍女として召し上げれば、辺境伯嫡男が公爵家の侍女を娶ることは事実上不可能になるね」


「俺たちの仲を切り裂こうという魂胆なんだろうな」


 俺たちの仲。なんて甘美な言葉。

 ローゼルは一瞬胸が高鳴った。


 ルシアンが甘く妖艶な眼差しをローゼルに送った。

 あまりにも艶っぽい視線だったので、ローゼルはドギマギした。


「そ、そ、そうですね。

 浅はかというか、考えなさすぎです」


 どきどきしていたせいか、やけに声が上ずる。ローゼルは必死で言葉を紡いだ。


(もう、急に色気を放出しないでよ。

 ドキドキしちゃうじゃないの)


 火照る頬を両手で押さえる一方、ローゼルはナディア・グロウディーナのやったことに密かに憤っていた。


 公女の悪戯、にしては質が悪い。


 だけど、あの子のことだ。

 悪戯ではなく、本気だ。


「これはれっきとした偽造文書罪で取り扱えます」


 ルシアンは椅子の背に肘をつく。

 その口調には、怒りというよりも呆れの方が強い。


「身内の犯行ですからね、さすがの公爵もこの件を公表されては、ばつが悪い。

 だいたい、公爵家に関わる偽造文書の作成は、一歩間違えばお家取り潰しや重罪になりかねない深刻な犯罪だ」


「ええ。公爵家の娘だからといって、公爵家の正式な蝋封を使うとは大胆不敵で礼儀知らずすぎる。

 むしろ、これを手札にすべきでしょうね」


 醒めた声で父は頷いた。


 手札。


「そもそも、ローゼルは帝国公務員ですよ。

 公爵が勝手に皇帝陛下に忠誠を誓った女官を自分の家の侍女に正式雇用なんてできません。

 こんなことも知らぬとは……」


 腹に据えかねるという調子で、父がため息をついた。


「まあ、蝶よ、花よ、と育てられたらしいですからね。

 ですが、公爵家は上級貴族の中でも皇族の次に頂点に立つ身分。

 その末娘とはいえ、彼女がやったことはそういう質の悪い悪戯で済まされない」


「私もそう思います。

 はっきり言って、これ、公爵家の汚点ですね?」


 ローゼルは強く言い切った。


「そうだ」


 普段の彼女の破天荒で無教養的な素行を見るに、完全に頭の中お花畑思考令嬢だ。

 今回のことも、単に嫉妬に狂って送りつけてきた感じも否めない。


 そもそも、大貴族の封蝋がいかに政《まつりごと》において重んじられているかを知らないのだろうか。


 一般的な大貴族や我が家のような格式の家でも、当主か嫡男しか扱えない。公爵家なら悪用されないようさらに神経を尖らせて保管してあるものだ。


(うちのイースティリア家の正式な蝋封でも、父だけが保管場所を知っているのに。

 公爵家ではもっと厳重に管理されていると思ったのになぁ)


「まあ、——何かあちらが言いがかりをつけるとしたら、イースティリア卿に、ではなく、ローゼにでしょうね」


 ちらっとルシアンがローゼルを見た。ローゼルは頷く。


「同感です。

 何か言いたいことがあれば、彼女から直接私のところに乗り込んでくると思います」


 あの勝気な性格からいくと、またローゼルを狙い撃ちにするに決まっている。

 可愛い顔が鬼の形相になって、ローゼルを睨みつけてくる姿が自然と思い浮かぶ。


 あの子自身には口で勝てる自信はあるし、どう考えても今回のことは間違いなく公爵家の方が分が悪い。


(けど、父親まで出てきたら面倒なんだなぁ)


 公爵は可愛い末娘には甘いってことで有名だ。

 さすがに、女官である以上、他の省の大臣と諍いがあるのは外聞がよくない。 


「あの……その手札、私が使ってもいいですか?」


 ローゼルはルシアンと父の顔を窺うように覗き見た。

 ルシアンと父は、互いに目配せをし合い、ふと笑みを零した。


「いいんじゃないでしょうか。

 ローゼなら大丈夫でしょう」


 ルシアンが肩をすくめ、父に意見を視線で促した。


「うん、そうですね。

 やりすぎない程度でならいいんじゃないかな」


 父は、再びティーカップに手を伸ばした。


「まあ、それでも何かあれば、俺が矢面に立ちますよ、伯爵」


「でしたら、より安心です。

 もちろん、その際は私も応戦いたしますよ」


 三人の間に、笑みが浮かんだ。


 ローゼルはほっとするけれど、違う問題を憂慮していた。


 グロウディーナ公爵は、同期ランス・マクィーンの上官だ。今彼自身は異国の地で外交官として活躍しているけれど、彼はエレナの婚約者でもある。

 もし、公爵のご機嫌を損ねてエレナたちに累が及んだら――。


 そこだけが心配だ。親友とその婚約者に迷惑をかけたくない。


 不気味な不安が膨らむ。

 その時、ルシアンがローゼルの手をぎゅっと握った。


「大丈夫。グロウディーナ公爵が直接ローゼを攻撃することはしないよ。

 もちろん、その周囲にもね」


「だといいんですけど……」


 ローゼルの顔は曇り、暗い気分になった。


 ナディアは公爵にとって可愛い末娘で、私は彼女の恋敵。

 印象は最悪だ。


「公爵は今までイースティリア卿に一度も接触していない。

 ローゼルだって、この前の来客サロンのときぐらいだろ? 直接言葉を交わしたのは」


「はい、そうです。

 お仕事で間接的には関わってましたが……」


「なら大丈夫だよ」


 ルシアンはそっと握ったローゼルの手を持ち上げて、ちゅっと音を立ててキスをした。

 

「俺がローゼを守るから」


 ルシアンは色っぽい目でじっとローゼルを熱く見つめた。


 

*


 目の前の二人はすっかり二人の世界へ入ってしまった。


 メイットはその様子を見て、表情には出さないけれど、内心はいささか居心地が悪い。


(う~ん……。一応父親がここにまだいるんだけどねえ)


 そもそも、この並び。

 ルシアンはローゼルの常に隣をキープしている。


(まるで、婚約が決まったカップルだな)


 まだ正式に婚約していないから、本来なら自分の隣にローゼル。

 対面席にルシアンが道理。


 だが、あの鬼軍師と呼ばれているルシアンの熱愛ぶりに、苦笑を浮かべざるを得ない。


(本当だったら、俺が父親として、こういう場を用意するべきなんだよな……)


 それは叶わず、目の前の青二才にお膳立てされている。

 不甲斐なさと罪悪感を覚えたが、娘の幸せそうな姿に安堵するしかない。


 熱く見つめ合う二人。

 世界に二人しかいない、そんな感じだろうか。

 

 メイット・イースティリアは、諦めて静かにお茶を飲むことにした。


 それにしてもルシアンも厄介な御仁の娘に目をつけられたものだ。


 グロウディーナ公爵が、ルシアンとの婚姻を望む理由。

 それはクレインバール家を味方につければ、国境付近の守りは鉄壁になり、周辺諸国の小国を攻めやすくもなるからだ。


 クレインバール家は侵略戦争には反対派だ。なおかつ、反対している戦争に自分たちの私兵団を使われるのはもってのほか。


 そう考えると、ひょっとすると、ルシアンは口に出さずとも、イースティリア家に公爵家が不干渉なことに気づいて求婚をしたのだろうか。


 先日の挨拶では、そこは触れられていなかったが——


 ルシアンはふだん自制心があり、理知的。狸ばかりの大貴族の中でも平然とその若さでなんなく切り盛りできる気量と才覚がある。


 その一方で令嬢たちには頑なで、どれだけ利益をチラつかされても靡くことがなかったことで有名だ。


 そのルシアンの老若男女問わず蕩けるような柔らかな笑顔は、娘のローゼルだけに向けられている。


 まるで思春期の男子が恋焦がれる乙女に懸想するときそのものだ。

 ローゼルに対しての熱は年相応で、純粋に見える。


 すっかり惚れ込んでいる。


(まったく、この男はどこまでが計算で、どこからが成り行き任せなのか……)


 メイットは苦笑いを浮かべた。


 これは首っ丈というもの。


 彼の過大な愛情表現に終始押され気味になっているローゼル。

 だけど、案外満更でもなさそうだ。かつて見たことがないくらい満たされた表情を浮かべている。


 鈍い胸の痛みを感じつつも、薔薇色に頬を染める娘の表情をメイットは目に焼き付けた。


 かつての自分も目の前の二人のようにマリアーナに恋焦がれた。

 あの頃の自分たちと、目の前の二人が重なる。


 初めて彼女と一緒に二人きりで帰ったのは、アカデミー卒業間近だった。


 いつもナージュとマリアーナ、メイットの三人で帰っていたが、この日はナージュが教師に呼び止められた。先日の魔法の実技試験の点数が芳しくなかったからだ。


——なんだよ、俺、魔力がないのに。嫌がらせかよ。


 ナージュは悪態をつきつつも、渋々居残りで補習を受けた。


——今日はわたしたちだけで帰ろうっか。


 そうマリアーナが提案した。


 学園内の金色に輝く銀杏並木の下。

 そう、雨上がりの少し冷える夕暮れだった。

 真っ赤な夕陽を背景に落ちた葉と混ざり合い、一面鮮やかなオレンジ色でとても美しかった。


 制服の姿の彼女の隣を歩いた。


 小柄な彼女に合わせ、わざと歩調をゆっくりにした。


 自分がうきうきしていることを彼女に悟られるのが妙に恥ずかしくて、変にクールぶって、いつも以上に素っ気なく、でも陽の光より温かいものを頬に感じていた。


——マリアーナ。

 もし卒業パーティー、まだパートナーがいないなら、俺とどう?


 鳴り止まない鼓動を必死で押さえつつ、勇気を振り絞って卒業式に行われる卒業生だけのパーティーに誘ってみた。


 彼女は毎回学校の行事でパートナーが必要だった時は、ナージュに誘われて参加していた。

 二人が並ぶと巷で流行っている恋愛歌劇の主人公たちのように、見目麗しかった。


 研究に忙しいからと言い訳をして研究室や図書館にこもっていたのは、二人が並ぶ姿を目の当たりにしたくなかったから。


 だけど、どうしても今回は引くに引けなかった。


 駄目で元々。

 卒業したら、これからも彼女はナージュと共に過ごすのだろうし、社交界のどこかで会うにしても遠い存在になっているだろう。


 今にして思えば、一世一代の告白だった。


 彼女は驚いた様子で蜂蜜色の瞳をぱちくりさせていた。

 けれど、次の瞬間。


——嬉しい。わたし、ずっとメイットと踊ってみたかったの。


 華やぐ可憐な笑顔が、メイットの躊躇いと遠慮を払拭してくれた。


 嬉しい。わたし、ずっとメイットと踊ってみたかったの。

 頭の中では、その言葉だけが鐘のように明るく響いている。


 見上げてくる彼女の何気ない仕草、他愛ない会話。

 ほんの一瞬、横を向いて交わす視線が限りなく嬉しい。


 やがてそんな何気ない日常が当たり前となっていき、日に日に彼女の存在が限りなく愛おしいものとなる。


 恋は素晴らしいものだ。

 もちろん、ここまで来たらローゼルには幸せになってもらわなければならない。


 だが、一歩誤れば、恋は人を愚かにする。

 マリアーナと俺、そしてナージュ。どこでボタンの掛け違いがあったのか——。


 メイットは再び目の前の恋人同士に視線を投げた。


「伯爵、もしよろしければ、ディナーをご一緒にいかがでしょうか?」


 我に返ったルシアンがばつが悪そうにしながらも、食事にメイットを誘った。

 照れ隠しのつもりなのだろうか。


 メイットは小さく笑った。


「いえ。家にデジールもいるので本日は帰ります。

 せっかくのお誘いですが、また今度」


 やんわり断った。


「そうですか。承知しました。

 また今度ワインでも飲み交わしましょう」


 社交辞令ながらもルシアンは少し寂しそうな表情を浮かべた。

 その隣で「ワイン」という単語に反応するローゼルがいる。


「ローゼル。くれぐれもお酒を飲みすぎないようにね」


 メイットがしっかり釘を刺すと、ローゼルの顔が引き攣った。

 そんなローゼルをルシアンがそっと肩を抱いた。


 恋とは、素晴らしくもあり、時に人を狂わせるものだ。


 ルシアンに限って、恋に溺れることはないと思うが——。

 今まで以上にグロウディーナ公爵家とは繋がりを断っておかなくてはならない。


 メイットはテーブルにある淡いピンク色の封筒を冷ややかに見下ろした。

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