第97話 打ち解けた父娘の会話と、軍師の秘密部屋
夕刻の鐘楼の鳴り響く音が微かに聞こえた。
ルシアンは、王城から急な知らせが入ったとかで部屋を退室した。
父と残ったローゼルは、なんとなく気まずい気分になった。
「ねえ、お父様」
温かいお茶に淹れ直してもらって、二人きりになったところでローゼルは声を掛けた。
「なんだい?」
父の顔は思った以上にスッキリしていた。
さっきまで漂っていた重い空気はない。
たぶん、ずっと胸につっかえていたことを打ち明けられたからだろう。
母の死の理由も、グロウディーナ公爵とウルーム伯爵との後ろ暗い関係性も。
不安をすべて払拭できたわけではないけど、気分的に全然違うはずだ。
「ねえ、本当にウルーム伯爵があの魔物を生み出したのかな?」
ローゼルは思わず尋ねた。
お茶を飲んでいた父の顔が強張る。
「可能性は高いだろうね。
彼は魔法と呪術の武器開発を目論んでいる節もあるということで、軍部が血眼で探している最中だからね」
「だよね……。
でも、変なの」
ローゼルは腕を組んだ。
「変というのは、自分が作った魔物でマリアーナやローゼルを襲ったからかい?」
そっと父が探るような目つきでローゼルを見た。
「うん。それ。
一応これでもウルーム伯爵の息子の嫁になる予定だった令嬢だったし、お母様ともウルーム伯爵は学友で仲良かったんでしょ?
しかもお母様が亡くなった時、ご自身の妻であるウルーム夫人も亡くなっているよ」
母マリアーナと父メイットは、ナージュ・ウルームと同じ年齢であり、アカデミーでの同級生だった。
三人はとても仲良かったとローゼルも聞いている。
「私もローゼルと同感だよ。
ナージュは、亡き夫人を大事にしているようだったね。
自分が作り出した魔物に夫人を襲わせるなんてあり得ないと思う」
「でしょ?」
「だからね、私はこう考えたんだ」
父はティーカップを置く。
「魔物を生み出したのは、ナージュ・ウルームの可能性が高い。
とはいえ、魔法陣を付与し、魔物を呼び寄せたのは別人だろう。
そもそも、魔法陣は呪術の術式だったし、なによりもナージュ・ウルームは錬金術は扱えても、魔法や呪術は扱えない」
淡々とした口調ではあるが、どこか酷薄なものだった。
「つまり、お母様やレオーネのお母様の死も……。
それから私を襲った一連の魔物に関して、裏で呪術師が絡んでいたということ?」
いつの間にか、ローゼルは声をひそめていた。
「そうだと思う。
ローゼル、ここは物事を分けて考えてみよう」
「分けて?」
「うん」
父は大きく頷いた。
「ナージュがどういう意図で生み出したのか、術師とどんな関係なのか。
それはまだ捜査中だよ。
だけど、一つ分かるのは、ローゼルを含め、ナージュにとってマリアーナたちは大事な人たちだ。
その人たちの安全を脅かす行為をせざるを得なかった、つまり、ナージュ自身が呪術師たちに脅されている。その可能性がある」
脅されている……。
呪術師たちの言うことをウルーム伯爵が聞かなかったから、彼の大事な人達の命を狙った。
それなら納得できる。
「それだったら、尚更助けないと。
きっとウルーム伯爵、苦しんでるよ」
「やけに肩を持つね」
「——そりゃあね、お父様に偉そうに振舞うときはムカついたけど、ウルーム伯爵って私には優しかったから、完全なる悪人とは思えないんだ」
ローゼルが頬を膨らませて怒った顔をすると、父はクスクス笑った。
「そうだね。
とにかく今はいち早く、ナージュから事情を聞くのが先決だ。
やましいことがなければ腹を割って話せばいい。
たとえ犯罪者だとしても、本当のことを話せば、魔法騎士団だって態度を軟化するさ。
それこそ司法取引で自分自身の罪も軽くできるしね」
「間違いない。
――ただ、もう一つ気になることがあるんだ」
「もう一つ?」
父が眉をひそめた。
「デジールの父親って、術師っておっしゃってたけど——呪術師なんでしょ?」
何気なくローゼルは口に出すと、父の表情が険しくなった。
だけど、一度堰を切ったら止まらない。
「だって、今までの話の流れから呪術師だと推測するのが妥当じゃない?
ウルーム伯爵、呪術大国のナバロー王国の復古を望む『秘密結社 黒の杖』。それからグロウディーナ公爵。
公爵自身、戦争推進派で外務大臣として、マリュード皇国側の国と交易をしている。
そのグロウディーナ公爵が連れてきた術師。
といえば——呪術師としか考えられないよ」
それどころか、グロウディーナ公爵も『秘密結社 黒の杖』との関わり合いもあり得る。
父の目が鋭くなった。
あっ、しゃべり過ぎたかしら。
ローゼルはたじろいだ。
夕暮れの光に沈み始めた賓客室は、一瞬血の色のように染まって見えた。
ローゼルは父の返答を待った。
「ああ、まったく……」
父は露骨に大きなため息をついた。
再び、父と視線が絡み合った。
「どこまで勘付いているんだか」
ほんの少し、父が身を乗り出す。
「実はね、デジールなんだけど、エグアルムおじい様のところに行かせようか悩んでいるんだよ」
「おじい様のところへ?」
意外な人物の名前が出て、ローゼルは目を瞬いた。
「そう」
父はこっくりと頷いた。
「もしあの子の父親が呪術師なら、デジールもその才能を受け継いでいる可能性がある」
「才能というのは、呪術のこと?」
「ああ。ただでさえ、シャルルの思想に強く影響を受けているからね」
「まあ、確かに」
「だから余計国に反逆の意思を示されては困るし、ひょっとすると、グロウディーナ公爵たちはそれが狙いで我が家に身を置かせたのかもしれない」
ローゼルは息を呑んだ。
しばらく間を置いて、慎重に言葉を紡ぐ。
「うちを反逆一族に仕立てるために?」
「ああ」
父も神妙な顔つきで頷く。
「『秘密結社 黒の杖』は建国からずっと皇帝陛下に忠誠を尽くしている貴族を目の敵にしているらしい。
そう、その昔、皇女がご降嫁されたノーチェス伯爵も、先日アストレイア皇女に毒物を混入した罪の濡れ衣を奴らに着せられそうになったと耳にしたよ」
「皇女殿下に……」
ローゼルは聞き咎めた。
「うん。
すぐさま近衛騎士たちが怪しい侍女を捕縛したらしい。
その侍女は奴らの手先だったみたいだ」
ローゼルはハッと思い出した。
以前、王城内で見つけた足音のしない侍女。あの直後、近衛騎士たちに質問攻めにあった。
(え、じゃあ、やっぱり彼女がアストレイア皇女殿下毒物混入未遂事件の犯人だったってことね。
犯人は自害したって噂で聞いたけど——)
「ノーチェス伯爵は、間一髪、冤罪を被らずに済んだんだね」
なんとなくローゼルは安堵した。
「そうだね。
だからこそ、デジールが変な輩に接触され、感化されてしまったとしても、お義父様の元にいるなら、何か対策を打ってくれる。
そう考えているんだ」
「なるほど」
「いくら反権力主義者でも、可愛いローゼルが反逆者の家族として断罪されることはきっと許さないだろうからね」
気難しい祖父は、マリアーナに似た双眸を持つローゼルには、めちゃくちゃ甘い。
「あはは、一理あるね。
でも——私は反対だな」
「どうしてだい?」
「ほら、おじい様は身内には優しいけど、他人には冷たい人だよ。
淡白過ぎって言うか。
デジールは、イースティリア家の令息だけど、おじい様にとっては赤の他人。
しかも万が一、呪術師の息子と知れば喜んで研究材料のひとつにしてしまいそうだもの」
「研究材料……」
一瞬、間をあけて父は呟いた。
それから、眉をひそめてこめかみを押さえた。
「ああ、確かにそうかもしれない」
「でしょ?
さすがに人体実験はしないだろうけど、それでも極端な研究肌のおじい様だからね。
油断はできないよ」
気難しい顔でローゼルが父の顔を覗き込んだ。
「うむ、ローゼルの言う通りだ。
思い出したよ。
他人には興味なさすぎというか、容赦ないというか……そういう人だったね」
父の目が遠くなる。
「私はマリアーナの婚約者だったから、まだ随分とお手柔らかに接してくれたけど、同じ弟子だったナージュ・ウルームは大変そうだったからね」
「その話なら、ウルーム伯爵から散々聞かされたよ。
かなり非人道的だったって」
「否定できないな」
父は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「それに、いろんな危ない実験に付き合わされたとも言っていたかな。
とんでもない場所に転移魔法で転送されて危険場所の薬草を取りに行かされた時もあって、しかも、それがどれくらいで非魔法使いのウルーム伯爵が自力で戻って来れるのかっていう実験を本人の了承なしでこっそりしていたらしいし。
性格悪いよね」
「うんうん。
ナージュは魔法使いじゃないってだけで、冷遇されていたからね。
そんな扱いをするから、お義父様もマリアーナに何度も叱られていたよ」
どこか懐かしそうな口調で、父の口元には薄っすら笑みが浮かんでいた。
「そういうこと。
おじい様のところに預けるのは考え直した方がいいかも」
「うむ、いい案だと思ったんだけどなぁ」
父は顎に手を当て、深く考え込み始めた。
いい案どころか、名案だと父の中で思っていたのだろう。
この考えを捨てきれないようだ。
祖父は、愛娘マリアーナに続き、妻(ローゼルの祖母)も亡くなって以来、侯爵位は叔父に譲って研究に励み、そして研究のこと以外とんと無頓着になった。
(ひょっとすると、賢くて物凄い魔法使いのおじい様のことだ。とっくにお母様の死の真相に気づいているのかもしれない。だから、呪術の研究もしている——)
憎き呪術。
その思いで研究しているとしたら、デジールを祖父の元に置くのは危険だ。
「しかたない。
もう一度考え直してみるよ。
でも、さすがだね」
父は苦笑して、両手を上げた。
「なにが?」
「私よりも師匠ジル・エグアルム卿のことを分かっている。
アルバートよりもローゼルは小さい頃から可愛がられていたからね」
茶目っ気たっぷりに父が言うので、たちまちローゼルは恥ずかしくなった。
「まあ、うん。
そうだね」
祖父の研究室にはさまざまな国が抱える課題や呪術以外の禁術の研究論文が転がっている。
そのため入室禁止。
もちろん、両親も祖父母も何度も『入ってはだめだよ』ときつく言い渡されていた。
だけど、禁止されるとやりたくなるのが子ども心というもの。
特に秘密の匂いを嗅ぎ取った時は格別だ。
幼いローゼルは好奇心旺盛だった。
禁止されている祖父の研究室。
こっそり侵入するまでのスリリングさ。心がわくわくした。
祖父は、必ず研究室に入室禁止の簡単な魔法陣を張っておいた。
けど、これはローゼルと祖父との魔法陣を通じた謎解きゲーム。
入り込んでしまえば、研究室内は珍しいものばかり。
見たこともない怪しげな魔物の剥製や、知らない動物や昆虫の標本。
知らない実験道具に、摩訶不思議な奇怪植物。
図柄が綺麗に描かれている書物や論文は、実際の絵本よりも美しく目が吸い寄せられ、洗練に計算された論文の魔術式はどんな謎解きゲームよりも興奮する。
そんなお転婆なローゼルを周囲は呆れ返っていたが、祖父だけは目を細めて褒めてくれた。
——おぉ、ローゼ。お前は実に賢い子だ。
儂が腕によりをかけて侵入禁止の魔法陣を張ったのに、難なく解除してしまうとは。
祖父はそう言いながら意気揚々と徐々に難易度を上げ、ローゼルに魔法陣を解読するよう仕向けていた。
(あの時はそれが楽しくてしかたなかったけど、今にしてみればとんでもない子どもよね)
幼い頃のことを持ち出されると、それは拭いようのない黒歴史で、もどかしい気持ちになる。
*
「ほう、なかなか興味深い昔話だ」
ルシアンは呟いた。
「ルシアン様、趣味が悪いですよ。盗み聞きなんて」
マルスクが窘めた。
「そうだな、褒められた行為じゃない」
ルシアンは苦笑した。
「けど、しょうがないだろ。
イースティリア伯爵はまだ俺に打ち明けていない秘密を抱えているんだ」
「秘密、ですか。
随分と断言されますね」
「まあな。
ネタはつかんでいるんでね。
嘘をつかれたままではローゼを助けることはできない」
「そのとおりですけど——」
マルスクは口をすぼめた。
ここはローゼルたちのいる賓客室の隣の部屋。
諜報用の盗聴部屋でもある。
賓客室の会話をそっくりそのまま聞くことができるよう部屋自体に仕組みがあった。
これと同じ仕組みが王城内の軍部会議室の隣と、娼婦館の至る所に用意してある。
まさか、惚れた女の会話を盗み聞きする時が来るなんてな。
ルシアンは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「さて、次は」
ルシアンはマルスクから一通の封筒を手に取った。
イースティリア子爵家に届いたグロウディーナ公爵家からの命令書。
関わらない。そう約束したグロウディーナ公爵。
それなのに、これはどういう意味なのか――
その謎をローゼルに解いてもらおう。




